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例えば、ヒマラヤ山に貴い薬があるが、それは深い草むらの下にあって、
人びとはこれを見つけることができない。
昔、ひとりの賢人がいて、その香りを尋ねてありかを知り、
樋を作って、その中に薬を集めた。
しかし、その人の死後は、薬は山にうもれ、桶の中の薬は腐り、流れるところによって、その味を異にした。
仏性も、このたとえのように、深く煩悩の草むらに覆われているから、人びとはこれを容易に見つけることができない。
いまや仏はその草むらを開いて、彼らに示した。
仏性の味は一つであるが、煩悩のためにさまざまの味を出し、
人びとはさまざまな生き方をする。
心の粗金を溶かして、煩悩のかすを取り去ると、
どんな人でも、みなすべて同一の仏性を開き現わすことができる。
「自分中心の煩悩は人の生き方によって様々な味がしますが、
『仏様の喜ぶ甘茶香』を供える相手中心の慈悲の心は皆、同じ味がします。」
参考資料 仏教聖典
(お線香お線香お香/淡路梅薫堂 最初の画面へ)
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