お線香を一箱開けたらそればかりなど豊かな生活にはなく、囚われ心も窮屈に閉鎖して貧しく本来の利益を失ってしまいます。





毎日のお勤めに習慣で同じ花と線香と蝋燭とご飯と水をお供えするよりも、神様・仏様に好まれる人間になれば御利益が沢山あるそうですがご自身にとって特別な日、受験や他の晴れ舞台、ご先祖様の特別な日には仏様の好物といわれるお茶、甘茶でも喜ばれるでしょう。





毎日仏様もご馳走三昧なら生活習慣病のメタボリックになってしまいかねません。



『ご自身もペットを飼っている家庭と同じで鼻がなれてしまい薫りが判らなくなり効果を失います』



社会でも同じもてなしばかりではあまり効果がでませんし、社会では仏様のようにゆっくり考える時間は与えてくれませんので、その瞬間に応じた判断をしなくてはいけない。



愚者の自覚を家庭にみほとけの光を。愚かにして愚かさを知るのは、愚かにして賢いと思うよりもまさっている。光は阿弥陀様に与えられ、そして個々に自らが光となり家庭の苦難になっている闇をお互いにもてなしで照らし、安楽(心身の苦痛や生活の苦労がなく、安らかであること)で安穏(変わったことがなく、穏やかなこと)な日々へ導かれる。






雨が降った日、曇りの日、晴れた日の天候。しんどい日、だるい日、元気な日の体調。



薫りを昇りと降りの春夏秋冬の季節に合わせて使うゆとりの生活は、五感鮮明になります。優雅なゆっくりと流れる瞬間・・・。



線香立てに立てると線香を取り出すには便利で楽だと思ってしまいますが、同じ線香ばかりになりますし線香の鮮度が落ちます。



利便ばかり求めては簡略化され本来得るものも失ってしまう。線香立てに数種類のお線香を入れるとおみくじのようになってしまい、そんな生活は大変です。


使う度に箱から取り出せばその日に合ったのを選ぶ事が出来ます。



自分で道を開くのです、そうすれば習慣でなくその行為に心が宿り有効になります。


毎日の生活の形を正せば精神も変わります。

ご自身の利便でなれてしまい相手の利便を考えられない結果、自分や家族の環境を整えるのも難しい生活。朝の始まりに形を整えなければ人は社会でも上手く回らない。



会を作ったりプライベートブランドを作るのは他社が生きていく為に、自分が利を出すためだけに安く販売して価格破壊が起こるのをするのを防ぐ。



仏壇屋、スーパー、問屋などが線香立てや同じ線香をお勧めしたり、自社のオリジナル線香を作るのは自分にとって利便の場合が多く、皆自分の利便を追求している。



スーパーと仏壇屋の違いは今の世はどちらも安く売る傾向に(年中か一時期だったのは今は多様化している)あるので人が付いているか付いていないかの違いが大きい。



お客は人が付いているのを好む人や、無人を好む人に分かれる。



日本には四季がありその巡りを是非、香りを共に楽しむようにご先祖様におもてなし下さい。



香りを楽しみ有効に活かす事は残された時間を有効に使うチャンスです。



おもてなしに使う場合では毎日同じお香や香りは、来られるお客様には初々しい香りでもそこで働く人には一年中同じだと鼻が慣れてしまいあまり効果はありません。


相手を察して相手を満足へ誘うおもてなし。薫りはもてなしの序章、きっかけとしてそこにご縁を作る事が出来ます。



発するのが陽気で、受けるのが陰気。もてなす側は春夏秋冬、天候で香りを変えると効果的。



応病与薬=病に応じた薬を与えると良いといわれる様に、枯れた畑には潤いの水を定期的にあげるようにご自身の心の天候、土壌となる体の春夏秋冬、浮き沈みなどに薫りを合わせて使うのが良いのです。



香りが駄目や苦手という人は心か体が弱っている場合があります。応じた対処が必要です。



環境を整えれば人は豊かでいる事ができますのでご家族にも過ごしやすいように環境を整えてあげて下さい・・・。



頑張る家、休む家、保つ家の三軒の家を持つとそれぞれの環境が整い豊かでいる事が出来ますが難しい問題だと思います。



しかし香りを使えば一つの同じ部屋でも大きく潤いの世界が無限に広がります。一つの香りに囚われない自由の世界。



花は枯れるが囲まれず大自然になり囚われない自然の木の茂る世界。心の楽は楽しみ、心の安は安心。





環境とは人間関係、台所状態、落ち着けない、部屋の状態他。



一緒に生活する家族、自分の世界なら良いですが世界平和には隣人への気配りも必要です。



繋がりあっているのでその罪が罰となって巡り回って戻ってくる場合があります。



皆が環境を落とし合う悪循環は貴方や相手の縁起で始まり環境が低下し、低下して曇ったその人が周りの人の環境を落とし、光を差しあげる太陽のような存在がいなければ1人が嫌と感じればその広がりは千にも万にも広がる。


お互いに足を引っ張る関係でお陰様といえない関係になる。



仏様の好物といわれる甘茶には心に溜まった厄・災難を洗い流す意味があるそうです。



=お部屋の浄化に!悪いことをしてしまった懺悔に!有り難い事があった時、感謝に甘茶香・・・。
お礼参りがあるように、ご先祖様へ好物のお礼。





清浄甘茶香=日常の環境が適わない状態で最近良い事がない、嫌な事が多いと思うと心が曇ってきます。


そんな時にその迷いの曇りを洗い清めて、あらゆる困難に立ち向かう勇気を与えてくれる希望の薫り/清浄甘茶香。良い事があった日のお礼や頑張る時にもお使い下さい・・・。


甘茶香で心を洗い流す懺悔は悔やむ事でなく明日への前進する土台です。


用途例=早朝から朝、冬から春、曇りの日、受験、新築、引越し、リセット、還暦の祝、成人式、命日、花祭り、大晦日、節分、厄年、盆、彼岸 、ヨガ、正念場、開眼法要、子供の安全を願う。





竹炭甘茶香=環境の変化で煙にも情緒があっていいのですが煙は困ってしまう。


そんな貴方に生活の悩みから私達の心を救い出してくれる煙の見えない有り難いほのかな薫り/竹炭甘茶香。


普段は煙の見えない竹炭甘茶香をご使用頂いてもご先祖様の大切な時には煙のでる甘茶香をお使い下さい・・・。


用途例=日常の線香、空間浄化。





慈悲甘茶香=疲れた時には甘い食べ物が良いといわれるように、 毎日の苦しい生活で疲労は蓄積されます。


慈悲甘茶香は深く重い闇に覆われた涙に溺れいく心を、優しく甘く抱きしめ心の扉を開いて楽しみを与えてくれる 愛の薫り/慈悲甘茶香。


心が疲れた時には、とびきりに心を包んでくれる爽やかで甘い香り!
用途例=冬、夜、雨の日、梅雨時、疲れた時、孤独な時、ダイエットしたい時。





柔和甘茶香=人生、晴れ舞台では様々に熱狂的な人と人の間柄で精神的、肉体的な苦痛を覚える事があり、同じく暑い場所でずっと生活するのも大変です。


様々に五感に発せられたエネルギーを、外界から受ける影響を、クッションのような柔らかな心体へ誘う一筋の煙と自然の豊かな薫りを皮膚からも頂き、目と鼻と心の三感の打ちひしがれた心を癒してくれ、心と体が和み柔和な笑顔へそして平安に導いてくれる夢の薫り/柔和甘茶香


用途例=晴れの日、暑い日、昼、現状を保ちたい時。 ヒーリング。





沈香甘茶香=物事が上手くいっていると昇って快く晴れてきますが怠慢を生み、心の先端がささくれてきます。


ささくれの苦を抜き去り浮上した心を静かに沈ませ優しく和ませてくれる天然シャム沈香の微妙な香りを聞きわける誠の薫り/沈香甘茶香。


用途例=昼から夕方、秋、快晴の日、勉強、書道、読書の時、ゆっくりする時、落ち着きたい時には沈香甘茶香。





晴れ宿り緑茶=青く冷たい雨が降りだし雨宿り。


そして太陽の日が差し始める瞬間。小鳥が鳴きだし、陽気へ誘います。
冬から春へ、青から緑へ、様々な色の花は生まれ咲いていきます。始まりの薫り/晴れ宿り緑茶


用途例=病み上がり、雨上がり、不調の時、物事を始める時。





般若香=雨が降った日、梅雨時期や良い事がない日常は心も曇ってきます。


そんなときには華やかな般若香を使えば部屋は曇りが晴れて明るくなり智慧が湧き目覚めるような環境が整います。


用途例=すっきりしたい、梅雨、雨、曇り、気分転換、明るくなりたい時。





侘び寂び=苦味、渋みのお線香。苦しい苦味を良く感じる厳しい豊かな世界は畳の部屋、又は本堂で1人孤独に静かにいる事が出来る環境が整います。


陽気を失い陰気で精気を養います。一度古い木のように心体も枯れた薫りで陰を極め灰になり、そこから陽に転じて若葉を芽生えさせます。


用途例=瞑想、静かにいたい、座禅、自分を省みる、孤独を感じたい、大人しくする。





薫りは感じ方も様々なのでご自信で考えて使うと良いそうです・・・

水は動きがないと腐ってしまう、行く雲のように、水の流れのように円滑でないと!世の中も動きがないと・・・。


破壊は寺が燃えた跡に復興するように、江戸の町が幾度と燃え再興、再開発を繰り返したように発展も生む。炎は繁栄の象徴。


江戸は火事の再開で貯えた。建築土木の復興需要が経済を活性化、江戸の職人を中心とした庶民の生活が潤った。紀伊の木材屋も潤った。


大津波、地震、台風で困る者とその困った者を満たして潤う者。


値段だけの価格破壊だけで足を引っ張りあう社会関係が進み、物が溢れ需要の増えない世の中で、企業が、個人が、国が潰れて被害を受けないようにするにはこの飽和状態から仕事をどのように増やすのでしょう?



日本も戦後の焼け野原から様々な需要があり高度経済成長した。ITという新しい分野に動きがあって潤った人もいますが、継続的に動きを作るのは難しい。
破壊と再生の動き、世の中は世界規模でそれを繰り返しているそうです。
今の世の中は物が壊れず破壊が起こった状態ですが企業の破壊が起こるのでしょうか?しかしいつまでも続かず陰極まれば陽に転じる。


過ちを言い訳で逃げていては失敗も成功の基にならない。言い訳が上手くなる程向上への道が閉ざされていくので反省して明日への土台にしたいものです。


丁稚奉公と亭主で心の豊かさ、時間のゆとりも違い、心の平和に成れた陽の鳩は、書道や香道、華道を習い静かに心を沈める。昔はお寺に鳩が居ました、お堂に・・・。



平和の象徴と言われる鳩は誰に迷惑もかけずに平和に過ごしたそうです。お寺は学校みたいな所だったそうで鳩は暗い陰気な和の餌を食べ、他を迫害せずに糞をして平和に過ごしました。現在も心の平和な鳩が集まり色々な気持ちを落ち着かせる餌を食べ、変わりにお金を置いていくそうです・・・
平和な鳩にはココロ豊かな先生と呼ばれる人も多いようです。



鳩から鳳凰に成るまでも陽といい、陽遁(ヨウトン)というそうです。


鳩は自分が救われた平和な人。


他に恵みをもたらす鳳凰や龍は平和で他を救う人・・・鳩を鳳凰に変える甘茶香・・・。



落ちている人にそれ以上沈めると地獄になってしまうので、陽気な薫りや明るい空間にいて精神を保ち、まずは心体を癒す方がいいので気分で香りを変えて使うと効果的です・・・。


現在、日本の平和の鳩も、餌の取り合いで喧嘩しているのを見かけます。鳩は餌の取り合いだけ仲間と喧嘩をするそうです。


相手を救うには自分が救われていないと難しいのですが、自分達が生きていくには仕方がないのでしょうか?鳥居には、一年に一度は自分の幸せを願い様々な鳥が集まります・・・



迷える羊はどこへ行くのでしょう?飼い主が夜には羊を家に戻すように世話する人が必要です。


世界の平和は環境が整っていない人を救わないと難しい。環境が整わないと人は自分の幸せの為に他を侵す。食べるのに困っていたり、普段の生活が容易でなかったり、自分の環境が思うように進まない状況の人。求める物が得られない状態・・・。


食べるために仕事をして、家族の為というが本当に家族の為だろうか?






今までの日本の線香は贅沢品で、高度経済成長(国、宗教のお金が庶民に廻る)の中、平安時代の貴族のようなゆとりのある豊かな人が使うのが多くありました。



薫りを楽しむ行為はとても豊かで、江戸時代の庶民にはそんな余裕はありません。



人の望みには衣、食、住があり中でも薫りを楽しむ行為は最も豊かな極致の営みです。



庶民には名字もなく、戒名や、墓、仏壇をもつ余裕は無かったそうです。


戒名は寺に大きく貢献した人に与えられ、今もご先祖様を守る寺院を支える大切な役目もあります。



南無阿弥陀仏と唱えるだけで救われた気のする極楽浄土信仰が流行り、大丈夫と気を救うだけで今を生きる事だけで精一杯だったそうです。



目に見えるものでは気だけ救う事が出来て、煙が出なくても大丈夫といえばその場は救われます。


理由のない大丈夫なので多くの0型の方と同じで崩れる時にはもう本当に駄目な時なのでとことん崩れます。

最後には手を合わすだけで良いというでしょう。



沈香はお茶席でも香席でも浮いた心を沈めてくれる落ち着ける環境の香り。


閉寂質素で落ち着きがあり、畳の部屋にはわび、さびといわれる渋く無口で厳粛な深い和の陰気な空間が演出されます。


目で見える部屋の環境を整えた後に落ち着ける環境にするのに香りは沈香を使い、派手な色は周りの人の目を捕らえ、香水の香りは周りの人を落ち着けない環境にしてしまうのでいけないといいます。



(五感、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触る)景色も、音も、薫りも、味も、温度もお茶席や香席は全て最良の落ち着ける環境にして整えてあります。



今の日本は世界的に立場が変わり洋風も流行り、格差社会も進んで沈んでいる人を救い上げる明るく軽い陽気な香りもあります・・・。



陰気を救い上げてくれる陽気な香りや金色の仏壇、黄色のパッケージは陰に落ちている人には希望の光に見えます。明るい香りも希望の香りに見える。



現在の時代は全て揃うお店でないと難しいようです。人気のある人はお金があるが時間が無く、人気のない人はお金が無いが時間はある社会だったのが、お金も無いけど時間の余裕もあまり無い社会。


お線香、蝋燭、仏壇、葬儀、墓石、霊園、寺、問屋他。


米は米やというのは難しく、何でも販売しないと難しいけれど高くても良いものを売っている米屋、酒屋は持続出来るようです。


値段を求める人と、値段でなく良いものを求めている人の二極化が進むようです・・・


余裕があれば古墳やピラミッド、お墓をご先祖様や子孫の為に建てれば好いのですが、生きている人がこの先どうしようと考えていて先行き不透明では亡くなった方をもてなすのも大切ですが無い袖は振れないというように葬式も何も行うのは環境が整わず難しい。



お香やお線香を使う事は重要で、その時間を持つことで心と体に余裕が生まれ生活が大きく変わります。薫りは環境を整えてくれる。


畳の部屋や渋い、苦い薫りのする場所では塀寂質素になり、マンションや華やかな薫り、甘い陽気な薫りは緊張を解して(解は牛の角を刀で解体した?)心を開放へと向かわせてくれます。



赤や黄色の明るい部屋で焚く慈悲甘茶香の甘い薫りは、疲れが宿った心と体のドアを開いてくれる幸せの鍵。

疲れという苦しみ悲しみを抜き去り、今まであった疲れのない楽しみと幸せを授かる環境が整う。



疲れた時には甘いものを食べると良いといいますが、余裕無くストレス等で食べ過ぎてメタボリック、肥満も多くダイエットも流行っています。甘いものを食べると身に付き又違う悩みが起こる。



お線香やお香を焚く心に余裕の無い人がメタボリックになっているような気がします。

慈悲甘茶香は身に付かず潤いを補充できるので悩みが減り喜びが増えます。


まず心と生活を整えるのにお線香とお香を焚く時間を持つことは有効です。


精神的にも肉体的にも良いので是非上手くご活用下さい。

香りの環境を整え、目で見える環境は赤や黄色が三割、ベージュや白が七割ぐらいの部屋。





お線香侘び寂びの塀寂質素な空間では陽気を失い、言葉に重みが備わります。


子供を教育するのに叱るときには是非苦い薫りのするお線香侘び寂びで詫び寂びの空間を整え下さい。


陽気な薫りがしたり陽気な部屋で落ち着いて勉強しなさいといっても環境が悪く無理が多い。


同じ空間でも香りが変わるだけで雰囲気が変わり言葉の一言一言に重みが増したり受ける影響も様々に変わります。

おみやげを購入する時・・・


好まれ喜ばれる物?相手を察し笑顔を思い浮かべると嬉しい(慈悲)。


香道、お先に・華道・茶道、京都祇園の一見さんお断り。相手を知って応える最高のおもてなし(智慧)。


お歳暮も、お中元も、お土産も、お線香も、墓参りも毎年自分の利便で同じのをする人も多いですがしないよりはするだけましだそうです。


しかし本来は相手に応じたものを考える、思いやりと真心が日本の伝統文化である癒しの「おもてなし」が必要です。


頂いた相手のお返しまで、財布の中身まで察すると大変ですが、相手は渡す人ほどは考えていないといいますので今後の末永いお付き合いへのご挨拶として行っても好いそうです。


ありがとうと言葉のお返しがあり、物のお返しがあれば相手に言葉で返したほうが好い。


相手の身上を察する「思いやり」と誠心誠意、他をもてなす「真心」。
最高の布施は施した相手と施した物を共に忘れること。もてなしが当たり前に出来ていること。


凄いね、有り難うといわれても普通なので何のお礼を言われているのか解からない。

失礼のないように成仏されるご先祖様へ仏様の好物といわれる甘茶の線香「甘茶香」のおもてなし。


有り難いお線香で、それが好物ならなおさら有り難い。



供え養う。苦楽中道(苦と楽の間に道がある)とおなじで、陰陽道でも、心豊かな人、心貧しい人でも人は真ん中に集まろうとするそうです・・・。


和風は落ち着き陰気に、洋風は浮いて陽気になります。

自然の木を使えば高級な感じになりますが、洋風の高価な物は手に入りにくく、簡単で手軽な洋風の物には浮いた安価な感じを与えてしまう。


色も香りも高級にするなら重厚感のある少し暗いめで、一般の人を集めようと思えば薄く明るくすれば良い。



おいで安というように(おいで安いよ?)、安い安価に見える黄色や赤の明るい発する色の店は闇に射した光の色で太陽と間違えて簡単に入り易く、高級な店は光が少なく何事も形式や人が係り難色なのが普通。


若い人と年寄り、陰の人と陽の人、豊かな人と貧しい人、同じ物を強制しているのではないそうです・・・。

若い人は元気を抑えるために黒い服を着る人もいるといいます・・・。

ストレスの排除にエネルギーの発散に世界の楽しい祭りは昇らせて普段を降ろす。


朝に線香を供えていないと罰が当たる、悪いことが起こりそうな気がして心が曇ります。


普段していることをしていないと不安になるものです・・・。


きちんと供えて来ていると、自分は救われ心配なく晴れ晴れと道の真ん中をご先祖様に守ってもらいながら歩けるそうです・・・。



人生にも起承転結、春夏秋冬があるといいますが、冬が近づいて来ると先の事が不安になってきて巡礼や、観音霊場を回り、寺の参拝を始める事がありますが、なにかしているとなにもしていないという恐怖、不安から「こうしているから大丈夫」と自分で納得できて、自分は救われるそうです。


心が病んでいれば何度参っても不安で救われません。



お葬式で意味の解からない経を何度聞くよりも、人生の早い段階でお寺に参拝、又は月参りでお忙しい住職に時間を頂き有り難いお話で経の本当の意味に出合えてそれを人生で活かせる人は幸運で環境が良かった人。



葬式の法話だけでは何も解からない不安な状態にあるので各自読書をして学ぶのが好ましい。


沢山社寺仏閣へ参ってご朱印を集めて自分の達成感を満たすよりもそこで合う人々との繋がりや建物、様々なもてなしを感じるのが善いそうです。

神社で我先にと一番福になった人と途中転んで大変だった人、そしてその人を気遣う人。貴方が神様ならどの人にご利益を与えるのでしょう?


お賽銭を入れる時、どうされていますか?勢い良く仏さま向けて届けとばかりに投げている?

自分の願い以外は何も考えていない?感謝の心で「いつもありがとう」とそっと優しく入れる?

自分が仏様だったらどう思うでしょう?自分の事だけでなく、「相手の事を考える練習」みたいです。

仏さまに投げ付けないように網がしてあるでしょう!前に沢山人がいるのに我先に貪って前の人の頭に投げつけてはいませんか?お年寄りに迷惑をかけていませんか?自分の事しか考えないで我先に賽銭をいれる事が善いのではありません。


そんな人も自分の気は救われますが、智者は獣には近づかないように水と油が交わらないように好い人と出合っても交わらず集まっても来ない。


「遠く後ろからそっと手を合わせましょう。」遠くても仏様は見ていてその謙虚な姿勢に仏様はにっこり微笑むそうです。

そのような人にこそ仏様や観音様などは見ていて、願いを叶え助けてあげようとするそうです。

心の姿勢を正さないと気だけしか救われません。



天に唾を吐けば唾が戻って来ます。お賽銭はアルミニウムや銅も良いですが天にお金を投げればそのお金が落ちてきます。


様々な硬貨も善いですし神聖な霊木で作られたお札は社寺仏閣でも貴重で喜ばれます。

自分が与えた恵みしか自分には戻らないといわれ笑顔でもてなせば笑顔が返って来て、優しい言葉でもてなせば優しい言葉がいつか返って来るそうです。


相手を察して有り難いと思われる事をもてなせば相手から何か返ってきます。アルミニウムでいつも神様と仏様に悪いと後ろめたい思いは心を曇らせます。


落ちているゴミに気付いて通り過ぎても・・・。


心を開いて行えば快晴になります。寒い雪の降る夜にお地蔵様を察して笠をもてなすとお地蔵様から自分のほしいものが届いたというのは相手に先に与えると良いということです。



鯉に餌を与えるのは高いところからだけれど与える人の気持ちが解かる。


鯉に餌の利を与えるのは喜びですが自らが相手より低い位置ではこの世では相手に利を中々与えられはしない。


悪い行いや暗い心、黒や陰は光を吸収してしんどいそうです・・・。


京都のある橋の下では黒いカラスが水辺の上の鉄工にたっていて太陽光を防いでいました。


ずっとたっているのはとても大変そうでした・・・。
太陽を防いで橋の下で生活をしている人も、テントで暮らす人も大変そうです・・・


晴れ舞台の一線で活躍する人も、皆から受ける陽が強すぎてずっとそこにいるのは大変です・・・

川原の木陰では平和そうに鳩が腰を下ろして涼んでいました。



蛇はずっと地について生活しますので黒い陰によく例えられます。


一生地に這って生活することを余儀なくされ、手も足も無く自分の餌を捕る以外は他に利をもたらす事は難しい。(旧約聖書『創世紀』によると蛇はサタンの使いと言われイブに近づき、善悪の知識の木の実を食べるよう唆す。


イブはその実を食べた後、アダムにもそれを勧め、二人は目が開けて自分達が裸であることに気づき、イチジクの葉で腰を覆ったという。蛇は腹這いの生物とされ、女は妊娠の苦痛が増し、また、地(アダマ)が呪われることによって、額に汗して働かなければ食料を手に出来ないほど、地の実りが減少することを主なる神は言い渡した)


悪人も犯罪者も戦争も環境が悪い。自分が救われるために、生きていく為に相手を侵してしまう。



皆が平和になるには環境の悪い人を少なくしないと難しいようです。


周りから危害を受けないで、失敗してもやり直しが何度か効く、安心して学ぶ事が出来る環境。言葉、目、他の危害。



龍は普段は水中にいると想像され天へ昇って陽となり雨(法)を降らせて他を利するのだそうです。


地の蛇と天に昇った龍は赤と緑の関係で正反対の振子式。自利と他利、地と天、陰と陽。


龍には手も足もあります・・・手と足は他を利するためにあるそうです。


人間は人と人の間柄と書きますが網の目のようにそれぞれ他の網が成り立つために役立っているそうで、本当は人々が網から落ちないように縦横無尽に網を巡らせ支えあうのだそうです。


伝教大使が一途を照らすといわれたように太陽の光の当たらない闇の所では皆が照らしあえば闇は無くなる。相手に陰を与える人も環境が悪い。

訪問着と普段着。各宗派の仏像、宗派の仏壇。様々なお線香。言葉使い、作法、それはなぜ良いのか?



なぜこの仏壇なのか・・・なぜこの形が仏様にとって善いのか?なんの為にするのでしょう?


解からないけどこれが一般的に良いと薦め、話も進むので購入する場合も多いでしょう・・・


自分の好き嫌いでなく相手に対する礼儀だそうです・・・。善いものは相手に、周りに潤いを与えます。
自分の行為が相手に影響を与え優しい言葉使いも綺麗な文字も相手をもてなします。



マンションの雰囲気にあった小型の仏壇がありますが、あんまり洋風な奇抜な色や形をしていてはその前では気を静めご先祖様を向き合い自分を見つめる場所なのに明るく軽い色は心が浮いて開放的になってしまい効果を失ってしまう。


そしていつか心が離れる。人生が上手く進んでいるときは善いが悪くなった時に落ちるのは早くなる。



神様や仏様をもてなさない家庭は愛情が生まれにくい。

家族で一緒に行う事で和も深まり何かに守られているような安心も生まれる。

神仏を拝めば様々な時、誰かに見られていてこれは神様か仏様が私を試している?

それともこれは悪魔が誘っている?と思えるようになったり、誰かに守ってもらっているような気がする(同行二人)頼もしい拠り所が生まれる。



表向きに悪いから・・・

物事は皆がしているのでする場合が多くあり(同一性の法則)、なにも考えないでもどうすれば良いとだけ形式が書いてありますが、形式や習慣ではなくこの行為にどんな意味があるのか理解をして今後に活かす事、智慧(挨拶を教えられた通り習慣でするのは羊。相手と縁が出来た際黙っていては不振に思われる敵とみなされると自分で判断し挨拶をするのは智慧)が本当は大切だそうです・・・(般若派羅蜜)

(智慧=背後に存在する大きな繋がりの真理を見抜く。智恵=物事を損得で考える)



宇宙人も敵か見方か解からない時、未知の世界は恐怖の闇の世界。


理解すれば智慧が闇を切り開く。学び知って皆さんにも伝えてあげて下さい。その功徳が周り巡って自分の環境も好くなるのでしょう。



父母がご先祖様にお線香を供えご先祖様を敬う姿は、知らない間に子供達が先人や目上の人を大切に敬う心が生まれ、家族の秩序、親の威厳も自然と保たれ一家の繁栄、家内の平和を保つ意味もあるそうです。


子供を座らせ社会で共に教える事が出来ない事を教える場所です。


命日は仏様の誕生日、自分の誕生日だけ祝うのでなく、仏様の好物『甘茶香』の線香でもてなす事は、見ている子供が、好き嫌い言わず親が自分のためでなくご先祖様の為に供える姿を見て自分中心ではなく己を忘れて他を利する慈悲の心、相手が喜ぶならやってあげようと相手を思いやりと真心、謙虚な心も生まれるようです。



ご先祖様があって今があるという事を理解すれば生まれてこられた事、全てに感謝の心が生まれます。


お線香は、何かしてあげたい焚く人の心を満たしてくれると同時に、明日への希望、お線香をご先祖様に持て成す心と香りは心に潤いを与えてくれます。



神様や仏様を大切にする家庭には、おのずと様々な事から守られて結果幸せが訪れるそうです。


子供などが嫌がっても自分1人で仏様の管理はしないで、一緒に座って家族揃って接待を行うようにしなければ家族の平和は訪れはしない。



共同生活なので嫌がる事を強制すると大変ですが、子供が親が嫌がる事を相手の為に辞めてくれるだろうか?



ただの甘やかしているだけではないでしょうか?現在、環境の悪い子供はあいての為にという心が欠けている。自分の痛みは解かっても人の痛みは他所の火事。


友を愛したり家族を愛すのは普通ですが、、最初思いやりで敵にも家族がいるのだと相手の痛みが解かり殺傷できなかった戦国武将直江兼続は愛を掲げた人。



自分達を救うために相手を十字架に架けてしまう。

次男の家庭でもご先祖様はいるのだから家族一緒に敬い崇拝して思いやりを育む場所が必要。

目に見える解かりやすいものが善い。神様でも善い。


神棚か仏壇を祀って一番は神様、仏様にお供えしてそのお下がりを頂くようにしておかなければ家族の平和は難しい。


そして繋がりあう世界の平和も・・・。

今の世の中で誰かに見られている意識が無いのはご家族で何も祀っていなくて一年に一度お参りするだけの心ない習慣だけの人が、家庭が多いからなのかもしれない。


何も知らない、知らぬが仏という人がいるのでしょう。

年齢を重ねてからだと我が出来て修正が効きにくいので若い内から家庭で培い代々思いやりと真心を育てる方法を家伝する必要がある。


でなければ原因を作った貴方の行いの報いで応じた思いやりと真心のない結果がご家族から自分にも帰ってくる。


家族を愛して他人を愛して国を愛して敵も愛する。敵の都合も配慮して好い最善の方向へ導く。


国や王では無く民を主をする人々にとっては主を盛り上げるために友愛(兄弟間の情愛。また、友人・隣人に対する親愛の情)は他国の友を指す。民は主であり友では無い。


香りを上手く使えば妙薬に、好き嫌い、自分だけ、ご先祖さまだけを大切にに貪るのも地獄への『餓鬼の道』 。


お線香を焚いて仏様が喜ばれるように仏様を精一杯に持て成すのは極楽への『人の道』。


諸仏諸菩薩を供養しひいてはご先祖様の所まで届きますように・・・。


相手の身の上や心情を考えた思いやりと真心の他をもてなす『おもてなし』は日本の世界に誇ることの出来る立派な生活の作法、日本の伝統文化です。人は満腹では墜落し、空腹では磨かれる。


「真心」は。誠心誠意、他をもてなす心。

「思いやり」とは人の身の上や心情について察する気持ち。


仏様に我はなく、好きも嫌いも自分の事は一切何も言いません。


様々な相手を思い、相手の喜びを共に喜び、悲しみを共に悲しみ、相手中心の見返りを期待しない慈悲の心なので、頑張っても悩み苦しまない。自分のことは蝋燭、線香、花のように何もいわず何も考えず無で有り空である。自分はいない。



仏様は何もいわず石のように全てを受け止めます。戦争中やどうしようも無くなった人は仏様のように反論せず聞いてくれるだけの人がほしいそうです。

そうですね。はい。YES、YES、YES。へー。ほー。はるほど。相槌も要らない。

要るとすれば頑張ったんだね、大変だったねと過去を、自分の存在を認めてくれる言葉。



戦乱中に活躍したイエスキリストも聞き上手だったのでしょうか?手をかざせば死人が甦ったといわれるぐらい凄かったそうです。


貧しい人には喜ばれ、権力者でもそうですねとYESを何度もいわれれば相手は優越感で喜びます。相手のお話には【はい】という言葉から入るのが好いでしょう。


人々は手も足も縛られた自由の効かないキリストのように束縛の十字架を見れば哀れみ、悲しみに浸ります。



今人間は昔に比べると両手足は大の字のようにある程度体は自由です。
五山の大文字のように亡くなってから自由になれる人もいます。
お家でも家の真中で大文字で寝るという行為は束縛がなく自由です。
ですが人は何かの不自由な束縛の十字架に架けられている。



十字架は犯罪者と同じように両手足を縛られ自由が利かない状態です。
亡くなると星になるといわれ十字架も燃えると大文字のように自然に戻り☆になります。


十字軍も自分達にとって何かを束縛された自由の利かない状態だったので、自分達の自由と利を求め右手を掲げて立ち上がったのでしょう!移民する人も革命も自分達の環境が悪い時に起す。

このままでは生きていけない空腹の人々は動く。





亡くなって星になった人々。人を表す亡くなった象徴☆は大文字と同じで自然に戻って自由です。



結婚をすると自分の出来る自由は必ず少なくなる。



結婚式に束縛の十字架に『いついかなる時も耐え忍び、二人で助け合い中睦まじく仲良く暮らします』と誓います。互いを束縛の十字架に架ける行為なのに言葉だけで意味も解からず形式だけの人も多い。洞察力があり結婚式の十字架にそんな思いを抱く人は少ないでしょう。


知らなかったでは閻魔大王にも裁判官にも許されはしない。


形式を出来ない生活も大変ですが、孫悟空の頭のリングと同じように神から見て悪いことをした時に結婚指輪が締まれば善いのでしょうか?人間には罪に罰の規制がないといけないのでしょうか。


演じる事が苦痛になったり孔雀のように翼を広げるのが面倒になれば、束縛に耐えれなくなれば離婚し十字架に懺悔して別れを告げ自由になります。


孔雀のように羽はいつまでも広げてはいられない。


自分を良くみせようとすると嘘や言い訳が多くなる。


一番よい状態の翼を広げた美しい姿だけを見せてはいられず、翼を閉じた姿を見る結婚後に冷たくなって当たり前。一番良い状態で出合った美人は飽きるが、好みでない最初から心が高まっていない人には慣れるというように、美人も自分にとっては出逢った頃の新鮮な一番良い状態ではなくなりその頃に比べると落ちたように思う。熱したものは温めていないと冷めるが、元から冷めているのは冷めているのに慣れてくる。



葉は天に向かい、松は季節によって周りが変わっても緑の色を変えたりせずいつも平等である。陰と陽。柔と剛。女と男。


夫婦などそれぞれの個性はそのままで相手の個性を認めて一緒の小鉢にいてくれるのが平和です。


相手が季節のように変わっても相手を敬うことが大切で竹の上下の節のように硬く、お互いを支えながらも自分の領域をきちんともって相手本来の姿を認めてこそ、それぞれの個性が引き立って円満に近づきます。


現在は平和で金銭面でも豊かで、相手がいなくても自分で生きていけるなら耐える事は放棄する場合もあります。

神の前は懺悔する場所なので離婚すれば神の前で反省し土台にすると好いのですが判子を押すだけの人もある。形を求めて形を捨てる。

松のように周りの景色や心が変わろうと、貧しくなろうとも豊かであろうとも、辛かろうと楽だろうと、上手くいこうがいくまいが初心忘れず初々しい癒しの緑を保てるだろうか?

従業員は時間を束縛され、軍隊でも星が沢山付けば行動と考えの自由も多くなりますが、世の中では束縛され自由のきかない人も十字架の前でお祈りする時だけは誰からも束縛のない時間を持つことが出来るようです。貧しい人ほど様々な十字架に架けられている。


神の前でお祈りする時だけは誰にも束縛されず自由である。低所得者こそ束縛の十字架に多く架けられている。


大きな寄付をする人は高所得者が多く、十字架の前で祈る人は低所得者が多い。


選択肢の少ない低所得者は我慢と忍耐を強いられる場合も多く、心を日々鍛錬しなければいけない。


雑草のように咲きはしないが踏まれても生きる生命力。花は枯れるが雑草は茂る。咲くものは枯れるが咲かないものは長い。


苦労からは学ぶことが多く、安逸からは失うものが多い。


失敗しても学びやり直せる人生は環境が良い。


形式だけで意味も解からず気だけ救われる心ない人が多いのはすべて環境が悪い。


生まれた時には清らかだった悪人も、周りの環境、人々などで汚れてしまう。


苦労からは学ぶことが多く、安逸からは失うものが多い。


失敗しても学びやり直せる人生は環境が良い。

形式だけで意味も解からず気だけ救われる心ない人が多いのはすべて環境が悪い。



気を救うのは大切で昔から続く伝統。薬が足らない時、薬ではない物を渡しても病気が治ったというのは有名なお話。


環境の貧しい人に自分の主張を推しつけてはいけません。相槌だけを相手は求めている場合があります。



自由の女神は行動と考えの自由があるそうですが、人々は必ず何かの十字架に架けられ相手を十字架から降ろすのでなく自分達が不便や悪条件の十字架から降りようと相手を十字架に架け戦争は起こる。

Bへ


(トップページへ)



お問い合せ
営業時間
 9:00〜12:00。
13:00〜16:00。

休日
日曜日。第二・第四土曜日。年末年始。盆。祝祭日

  淡路梅薫堂
  アワジバイクンドウ
  Awaji-Baikundou
 
 電話:0799-86-0065
メ―ル:awaji-baikundo@iris.eonet.ne.jp

 住所:兵庫県淡路市江井
事務所:2845-1
 工場:2738-2