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「仏壇にお線香はなぜ立てるの?
お線香は宗教的な仏教儀式の方法の一つの仏具なの?」
「燃えるお線香に意味?仏壇に線香花火?
お線香のマナー常識作法?お線香に仕方や上げ方は?」
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香りは餓鬼、徳人、阿修羅、仏で求める物が違うそうです。
陰に落ちている人は上に昇れる祭りや明るい香りや色を求め、
陽に昇っている人は落ち着いた心を沈める香りや落ち着いた色を求める・・・
心の平和に成れた陽の鳩は、書道や香道、華道を習い静かに心を沈める。
落ちている人にそれ以上沈めると地獄になってしまい、気分で香りを変えて使うのが良いそうです。
供え養う。苦楽中道とおなじで、陰陽道でも人は真ん中に集まろうとするそうです・・・。
百貨店の色でも香りでも高級にするなら少し暗いめで、一般の人を集めようと思えば明るくすれば良いそうです。
訪問着と普段着。各宗派の仏像、宗派の仏壇。様々なお線香。それはなぜ良いのか?
なぜこの仏壇なのか・・・なぜこの形が仏様にとって善いのか?なんの為にするのでしょう?
解からないけどこれが一般的に良いと薦め、話も進むので購入する場合も多いでしょう・・・
表向きに悪いから・・・物事はみんながしているのでする場合が多かったり(同一性の法則)、なにも考えないでもどうすれば良いとだけ形式が書いてありますが形式や習慣ではなくこの行為にどんな意味があるのか理解をして今後に活かす事が本当は大切だそうです。
父母がご先祖様にお線香を供えご先祖様を敬う姿は、知らない間に子供達が先人や目上の人を大切に敬う心が生まれ、家族の秩序、親の威厳も自然と保たれ一家の繁栄、家内の平和を保つ意味もあるそうです。
仏様の好物『甘茶香』の線香でもてなす事は、見ている子供が親が自分のためでなくご先祖様の為に供える姿を見て、自分中心ではなく己を忘れ他を利する慈悲の心、相手が喜ぶならやってあげようと相手を思いやる真心、謙虚な心も生まれます。
ご先祖様があって今があるという事を理解すれば生まれてこられた事、全てに感謝の心が生まれます。
お線香は、何かしてあげたい焚く人の心を満たしてくれると同時に、明日への希望、お線香をご先祖様に持て成す心と香りは心に潤いを与えてくれます。
香りを 上手く使えば妙薬に、好き嫌い自分自分、ご先祖さまだけに貪るのも地獄への 『餓鬼の道』 。
お線香を焚いて 仏様が喜ばれるように仏様を精一杯に持て成すのは極楽への 『人の道』
相手のことを考えた『おもてなし』は日本の世界に誇ることの出来る立派な作法です。
「真心」は。誠心誠意、他をもてなす心。
「思いやり」とは人の身の上や心情について察する気持ち。
仏様に我はなく、好きも嫌いも自分の事は一切何も言いません。
様々な相手を思い、相手の喜びを共に喜び、悲しみを共に悲しみ、相手中心の見返りを期待しない慈悲の心なので、頑張っても悩み苦しまないそうです。
伝教大師は、『己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり』と言い残されました。
自分の好き嫌いでなく仏様の好物を持て成すのは我欲を抑えなければできません。
そして我欲を抑えて、自分の好き嫌いでなく仏さまや沢山の人々に喜んでもらう相手の事を考えた思いやりのもてなしこそこれが慈悲の極みで、「心を清らかにする最高の行為とされ、これこそが清らかな「極楽」に往生できる心を育てる」そうです。
仏様のご馳走® 清浄甘茶香(特大箱180g約540本入)
現在の人々は心の極楽を得る行為ではなく、自分にとって都合のいいように自分が凄く楽なように物事を簡略化するそうです。
その行為は知らぬ間に様々なことから救われていたのを放棄してしまうので、人生の歯車が違う方向に回るそうです。
親の行為で救われていた自分が今は救う番になったのです・・・。子供が嫌がるので・・・それは救う行為でしょうか?子供は凄く楽になりますが心の極楽になるのでしょうか?様々な行事や二世帯住宅。
自分にとってはこんな利便があるが相手にとってはどんな利便があるのでしょう?
昔神風特攻隊(飛行機には行きの燃料しか入ってなく相手に衝突することが目的)に乗った乗組員は最後の夜に家族に手紙を書いたそうです!お元気ですか?私は感無量で喜びが絶えないと!お国の役にたてて幸せだと・・・。今の人が聞くと書かされたのかな?と思うかも知れませんが、思いやりが備わっていれば違うそうです。
辛い悲しい死にたくない。帰りたいと手紙にありのままの心を写すとどうでしょう?家族は一生それを背負って生きていかなければいけません。
親は親ばかといわれるように子供が望むなら子供がお嫁さんの為に二世帯住宅で良いか?と聞くと親は思っていなくてもいいよと言います。それを親が良いと言ったので構わないと思うのはどうでしょう?お嫁さんが中心なのか自分なのか親なのかでまた違いますが・・・
親が子に苦労を見せたり教育していないと、孫や子供も相手の事を考えれず自分中心の子はその報いで自分も年老いた日には老人ホームや寂しい毎日です。それで幸せならよいのですが、人は生まれ老いて病になり死にます。早く行く人遅く行く人、一日24時間あるのが平等でそれを有意義に使うのが仏教の目的だそうです。老いていき人はいつか死ぬというのを見せてあげるのは親の役目だそうです。それを見ていないで歳をとってから知らされても困ります。
極楽それは極みの楽な所。悪人でも行くことの出来る極楽。善人は善いことをしているから善い方向に向かって心も潤っているので駄目になる地獄に落ちる恐怖からも「自分で救われてます」。悪人は悪いことして後ろめたい、心が病んでいるので自分では救われませんが、悪人はあなたでも救われると言えば「相手に救われます」。亡くなるとこの世の悩み苦しみから誰でも救われ極みの楽だが、そんな人は極楽では阿弥陀様に今度は人を救うお勉強をさせてもらうそうです。
(悪いことをしてもしたと思っていない人は救われています)
花祭りに注ぐ甘茶は、仏になられたお釈迦様・ご先祖様の好物です。
お線香の『甘茶香』は仏様の好物です。
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仏様の国の人々は仏の世界の中心須弥山から取れる苦悩の去る不老長寿(万病の霊薬)の甘露を飲みます。
その甘露の代わりに花祭り(お釈迦様の誕生日)に注いで誕生を祝うのが『甘茶』です。
生きている間、人間はあらゆる煩悩に悩まされます。花祭りに注ぐ甘茶はその煩悩を洗い流すと共に、長寿を授け、厄除け災難と心を洗い清める意味があるそうです。
亡くなられ、六道輪廻の輪から抜け出す事が出来て仏の世界)の住人となられたご先祖様はこの世の好き嫌い良し悪しの執着・煩悩から解き放たれ空のような心で悟りを楽しまれ過ごされているそうです。
人はあれこれどれが好きというと必ず嫌い苦手があり二つで比べているそうです(比較検討)
太陽が好きならば月や別の星にあんまり好きではないのがあります。
(関心の無い物にも比較はしませんが・・・それら全体を指す空には比較するものがなく超越しているそうです)
お父さんお母さんお婆さんお寺お坊さんお線香、お月様、お昼。御とは尊敬、敬意を表します。お朝お晩とは言わないように、ピラミッドの中心に太陽がくるように、太陽が空の中心に来る昼には様々なことで苦労した昔の人は敬意を込めて感謝したのでしょう?
仏様の世界に住むご先祖様に『甘茶』はご馳走です。仏様のご馳走【甘茶香】
普段はご自身の好きな香りでも、生きている人も誕生日にはご馳走を頂くように命日は仏様の誕生日です。
主役の仏様の好物でもてなしてあげましょう。
お仏壇は仏様の住まいと言い、仏具のお線香は食事だといいます。
新盆初盆には特に心を込めてもてなしてあげましょう。
お線香の上げる作法は自分の好みや自分中心ではなく、仏様の身の上や心情を考えてどうすれば喜んでもらえるのか?
思いやりの心で持て成すのが【ご先祖様へのマナー】です。
お線香の香りや種類が沢山あるのはなぜでしょう?仏様は好きも嫌いもなにもいわないのに・・・
「お線香も自分の事は何もいいません。自分を犠牲に隅々まで行渡り、人々を平等に香りで持て成し人の喜びを共に喜び、お線香は仏のように与えきりで慈悲の極みです。」
お線香は一度火をつけると最後まで燃え、我が身を燃やして人々に癒しと香りを持て成しますが、
仏様も釈迦力に自分のエネルギーを燃やして、様々に現れ人々を癒し、利益と幸せを与えてくれますのでお線香を焚いて祈りと感謝の心を供えます。
仏様だけでなく 『ご先祖様も助けてくれているのかもしれません。』
『この文章中に出てくる 六波羅蜜 とは?』
世界には昔から宗教によって様々に神様、仏様へ祈り・感謝を伝える方法があります。
香り、生贄、儀式など沢山ございますがそれはなぜでしょう?
@安心(気がかりなことがなく 心が安らぐこと) |
A普通 |
B不安(悪いことがおこりそうで
気がかりなこと) |
幸福(不平や不満がなく
心が満ち足りていること) |
普通 |
不平(満足できなくて不愉快に思うこと) |
| 幸せ(幸運に恵まれて、心が満ち足りていること) |
普通 |
悩み(精神的な苦しみ) |
| 楽しみ(楽しいと感じる物事、先のことに期待をかけて心待ちにすること) |
普通 |
苦しみ(苦しむことまたそのときに
感じる苦しい感じや思い) |
喜び
(喜ぶこと、またその気持ち) |
普通 |
悲しみ(悲しく思う気持ち) |
| 救いたい |
普通 |
救われたい |
| 求められる |
普通 |
求める |
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☆満たされている(満足)
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☆どちらでもない(普通) |
☆満たされていない(不満) |
幸福=不平や不満がなく心が満ち足りていること。 幸せ=幸運に恵まれて、心が満ち足りていること。 幸運=運のよいこと
運=人の力ではどうにもならないめぐりあわせ。
めぐりあわせ=人の意思とはかかわりなくめぐってくる運命。
縁=運命として定まっているめぐりあわせ。
運命=人の力ではどうにもならないめぐりあわせや人の身の上
Bの谷に落ちている曇りの人が@の山に上がると@の快晴になります。それはなぜでしょう?
良い悪いでなくて「素晴らしい」と思うからだそうです。素の晴れで素晴らしい!
素晴らしい=感銘を受けるほどすぐれているさま。見事、素敵、理想的。
感銘=忘れられないほど深く心に感じること。そこにねたみ心は生まれません。
素晴らしいと感動(物事に特別な意味や価値を感じて強く心を動かされる)を沢山するといいそうです。
「甘茶のお線香で感動を覚えることが出来るのだそうです。」
普通に毎日供えていたお線香にもこんなに深い深い意味があるそうです・・・
| @山 |
A平地 |
B谷 |
| @明るい陽色 |
A普通 |
B暗い陰 |
| @見える |
A普通 |
B見えない |
| 元気 |
普通 |
病気 |
| 快晴 |
晴れ |
雨、曇り |
| 勇気 |
普通 |
挫折 |
| 足りる |
普通 |
足らない |
| 十分 |
普通 |
不足 |
| 教える |
普通 |
教えてもらう |
| 出来る |
普通 |
出来ない |
| 栄える |
普通 |
衰える |
| お金持ち |
普通 |
借金持ち |
| 余裕 |
普通 |
困る |
| 裕福 |
普通 |
貧しい |
| 成功 |
普通 |
失敗 |
| 幸せ |
普通 |
不幸 |
| 黒字 |
真中 |
赤字 |
| 勝利 |
引き分け |
敗北 |
| 極楽 |
人間 |
地獄 |
| 綺麗 |
普通 |
汚い |
| 美味い |
普通 |
不味い |
| 恵み(ご利益) |
普通 |
天災(たたり) |
| 当たり年 |
普通 |
厄年 |
| 生 |
普通 |
死 |
| 向上 |
普通 |
衰退 |
| 若 |
普通 |
老 |
| 潤う |
普通 |
汚れる |
| 高 |
中 |
低 |
| 似合う |
普通 |
似合わない |
| 便利 |
普通 |
不便 |
| 忙しい |
普通 |
暇 |
| 簡単 |
普通 |
難しい |
| 良い |
普通 |
駄目 |
| 好き |
普通 |
嫌い |
| 新しい |
普通 |
古い |
さて人間はどちらにいると色々な新しいものを求めるでしょうか?救われたい助かりたいお金持ち幸福になりたい。
求めるのはBになったときに@を強く求めるそうです。
夫婦でも心を新鮮に保てば長持ちするそうです。緊張感が鮮度みたいです。
一緒にいるのが当たり前になると鮮度は落ちます。
今のココロはどこにいるでしょう。
物の販売で考えれば不便を感じていない、今で便利と思い満足している人@には、よっぽどこれだともっと便利になりますよと提案出来なければ求めていないので売れません。
逆に不便を感じている人Bは求めているので購入しやすいのだそうです。
人間は普段なにかしらのB悩み、苦しみ不安を抱え逃れて@幸福、楽、安心を求めているそうです。
もともと人間はだれしも死に向かって老いていく苦しみがあり、他に日常では悩みがありそれを逃れるため人は賢い人は晴れを作ります。お寺が作った祭りや祝い事などもそうですが人は日常の生活から離れ悩み苦しみを忘れたいのです。
祭りでハレを作る人もあればショッピングの雰囲気を晴れとしたり、晴れ舞台のために用意して満たされる人もいます。
服でも今で満足していれば求めませんが、満たされないのでもっと良いのを求めます。
普通にいれば冷静ですが、谷が深ければ深いほどそれに反比例して山を大きく求めるそうです。
安心出来たり満足を得られている人@は心がもう救われているのであまり行動を起こしませんが、不安、悩み苦しんでいる人Bにこうすれば救われるもっと良くなると提案すればそれによってその人は救われます。「お金持ちになりたい」と黄色の財布を購入する人もいますが、本来の志とは違い黄色の財布を手に入れて満足しお金持ちになっていなくても救われている場合もあります。
(これは病のある人に3ヵ月後にはもう駄目ですよというとその人は悩み苦しみますが、こうすれば良い、とか大丈夫ですよというと三ヵ月後に亡くなってもその人は救われているのと似ています。)
こうすれば救われる。一つだけ願いを叶えてくれるなら・・・願いが叶わない恐怖から救われそれにチャレンジすることができる。それがお守りか祈祷か占いか世にも珍しいお地蔵様なのかなんなのか、願いは三つは自分で解からなくなるので一つだけ・・・。心に暗示をかけるだけ!
お線香も毎日ただ供えているだけ、お参りするだけでも良いと思えている人はそれで様々なことから救われています。
悩める人を救う側にいるお医者様。助けられる病人。年老いた人や、上から入れる洗濯機が不便と感じていた人も多いはず、斜め式がその問題を解決してそれを救い大ヒットしました。人の心を満たす電化製品。電化製品によって満たされる人
救う側にはお金が入るが救われる側はお金が減ります。@に成りたいならば救う側にならないとならないそうです。
人を助けたり教えたり楽しみを与えたりする行為は心が満たされ潤い幸せです。
救われたい、満たされたい人は自分がどこまでいっても満足できません。満たす側、救う側にならないと。
@の言葉は心に潤いを、Bの言葉は心が汚れ潤いを無くします。
『もどれもどれ生まれた頃の純粋なココロ、あらゆる困難に立ち向かう勇気に満ちたあの頃のココロ』
Bの状態にある人を救うには相手を否定すると話をうけつけなくなるので違うと思った話でもそうですねと話をあわせてそのあとで提案するのが良いそうです。こうすれば救われると・・・
占いや高額の商品を販売するときや心を射止めるときなどにはBの状態にあるのはどれなのか聞き出し、このままではいけないと相手の身になっているように不安をあおり(揺さぶり)、こうすれば良いと提案すれば谷が深いので喜びも大きく信頼を得るらしい。
(例えば奥様が料理を作ってくれた際に塩が多いなと感じた時でも、鬼のように最初に塩多いねと言うと心が普通AにあってもBになる、聞く耳も持たないかもしれません。
せっかく作っているのですから最初から駄目だしはしないで、まず美味しいねといつもありがとういったあとにもう少し塩を減らすともっと美味しいよと話すといいそうです。不味いとかBの言葉は使わない方が善いらしいです。料理を作った奥様の心も言われる前からAではなくBにあるかもしれませんし・・・)こうすればもっと良くなるよ/これはあらゆる所で応用されているそうです。Bの人には効果的です。
駄目だろうなと思えば駄目になりますし、自分で自分をコントロール(自分は幸運なのだとツキがある、出来ると@を心に言い聞かせたり)自己暗示して救われる人もいれば、お守りを持ったり呪文を唱えたり、こうすれば救われると他人や仏様に救われる人もいます。
救われたいと思うのがBで、救う側に多くいるのが@です。仏はその人をBから@に向け救うのだそうです。
@にいる人は人脈もあり、満たされていて上手くいっているのであまり考えませんが、売れないときこそ智恵がでるといいますが、なにかしないこのままではいけないと思っているBにある人こそ一生懸命になれる、ハングリーなるので考えて智恵がでる場合もあるそうです。ココロが汚れてくるのでBの言葉は発しないで@の言葉を何度も発すると回りも自分もやる気が失せず明るい未来が待っているそうです。
昔武田信玄やその他の武将が神社や寺院で必勝祈願をしました。現在は受験や就職活動の人が祈願しています。このようにすれば大丈夫!戦で負ける恐怖、死ぬ恐怖からそうする事で人は救われたようです。現在も様々に落ちる恐怖、フラレる恐怖、駄目になる恐怖、断られる恐怖からも救われるのです。士気をあげる方法に使われていたようですが、無くなると悩み苦しみを生むので無くならない物を心の糧にした方が良いそうです。
戦場は上の人が下の人を救うのが楽なように、上から下に攻める方が気分的にも体力的にも楽です。人生の戦場も自分を@に昇らせないとしんどいのだそうです・・・
野球選手でもピンチになった際には100%の力が出ません。精神的なもので打たれたらどうしよう?悪いイメージが過るもの。ランナーが気になる未来が気になる・・・。そんなときにはご自身でおまじない。先の事は考えても仕方がないので、プラス思考でこうすれば大丈夫良い結果で終わるイメージを持ち、呪文でもお守りでも家族でもなんでも自己暗示。こうすればこうなると良いイメージすれば勇気が得られます。そして打たれた際にはこれだけで済んだと自己暗示。人生も大丈夫、良い良い良いとプラスの思考で100%楽しみながらいくと良いそうです。(交通事故もそうです)
お線香は古くから「信心の使い」と言われ香をたくことによりその香りが心身を清め、自らの内にある仏性(仏の種)を目覚めさせるとされています。
また線香は「仏の使い」と言われ、浄らかな信仰の真心が香の煙にのって仏さまに伝えられる方法といわれています。
参考資料 鎌倉 住職
仏様の喜ぶ 「甘茶香」 は、貪りの心から仏様が衆生を救うために仏の使いとして姿を変え現れた 「仏の化身」 です。
礼拝場のお寺に行った際、本堂へあがる前にお線香の煙を全身に浴びる意味は何でしょう?
仏様は清らかな物 『清浄』 を好むといいますが、それは植物 『花』 であり 『香』 であり、 『灯』 であり 『水』 であり 『米』 であり仏さまを大切に想い、自分に出来る精一杯の持て成し、こうすれば喜んでもらえるのかなと御供えしようとする清らかな心『思いやり』 と 『真心』 が仏様の 『好物』 です。しかし 生臭い、「生の物」、動物 『肉や魚』 、『怠け心』 は好みません。
生物や動物には生みの親があり家族があり沢山の生命を頂く、仏性を煩悩の垢で覆う人間は「不浄」な生き物で、その汚れた息が直接 「清浄」 を好む仏さまにかからないように、お線香の煙で「心身の汚れの煩悩と生臭い息を清め」ご本尊様の所へ行きます。昔は人間に近い四本足の生物を食べてはいけない時期もありました。
「美味しい」ので食べれば良いのですが生物を頂く際には 『感謝』 して頂きましょう。心が潤います。
お釈迦様は全ての生物は仏に成れるといったそうです。植物も動物もそうですからそれを頂戴して生かして頂いている訳です。
「生命」を頂いているのを考えれば 『頂きます』 『ご馳走様でした』 という言葉が自然と生まれます。
人は現在支配されていないので自由がききますが、宇宙人などに支配されて養殖したり何県産が美味しいなど、自分や親類が食されるなど人で考えれば集団生活をする動く物、動物も食べられたくはないでしょう。
鳥又は、足の無い魚は「絞める」といいます。
極楽にいる極楽鳥は 「六道輪廻から抜け出せた鳥ではなく阿弥陀様が姿を変え」 皆に人を?救う教えを説いているといいます。
「この世にいる鳥、豚、牛、生物も阿弥陀様?お釈迦様が姿を変え現れている」 のかもしれません。
そして仏に救われる側でなく、救う側に早くお成りなさいと教えているそうです。
「法華経ではこの世のあらゆる所に仏様を見ることができる」 といいますが、この世でもあの世でも現れて教えてくれているのかもしれません。
淡路梅薫堂に毎年来る 「燕」 は悪人と違って、嘘をついたり他の燕をだましたり、様々な煩悩があるように思えません。
本能、習慣だけで毎年やって来て「生きていく事だけに必死な姿」や、(恵まれない、治安の悪い所に住んでいる人は、自分が生きていくことだけに必死です)自分のためにでなく我が子の為に餌をとってくる姿は己を忘れ他を利する与えきりの 「慈悲」 の極みの心に見えます。とても幸せそうです。
お住職様も聖域である本堂へ上がる前には、お香(漢方薬)を粉末にした塗香で心身を清めます。
伽羅や沈香、白檀のお線香などは仏様に香りを供養・献上する意味、汚れを除く意味、浄土を再現する意味などがあるそうです。
仏の使いと言われその場を 「厳粛な空間」 に変え人々の仏性、仏の種を開花させ仏ゴコロを導こうと現れたものだそうです。
仏壇の花、お寺の庭園、美しい景色なども、人々のほとけ心を目覚めさせ、安らぎを与えてくれる切っ掛けになるそうです。
お線香の主成分「漢方薬」には鎮静作用(気を静める)の効能がありますので、
心を落ち着かせ悩み・苦しみのない悟りの境地(極楽浄土)へご自身を導くのを補助します。
お釈迦様の言われた 「香は部屋の中でたきなさい。そしてその中に入り気を静めて、無の境地になりなさい」も実践出来るのです。
一日の終わりに香を焚き、何も考えない時間を三分持って見て下さい。(禅定波羅密)
大切な方を亡くされたご家族の場合、 「心の悲しみ」 が少しでも平安になって頂くように漢方薬の沈香や白檀のお線香で 「心を穏やかに気を沈静」 させて下さい。
高価な値段の線香、伽羅のお線香が一番の供養?
線香はご自身の好きな線香?ご先祖様の好きな線香?
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「そんなことありません。」
奈良薬師寺の 「高田好胤」 和尚は 「お線香は良い物を使いなさい」と仰ったといいます。
良い物とはどんなものでしょう?値段?自分に?仏様に??相手に???線香????誰に善いのか?????
お金があれば値段の良い線香を供えてあげれば結構ですが、仏様の好物は相手の事を考えてどうすれば喜んで頂けるのかを考えた、相手を大切に思い身の上や心情を察する思いやりでもてなす清らかな真心です。お寺様の身の上を考えればオイルのお線香は経を読む際にのどにかかるそうで、好まれる天然の沈香のお線香ならば経を読む際にのどにかからないのでお寺様には喜ばれますし、ご先祖様にはその人の生涯と生き方によっても喜ぶ物は違ういます。自分でなく相手の事を考えられるご先祖様の喜ぶ事は残された方が人々を助ける悩み苦しみのない『幸せの船』に乗って明るく過ごしてくれることだそうです。相手の身の上を考えるだけで人は幸せになれるそうです。
無理はせずとも、自ら進んでなにかしてあげたい!頂き物のまんじゅうを供えたり、朝一番のご飯を先に供えてあげる。
人間も古い水は飲まないように仏様も新しい水や茶に変えてあげると喜んでもらえるかな?と人それぞれに価値観やものさしが違いますので自分で考えられるもてなしをしてあげてください。仏様が来られて夕方になれば水や茶が無くなっていてその水を飲まれるわけではございませんが、仏様は相手を大切に思う気持ちの 『真心』 を美味しく召し上がられます。『仏様の食事は、思いやりの心でもてなす真心です』。仏に成ることが出来たご先祖様にはお茶の代わりに甘茶でも喜ばれるでしょう!
仏様の好物 「甘茶香」 でお誕生を祝ってあげると喜ばれることでしょう。
頂き物のまんじゅうを供えてあげると夜には一つ減っていたなんてことはありませんが、仏さまに先に供えて頂く、お線香やご飯も先に仏さまに供えて頂く、香りやご飯やまんじゅうを頂いているのはご自身ご家族 「生仏」 です。この行為をする事によって謙虚な心も芽生えます。お墓をたわしでこするのをやめて布にしてあげるなどそんな優しい心、心から仏様を大切に思ってあげる 『清浄』 な心が、相手を思う思いやりと真心が一番の供養、「仏様のご馳走」になるそうです。
『仏様は何も言いません』 何も言えないのかもしれませんので特に考えて大切にしてあげて下さい。
神通力を使いご先祖様を探して見ると、目連の母のように人間界で自分の好きな物(我が子・家族・自分の仏様・自分)だけを貪って、餓鬼道にいるかもしれません。
それを救うのは布施行やお持て成し、ご自身が餓鬼道に落ちないのも布施行やお持て成し。貪らず他人の喜びを共に喜ぶのは 『人の道』。
自分の仏様だけを大切にしないで、お線香もお釈迦様、諸仏、諸菩薩に供養し、ひいてはご先祖様の世界にも届きますようにと持て成して下さい。
仏様の好物、仏様のお誕生をお祝いするお線香 「甘茶香」 で初盆や法事に伺う際には 「沢山の仏様、又ご縁のあった方々を盛大に持て成してあげて下さい。」
仏様の喜ぶ甘茶香。送るときには相手の喜ぶ顔を思い浮かべれば楽しくなります。
お線香を供えてあげようとも仏様は「ありがとう」とも「美味しい」ともいいません。
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伽羅のお線香をあげるときなんて「一万円 」もしたのに・・・仏様はなにも言いません。
お中元やお歳暮をお世話になった方へ送ると『ありがとう』というお礼の言葉が届きます。
お釈迦様は「布施行」を皆に勧めました。
良いものには 見返りを期待しない 慈悲の心を持って、皆様に勧めたくなるものです。
『己を忘れて他を利するのは最高の慈悲の極みなり』 伝教大師 最澄
お釈迦様は施しがたい物(大切なもの)ほど施す方が良いと申されました。
大切にしている物程無くなった際に悩みを生み、そして苦しむからです。
お線香を供えるのは施し、布施の精神。仏様は何も言ってはくれませんが勿体ないなど思わず 物惜しみの心を捨て 仏様が喜ばれるならと進んで仏様や世間の為に骨を折るそんな柔和な心の人には仏様があらゆる所に見えるそうです。
相手が喜ぶならと大切に思い持て成す与えきりの慈悲の心を頂く修行でもあります。(布施波羅密)
「お中元お歳暮」などにもいえます。
お釈迦様は全ての物には形が無くありとあらゆる物が互いに関係しあい成り立っていて、人にも我は無く全ては 「空」 であると説かれました。
自分中心でなく、他人も大切に出来る 「もっと大きな空のような心」 で全てに接しなさいといいました。
人は執着によって良し悪し などを決め悩み、そして苦しみます。 学歴・収入・線香・香りなど・・!(無明・貪愛)
心に好悪を起こして執着してはならない。好むこと、嫌うことから悲しみが起こり、恐れが起こり、束縛が起こる。
自分の好きなお線香の香りに執着し餓鬼餓鬼貪れば大切なことも見えず 「餓鬼道」 へ、
お線香の香りは上手く使えば妙薬になります。(妙とは仏教で最高の状態を指します)
川は人にとっては川と見えるけれども、貪りの世界に住む水を火と見る餓鬼にとっては川とは見えない。
五官(目・耳・鼻・舌・身)の戸口を守らなくてはならない。
あの人にとっては大切な物。この人にとっては要らない物。私には「良い香り」でも、あの人には「嫌な香り」のお線香。
「良いお線香と言っても住む世界と、人の好みによって違います。」
ご先祖様はこの世の好き嫌いの執着を一切経たれ、極楽で教えを楽しんで聞いておられるといいます。
仏さまに成られた 「ご先祖様の好物」 は清浄なものです。どうすれば喜ばれるでしょうか?
人間の智慧で「相手の状況を考えた思いやりと真心」で盛大に持て成してあげて下さい。
値段の高いお線香が本当に良いお線香でしょうか?
自分の好きな香りが良いお線香でしょうか?
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人間は「好き嫌い」で物事を判断します。仏様は「特徴」としてみるそうです。
大きい家、小さい家。良い悪い。大きいのはうらやましいなと良いと考えがちですが、大きい家には大きい家の小さい家には小さい家の良し悪しがあります。
良い悪いはねたみや嫉妬の心を起こします。素晴らしいと思い、感動するのには向上心が湧く。
同じ場所で生活する場合どうすれば良いのでしょうか?夫婦でお線香を使う場合どちらの好みのお線香を毎日使えば良いのでしょうか?若い方がお線香の香りを嫌がるので・・・私も幼いころは好きでなかった?
夫婦でも好みは違うように、もっと大きな心で、相手のことを考え耐え忍ぶ(忍辱波羅密)ことも大切らしいです。
お爺さんお婆さんは昔を振り返り話します。「物のない昔は、花祭りに水筒を持っていき仏様に甘茶を注いでお誕生をお祝いしてそれを貰って帰り美味しく感謝して頂いたものだ。最近の若い奴は自分中心で好きや嫌いやいいよる。
飲み物や沢山の物が揃う現在の人々が飲むとあまり美味しい飲み物ではないが、仏様に供える好き嫌いを超越したものだ」
自分の好きなもの手に入れ、自分の好きなことが出来る現在は犯罪も多発しています。
自分中心でなく仏様が喜ぶなら、相手が喜ぶならと相手の身の上や心情を考えることが出来る思いやりの心があれば犯罪も起こりません。
最近は様々なお線香がありますが、仏壇で仏様を大切にもてなす行為は知らぬ間に息子や孫などの子供達もそれを見ていて謙虚・感謝・思いやりの心が養われていくのだそうです。
仏様のお誕生を祝う甘茶のお線香には、ご先祖様やご縁のあった方、それとご自身が仏と成ってお誕生を迎える事が出来るように人々が「思いやり」と「真心」を養い幸せになっていくのだそうです。
そのお線香にはどんな意味があるのか?焼肉好きだったから焼肉の香り良い?仏様の食事?相手は?自分は?
お釈迦様は見に見える色欲に流されてはいけないと言ったそうです。色は良い香りを発するが、それは幻で散っていく。悪魔の投げた餌であると・・・
仏様はどうすれば喜ばれるのか?見返りを期待せずに心から仏様を大切に思い相手の身の上を考え、物事を利益で判断しない利益でなくあらゆる現象の背後に存在する (この行為にはどんな意味があるのか?)仏壇も沢山ありますがなぜこの仏壇が私の宗派に良いのか?お経にはどんな意味があるのか?
自分に起こった目の前にある事をなぜと考え真実の姿を見ぬく正しい判断、正しい智慧(般若波羅密)を身につけましょう。
「お線香を焚くのや仏様をもてなすのは相手のことを考えるなど様々な修行にもなるそうです。」
『現在、仏様やご先祖様はなにも言いませんが、色を五感で見る生き仏様には好みがあるので様々な線香があります。』
生き仏様を満足させるのにお線香屋さんも苦労しているようです・・・
お釈迦様の教えに苦と楽の間に道がある苦楽中道という教えがございます。苦と楽の間に道があるという教えで、
苦悩を除く仏様のご馳走甘茶香を焚き、気を静め無の境地になる事が出来たならば
香りは良くも悪くも無く平らになり、仏様と同じように一つの特徴と感じ、好き嫌いの執着を超え悟りへの近道。
感謝とご先祖様に供える気持ちだけが残ります。
最高の功徳とはどのような善行も自ら進み喜んですることが出来る。善いことをしても善いことしたと思わずその行為が知らない内に普通にできていることだそうです。
香りや善行にも見返りを期待せずに相手が喜ぶならと、自然と相手の喜びを喜ぶ 慈悲の心 はきっと生まれます。
ご自身が無の境地になるのを 「沈香」 などは補助しますが、座禅を組んで無の境地に成ったお寺様が 「あーいい香りの線香だな」なんて雑念はありません」
香りに本質があるのではなく、その奥にあるものを得ないといけないそうです。
心・精神を保たれたお寺さまは良い香り悪い香りなど思っても言いません。」
線香は一度火をつけると最後まで燃えるように、一度やり始めると最後まできちんとする。
お線香は我が身を燃やして受ける恵みは違えど人に癒しや安らぎを、与えきりで自分の事は何も言わず香りを平等に持て成すように、自分のエネルギーを燃やして、周りの人々を笑顔と元気でヤル気を持て成し、
損得でなく、会社(城主)のお役にたてれば、皆様のお陰で仕事ができているという感謝の志で働き、働けることに感謝して会社(お城)に皆様に利益という癒しをもたらすこと。お線香はこれだけしたとはいいませんが、人は利益がでて還元されると喜びますが、負債が出て減額されるとヤル気をなくします。会社はそれで100lです。
(今の会社は昔で言うお城の制度と似ています。いつの時代も本質は変わらないのでしょう)
毎日のお勤めにお線香をあげる本数は一本・1本?三本・3本?
線香立て方あげ方は?
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葬式の時に線香を焚いている本数が一本なので、亡くなった時だけ一本?と思われるかたも多いようですが・・・
宗派により線香の上げ方や方法・本数が異なるようですが、基本的に浄土宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗は線香は1本で、天台宗と真言宗は線香は3本というのが多いようです。
最近の自分は30分も拝まない。お茶も飲まずに 「お寺様は10分ぐらいで帰る」 という方や危ない(お線香は危なくはないです)と思う方は、半分に折り時間と香りの強さを調節してお使いください。
浄土真宗や創価学会は短いお線香を横に寝かせて使います。(香炉に納まらない、長いお線香の場合は半分や三本、四本に折る。)
一本の線香に心を込めて仏さまにお供えしても喜ばれると思いますし、
三本の線香の場合、仏(お釈迦様)法(その教え)僧(その教えを正しく伝えるもの住職他)三宝に感謝して使う場合、
過去・現在・未来へ供養する場合、「仏様の数だけ」供養する場合もございます。
有縁仏・無縁仏・ご本尊様にお供えする、人間の貪り・怒り・愚かさの三悪を懺悔するために線香は三本ともいわれます。
「仏様は相手を思いやる真心を食される」そううです。元々はお焼香、香を焼いて祈りを供えていましたので線香の本数に関係なく感謝の気持ちでこの心がわけ隔てなく 「ご先祖様の世界にも届きますように」 と 「心を込めて」 焚かれると良いでしょう!お焼香の回数も同じです。
人間と同じように仏様の大切な日には仏様をお祝いする線香『仏様の好物甘茶香』で祝ってあげると喜ばれるでしょう。
お寺さまも線香の本数は一本でも三本でも良いと言います。線香の本数や香りを仏様は頂いている訳ではありませんので『線香の本数や仕方に関係なくこの『心』がご先祖様の世界や諸菩薩にも届き、皆が幸せになれますようにと真心込めて使ってあげて下さい。』
お線香の灰はどうすれば
善い?(道徳的によい、善い人、善い行い)
良い?(一般的によい、良い習慣、品質が良い)?塩?
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最近では「灰の少ないお線香」など出てきましたが、お線香の灰はどうすれば善いのでしょうか?完全に消滅させれば良いでしょうか?
人で考えると善いそうです。使うだけ使って 「成功すれば」 「灰になれば」 「溢れてくれば」 ゴミ箱に捨てる。それは良いことですが善いことでしょうか?
ご先祖様もお墓の中で灰になったりお墓の骨が溢れてくればゴミ箱に捨てなくてはいけません。
お墓にお水をかけるのは、本当はご先祖様の骨を早く溶かして自然へ戻してあげる意味があるそうです。
線香の灰も同じように 五大要素(火土水風空) 自然の流れに還元してあげると善いそうです。 「燃(火)やしてあげる」 「自然(土)に戻してあげる」
「自然の川(水)に流してあげる」 「大気中(風)の仕組みに流してあげる」 「大空(空)の一部にしてあげる」
線香の灰がたまってくれば「近くの お寺に行って香炉 に入れてきたり近くに自然の河があれば流してあげる 」 のが道徳的に善い作法だそうです。
清めの塩を灰の変わりに使っても善いでしょう!
例えば白檀木を飾っていると 『置物』で す。分割(チップ)にして香席やお茶席でお客様を持て成しに使うと 『お香』 です。
粉末にして袋に入れると 『匂い袋』 です。炭の上でお葬式や仏壇で焚くと 『お焼香』。
もっと細かい粉にして体に塗れば 『塗香』、 粉の香を線にすると線状の香 『線香』。 ものは同じでも、用途場所によって呼び名が違います。
昔は仏様に香の粉末を燃やして 『祈り』 を伝えるお焼香として供えていました。
香を線状に固めて燃やすようになったので線状の香り 「線香」 です。火種が要らずご自身に便利なので主流になりました。
最近ではお線香にも 『仏様の喜ぶ甘茶香』 『香水香』 など様々な種類のお線香が出てきましたが、
仏さまご先祖様に 『祈りと感謝』 の 「心を込めて真心が届きますように」 と 「仏様をもてなす」 一つの方法が 『お線香』。
ご自身が 『楽しむ時やお客様を持て成す』ときは 『お香』 です。
竹に火薬を付けて先端に火を点して皆様で楽しむのは花火です。供えると身の上を考えると仏様はどう思うでしょう?
自分が喜ぶのでなく仏様がどうすれば喜ぶのか考えないといけません。
お線香を半分に折る、それをご自身が楽しむ時やお客を持て成す際に使用するとそれは 『お香』 です。
お線香の長さで香りの強さを調節してお持て成しください。
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