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お線香マナー常識、お線香の意味、 線香臭いと,方法お線香の上げ方あげ方あげかた。線香仕方と本数、作法と種類について |
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淡路梅薫堂 株式会社 -Awajibaikundo- |

お線香は仏様の食事といわれますが・・・?供養とはなにでしょう? 供養とは供え養う。ご自身、ご家族の日常の疲れた心と身体を供え養う。 供養とは仏さまがどうすれば喜ばれるのか?相手の身の上や心情を察する思いやりの心、誠心誠意他をもてなす真心を供え養う・・・ 鯛は正月が嫌いで七面鳥はクリスマスが嫌いだそうです・・・相手の心情や身の上を察する。 喜ぶものがいれば必ずどこかに悲しむものもいるそうです・・・。 仏様の好物は華・香・灯だそうです。 その三つは自らを犠牲に他をもてなすものばかりです・・・ 仏様への思いやり、仏様への真心。 香りは餓鬼、徳人、阿修羅、仏で求める物が違うそうです・・・ 陰に落ちている人は上に昇れる祭りや明るい香り、色を求め、 陽に昇っている人は落ち着いた場所、心を沈める香りや落ち着いた色を求める・・・ 自分の環境、心で自分の色の物を求める。 水は動きがないと腐ってしまう、世の中も動きがないと・・・。 破壊は寺が燃えた跡に復興するように、江戸の町が幾度と燃え再興、再開発を繰り返したように発展も生む。炎は繁栄の象徴。江戸は火事の再開で貯えた。建築土木の復興需要が経済を活性化、江戸の職人を中心とした庶民の生活が潤った。日本も戦後の焼け野原から様々な需要があり高度経済成長した。ITという新しい分野に動きがあって潤った人もいますが、継続的に動きを作るのは難しい」。 破壊と再生の動き、世の中は世界規模でそれを繰り返しているのだそうです。 丁稚奉公と亭主で心の豊かさ、時間のゆとりも違い、心の平和に成れた陽の鳩は、書道や香道、華道を習い静かに心を沈める。昔はお寺に鳩が居ました、お堂に・・・。平和の象徴と言われる鳩は誰に迷惑もかけずに平和に過ごしたそうです。お寺は学校みたいな所だったそうで鳩は餌を食べ、他を迫害せずにふんをして平和に過ごしました。現在も心の平和な鳩が集まり色々な気持ちを落ち着かせる餌を食べ、変わりにお金を置いていくそうです・・・平和な鳩にはココロ豊かな先生と呼ばれる人も多いようです。 鳩から鳳凰に成るまでも陽といい、陽遁(ヨウトン)というそうです。 鳩は自分が救われた平和な人。鳳凰や龍は平和で他を救う人・・・鳩を鳳凰に変える甘茶香・・・。 落ちている人にそれ以上沈めると地獄になってしまうので、気分で香りを変えて使うのも良いのだそうです・・・。現在、日本の平和の鳩も、餌の取り合いで喧嘩しているのを見かけます。 相手を救うには自分が救われないと難しいのですが、生きていくには仕方がないのでしょうか? 今までの線香は贅沢品で、高度経済成長(国、宗教のお金が庶民に廻る)の中、ゆとりのある豊かな人が使うのが多くありました。沈香はお茶席でも香席でも浮いた心を沈めてくれる香り。今の日本は立場が変わり格差社会で沈んでいる人を救い上げる陽気な香りも出来てきました・・・。 おみやげを購入する時・・・好まれ喜ばれる物?相手を察し笑顔を思い浮かべると嬉しい(慈悲)。香道、お先に・華道・茶道、京都祇園の一見さんお断り。相手を知って応える最高のおもてなし(智慧)。 お歳暮も、お中元も、お土産も、お線香も、墓参りもしないよりはするだけでも良いのですが、本来は相手に応じたものを考える、思いやりと真心が日本の伝統文化である癒しの「おもてなし」です。相手の身上を察する「思いやり」と誠心誠意、他をもてなす「真心」。 成仏されるご先祖様へ仏様の好物といわれる甘茶の線香「甘茶香」のおもてなし。 供え養う。苦楽中道(苦と楽の間に道がある)とおなじで、陰陽道でも、豊かな人貧しい人でも人は真ん中に集まろうとするそうです・・・。 色も香りも高級にするなら少し暗いめで、一般の人を集めようと思えば明るくすれば良いそうです。 若い人と年寄り、陰の人と陽の人、同じ物を強制しているのではないそうです・・・ 若い人は元気を抑えるために黒い服を着る人もいるといいます・・・ 朝に線香を供えていないと罰が当たる、悪いことが起こりそうな気がして心が曇ります。 普段していることをしていないと不安になるものです・・・。 きちんと供えて来ていると、自分は救われ心配なく晴れ晴れと道の真ん中をご先祖様に守ってもらいながら歩けるそうです・・・。人生にも起承転結、春夏秋冬があるといいますが、冬が近づいて来ると先の事が不安になってきて巡礼や、観音霊場を回り、寺の参拝を始める事がありますが、なにかしているとなにもしていないという恐怖、不安から「こうしているから大丈夫」と自分で納得できて、自分は救われるそうです。 悪い行いや暗い心、黒や陰は光を吸収してしんどいそうです・・・ 京都のある橋の下では黒いカラスが水辺の上の鉄工にたっていて太陽光を防いでいました。 ずっとたっているのはとても大変そうでした・・・。 太陽を防いで橋の下で生活をしている人も、テントで暮らす人も大変そうです・・・ 晴れ舞台の一線で活躍する人も陽が強すぎてずっとそこにいるのは大変です・・・ 川原の木陰では平和そうに鳩が腰を下ろして涼んでいました。 蛇はずっと地について生活しますので黒い陰によく例えられます。 自分のために餌は取れるが手もなく足もなく他の為に何かすることは一生難しい・・・。 龍は普段は水中にいると想像され天へ昇って陽となり雨を降らせて他を利するのだそうです。 龍には手も足もあります・・・手と足は他を利するためにあるのだそうです。 人間は人と人の間柄と書きますが網の目のようにそれぞれ他の網が成り立つために役立っているそうで、本当は人々が網から落ちないように縦横無尽に網を巡らせ支えあうのだそうです。 訪問着と普段着。各宗派の仏像、宗派の仏壇。様々なお線香。それはなぜ良いのか? 仏様のご馳走® 清浄甘茶香(特大箱180g約540本入)現在の人々は心の極楽を得る行為ではなく、自分にとって都合のいいように自分が凄く楽なように物事を簡略化するそうです・・・。 その行為は知らぬ間に様々なことから救われていたのを放棄してしまうので、人生の歯車が違う方向に回りだすのだそうです。 親の行為で救われていた自分が今は救う番になったのです・・・。子供が嫌がるので・・・それは救う行為なのでしょうか?子供は凄く楽になりますが心の極楽になるのでしょうか? 様々な行事や二世帯住宅・・・。 自分にとってはこんな利便があるが相手にとってはどんな利便があるのでしょう? 昔神風特攻隊(飛行機には行きの燃料しか入ってなく相手に衝突することが目的)に乗った乗組員は最後の夜に家族に手紙を書いたそうです!お元気ですか?私は感無量で喜びが絶えないと!お国の役にたてて幸せだと・・・。今の人が聞くと書かされたのかな?と思うかも知れませんが、思いやりが備わっていれば違うようです。 辛い悲しい死にたくない。帰りたいと手紙にありのままの心を写すとどうでしょう?家族は一生それを背負って生きていかなければいけません。 親は親ばかといわれるように子供が望むなら子供がお嫁さんの為に二世帯住宅で良いか?と聞くと親は思っていなくてもいいよと言います。それを親が良いと言ったので構わないと思うのは如何でしょうか?お嫁さんが中心なのか自分なのか親なのかでまた違いますが・・・。 親が子に苦労を見せて教育していないと、孫や子供も相手の事を考えられず自分中心の子はその報いで自分も年老いた日には老人ホームや寂しい毎日です。それで幸せならよいのですが、人は生まれ老いて病になり死にます。早く行く人、遅く行く人。一日24時間あるのが平等で、自分が救われて人生を有意義に使うのが仏教の目的だそうです。だんだんと老いていき人はいつか死ぬというのを見せてあげるのが親の役目だそうです。それを見ていないで歳をとってからいきなり知らされても困ります・・・。世の中にはこれからどのように生きていこうとする者と、これから今後どのように過ごそうとする者がいるそうです。 (死ぬまでに三人の天使に会うのだそうです。一人は腰を曲げて歩く天使、病の天使、死ぬ天使) テレビでは沢山の人が自らの身をもって悪いことをするとこうなると教えてくれる天使もいます・・・。 働き蟻、怠け者蟻。皆それぞれに役目があるそうで、怠け者蟻を全て排除しても必ず一割は新しく現われるのだそうです。怠け者蟻は今ある餌が無くなる前に新しい餌を見つける役目があるそうで、蜂も人間も全て同じなのでしょうか?女王蜂は誰なのか?生物の存続??子孫繁栄の為には??? 極楽それは極みの楽な所。悪人でも行くことの出来る極楽。善人は善いことをしているから善い方向に向かって心も潤っているので駄目になる、地獄に落ちる恐怖からも「自分で救われています」。悪人は悪いことをして後ろめたい、心が病んでいるので自分では救われませんが、悪人はあなたでも救われると言えば「相手に救われます」。 (悪いことをしてもしたと思っていない人は救われています)亡くなるとこの世の悩み苦しみから誰でも救われ極みの楽だが、そんな人は極楽では阿弥陀様に今度は人を救うお勉強をさせてもらうそうです。極楽や天国、神様は地球を生み出した自然の力の象徴。亡くなった方に肉体はないので魂が千の風になって修行するのだそうです。それを解かりやすく生身の人の姿で例えているのだそうです・・・。仏教では肉体はなく、キリスト教では最後の晩餐のあと全ての人が若い肉体で甦り、善人と悪人を分け永遠の命を授かるか、永遠の死を与えられるそうです。
仏様の国の人々は仏の世界の中心須弥山から取れる苦悩の去る不老長寿(万病の霊薬)の甘露を飲みます。
幸福=不平や不満がなく心が満ち足りていること。 幸せ=幸運に恵まれて、心が満ち足りていること。 幸運=運のよいこと 運=人の力ではどうにもならない、めぐりあわせ。 めぐりあわせ=人の意思とはかかわりなくめぐってくる運命。 縁=運命として定まっている、めぐりあわせ。 運命=人の力ではどうにもならないめぐりあわせや人の身の上 @にいる人はそれが普通なので解かりませんが、Bの谷に落ちている曇りの人が@を見ると羨ましく思ったり、@の山に上がると@の快晴になります。それはなぜでしょう? 良い悪いでなくて「素晴らしい」と思うからだそうです。素の晴れで素晴らしい! 素晴らしい=感銘を受けるほどすぐれているさま。見事、素敵、理想的。 感銘=忘れられないほど深く心に感じること。そこにねたみ心は生まれません。 素晴らしいと感動(物事に特別な意味や価値を感じて強く心を動かされる)を沢山するといいそうです。 「甘茶のお線香で感動を覚えることが出来るのだそうです。」 普通に毎日供えていたお線香にもこんなに深い、深い意味があるそうです・・・ @の人もBの谷に下りると@の有難いのが解かるので時々下りると好いそうです。
さて人間はどちらにいると色々な新しいものを求めるでしょうか?救われたい助かりたいお金持ち幸福になりたい。人間は自分に無い物を求めるようです。今あるものが無くなれば、出来る事が出来なくなれば、当たり前の事が当たり前で無くなった時には沈んで有り難いのに気づく場合もあり、ある内は中々気付かない。ある内にそれが天使だと感謝できる人は素晴らしい人だそうです。 求めるのはBになったときに@を強く求めるそうです。 夫婦でも心を新鮮に保てば長持ちするそうです。緊張感が鮮度みたいで初々しい入学生のように春のような関係でいる事が出来ると冬が来るのを遠ざけるそうです。 一緒にいるのが当たり前になると鮮度は落ちます。相手を満たしたいと思うココロを忘れてはいけないそうです。恋は願望、自分を満たしたい。愛は相手を満たしたい!!映画や物語も自分の今の環境で、悲しいのが善かったり幸せなのが好かったり・・・。 人は環境に左右されるそうです。自由の女神は右手を掲げ、ニューヨークの証券取引所の銅像は両手の手の平を下に向けて下ろす。世の中には下から昇ろうとする立場、上にいる立場があるようです。 暑ければ(厚い)黒く、寒ければ(薄い)白や青に。暖かい所では朗らかに、寒い地方では機敏になるようです。 今のココロはどこにいるでしょう。 物の販売で考えれば不便を感じていない、今で便利と思い満足している人@には、これだともっと便利になりますよと提案出来なければ求めていないので売れません・・・。 逆に不便を感じている人Bは求めているので購入しやすいのだそうです。 人間は普段なにかしらのB悩み、苦しみ不安を抱え逃れて@幸福、楽、安心を求めているそうです。 もともと人間はだれしも死に向かって老いていく苦しみがあり、他に日常では悩みがあり曇っています。それを逃れるため人は賢い人は晴れを作ります。お寺が作った祭りや祝い事などもそうですが人は日常の生活から離れ悩み苦しみを忘れたいのだそうです・・・。 祭りでハレを作る人もあればショッピングの雰囲気で晴れ、晴れ舞台のために用意して満たされる人もいます。 服でも今で満足していれば求めませんが、満たされないのでもっと良いのを求めます。 欲する心を抑えなければいつまでも満たされる事はないそうです。愛着を覚えれば、それが壊れた時、亡くした時には悲しみを生む・・・。 普通にいれば冷静ですが、谷が深ければ深いほどそれに反比例して山を大きく求めるそうです。 子供が駄目なことをした時は父の厳しさが苦を抜き去り、母の優しさ楽を与えるといいますが、浮いた心を父が叱ってBへ落とし母が大丈夫よと慰め楽を与える・・・。 赤と黒の関係のような、二人で行う振子式。(抜苦与楽) 沈香で沈めて白檀で浮かせても善いでしょう! 安心を得たり、満足を得られている人@は心がもう救われているのであまり行動を起こしませんが、不安、悩み苦しんでいる人Bにこうすれば救われるもっと良くなると提案すればそれによってその人は救われます。「お金持ちになりたい」と黄色のものを購入する人もいますが、本来の志とは違い黄色のものを手に入れて満足しお金持ちになっていなくても、その時は病は気からというように、気は救われている場合もあります。 (これは病のある人に3ヵ月後にはもう駄目ですよ、というとその人はその間に悩み苦しみますが、こうすれば良い、「大丈夫ですよ」といいますと、駄目でも、三ヵ月後に亡くなってもその人はその間は救われているのと似ています。) 沈んでいる人に黄色の物は希望の光に見えるのでしょう! 「お金を儲けるのは簡単だ。自分が貧乏である事に気付き、もっと注意深く物事を考えるようにすれば良い」とエジソンは言ったそうです・・・。大乗仏教は自分だけ救われるのでなく、皆で救われようとするそうです。貴方も大丈夫と言われれば駄目でも救われた気がして心は救われます・・・。 三ヵ月後に死ぬ人は、死ぬということを知らされて残された三ヶ月を有意義に過ごしたい人と、三ヵ月後に死ぬということを知らされずに知らぬが仏で過ごしたい人。その人はどちらなのか知りたければ、健康診断に自分から進んで行く方は知らしてほしい人が多く、金銭面に関係なく健康診断を自分から断る人は、知りたくない場合が多いようです。 満足とは足が満ちると書くように足りているので新しくは求めません。不足は足が足りないので求めます。飽きられないようにするには満足の一歩手前で辞めておきましょう。全てを知ってしまうと飽きてくるように、未知の世界、ミステリアスな部分をおいておくと満足はされず求められます。心から全ては起こるそうです。 こうすれば救われる。一つだけ願いを叶えてくれるなら・・・願いが叶わない恐怖から救われそれにチャレンジすることができる。それがお守りか祈祷か占いか世にも珍しいお地蔵様なのかなんなのか、願いは三つは自分で解からなくなるので一つだけ・・・。心に暗示をかけるだけ!仏教聖典にも心から全てが起こると最後にあります。 お線香も毎日ただ供えているだけ、お参りするだけでも良いと思えている人はそれで様々なことから救われています。 悩める人を救う側にいるお医者様。助けられる病人。年老いた人や、上から入れる洗濯機が不便と感じていた人も多いはず、斜め式がその問題を解決してそれを救い大ヒットしました。人の心を満たす電化製品。電化製品によって満たされる人。 救う側(満たす側)にはお金が入るが救われる側(満たされる側)はお金が減ります。@に成りたいならば救う側(満たす側)にならないとならないそうです。相手を満たす・・・人を助けたり教えたり楽しみを与えたりする行為は忙しいですが自分も心が満たされ潤い幸せです。 救われたい、満たされたい人は暇で、自分がどこまでいっても満足できません。満たす側、救う側にならないと・・・ @の言葉は心に潤いを、Bの言葉は心が汚れ潤いを無くします。 『もどれもどれ生まれた頃の純粋なココロ、あらゆる困難に立ち向かう勇気に満ちたあの頃のココロ』 Bの状態にある人を救うには相手を否定すると話をうけつけなくなるので違うと思った話でもそうですねと話をあわせてそのあとで提案するのが良いそうです。こうすれば救われるより良くなると・・・。 占いや高額の商品を販売するときや心を射止めるときなどにはBの状態にあるのはさぐり、どれなのか聞き出し、このままではいけないと相手の身になっているように不安をあおり(揺さぶり)、こうすれば良い(幸運)と提案すれば谷が深いので喜びも大きく信頼を得るらしい。 (例えば奥様が料理を作ってくれた際に塩が多いなと感じた時でも、鬼のように最初に塩多いねと言うと心が普通AにあってもBになる、聞く耳も持たないかもしれません。 せっかく作っているのですから最初から駄目だしはしないで最初は美味しい、いつもありがとうと褒めたあとにもう少し塩を減らすともっと美味しくなると話すといいそうです。(言うのは次の日が善いのかもしれません)不味いなどBの言葉は使わない方が善いらしいです。料理を作った奥様の心も言われる前からAではなくBにあるかもしれませんし・・・)こうすればもっと良くなる/これはあらゆる所で応用されているそうです。Bの人には効果的です。 駄目だろうなと思えば駄目になりますし、自分で自分をコントロール(自分は幸運なのだとツキがある、ご先祖様に守られている気がする、出来ると@を心に言い聞かせたり)自己暗示して救われる人もいれば、お守りを持ったり呪文を唱えたり、こうすれば救われると他人や仏様に救われる人もいます。 救われたいと思うのがBで、救う側に多くいるのが@です。仏はその人をBから@に向け救うのだそうです。 @にいる人は人脈もあり、満たされていて上手くいっているのであまり考えませんが、売れないときこそ智恵がでるといいますが、なにかしないこのままではいけないと思っているBにある人こそ一生懸命になれる、ハングリーなので考えて智恵がでる場合もあるそうです。ココロが汚れてくるのでBの言葉は発しないで@の言葉を何度も発すると回りも自分もやる気が失せず明るい未来が待っているそうです。 Bに落ちるのが善いのでなく考えることが善いのだそうです。逆境にあれば考える。周りが助けてくれなければ愚かな者は地のそこまで落ちる火の車にゆったり座りますが、脳ある人はどうしてそこから降りようか考えるそうです。伝説も映画も漫画も普段から離れて晴れをつくる為の例え話で現実ではないようです。 千の風になってという歌詞が流行っていますが、神様の国、極楽でお話聞いているとは一言も言ってはいません。肉体や魂のあるあの世ではなく、風にのって塵から自然となって創めますから貴方の傍にいますと歌っています。本当に大切な人を亡くした方への思いやりの勇気を与えてくれる歌詞です。 田舎の散髪屋は今まで来ていたお客が来なくなるとその人と会っても話もしなくなる人もいるといいますが、都会の人付き合いの出来る散髪屋は「久しぶり!元気にしてましたか?最近来ないけどなにかあった?と自分からを問いかけるそうです。客や相手が去るのは訳がある。そして自分に非があればそれをありがとうと悔い改める。善人も同じで、悪人は悪いところを指摘されると改める所かその事に怒りを覚える。客や相手には選ぶ権利があり、相手を満たせない店が繁盛しないのは訳があるのに自分は・・・、時代が・・・、早く降りないと大変です。値段だけのサービスも大変です。相手の満足度を上げる特別なおもてなしが必要のようです。皆ライバル、おもてなし合戦。 仏像は普通Bのように見上げている者はいなくて髪の毛も皆上がっています。人間でも自信のある人、ある時は髪の毛を上げたり全て後ろに流したり、仏像は@なので皆下を見下ろしていますが、こちらはもっと上を見てそこから仏像を見るとこちらが上になり仏像は沈んでいる横に寝ているように見えます。 とても慈悲深い仏像が助けを求めているように見えます。京都に沢山仏像が並んでいる場所がありますが、正面からみると圧倒されますがもっと上を見てそこから見たり、横に回って裏を見てみるとほこりが溜まって金箔がはがれて仏像が助けと救いを求めているようにさえ思えます・・・ 昔、戦国武将の武田信玄やその他の武将が神社や寺院で必勝祈願をしました。現在は受験や就職活動の人が祈願しています。このようにすれば大丈夫!戦で負ける恐怖、死ぬ恐怖からそうする事で人は救われたようです。武士道とは死ぬ事と見つけた、死ぬのが普通だと思えば恐怖から救われる・・・。 ・・・なったらどうしよう???と考えるより、武士とは死ぬ生き物だ・・・それが教育で普通だと思え、男とは断られる生き物だと思えば断られる恐怖はなくなります。 自分より身長の高い人と戦うのは見上げないといけませんのでプレッシャーがかかります。兜の先端を大きく伸ばしてこうしているから大丈夫と自分に言い聞かせた人もいるでしょう?。生物は雄が何か発してアプローチする場合がほとんどみたいですから失敗して当たり前なのだと思うと良いみたいです。しかし本当は迷惑をかけないように相手に喜んで頂く様に気遣いがあれば犯罪はへります、気遣い、思いやりと真心が必要のようです。ですが世の中には闇がありそんなのは関係ない!先を考えるのを捨てて行動する人もいます。自分は救われた気がします。 花は咲いては散るが、咲く前に散る花もある。美しく咲くためにはまず善い器と善い肥やしと善い水と光を授かる環境が必要。人も同じで美しい花を咲かせるため、食べてゆくために、好い器と土壌と水を手に入れるために勉強したりダイエットしたり好い服を着たり、高層ビルの好い光を求める。花によっては自分のために動物まで食べ栄養とする。それは太陽系の仕組み?出来れば大切な花に要らない花粉が飛んで来ないように、網なしネットをかけて悪魔の投げた餌、罠から遠ざけ隔離するのが好ましい。そこで勉強することもあるでしょうが知らぬが仏、獣は身を引き裂くだけだが悪友、悪花粉は心を引き裂くので近づくなと仏教聖典にも同じような言葉があります。 花、それは美しい。花のあるところには生物が寄ってきます。赤い花には豊かな人が、黄色い花には希望を求める人が集まり、青い花には冷静な人が集まってきます。美しい類は美しい類を呼び、波長が合うのでしょうか?紫の外の線はあまり好くないそうです・・・? 美しく咲いた花にも人が集まる。美しく咲いた花は、相手に強く発して強く惹きつける。光を発してなお引力のある太陽と同じだそうです。希望のひかり!造花と同じで、形あっても匂わない花には、希望や夢が中々持てず人は集まらないそうです。 蓮は汚れた水にしか咲かない?咲けない?汚れた水の周りでは蓮が輝くのはなぜでしょう?周りに汚いのがあればこそ、悪いのを知ればこそ、苦労をして手に入れてこそ、美しく尊く感じる。 皆が良い人ならそれは当たり前で一目をおく善い人ではなくなる? 光の中の光る花畑にいるよりも、闇に咲く一輪の光。幸せは無くなってこそ尊く感じるのは比較対照があるからでしょうか? グループに一人の華。花は綺麗な花だけで、綺麗な花ばかりで見るよりも、綺麗でない花を知ると、一緒に見ると綺麗が一段と綺麗に見えたり、解かるそうです。苦労をして手に入れたならその価値は何倍にもあがる。その花の咲くまでの過程を知れば特別な感情を覚えるようです。高嶺の花は手が届かない、届いてしまうと普通の花になってしまう・・・。 釣るもの釣られるもの。救うもの救われるもの。受けるもの発するもの。満たすもの、満たされるもの。起承転結。春夏秋冬。緑赤茶黄青。木火土金水。栄盛衰枯。生まれ老いて病に成って死ぬ。花のようにうまく潤滑に流れ最初に戻ると好いのですが、トイレと同じで溢れたり詰まったり、メンテナンスが必要。薄いのから濃いのへ、黒いのから赤いのへ。朝が来て夜が来る。夜が来るから朝が来る。しかし冬に芽生えがもう一度あるといいですが、夏の繁栄の火で秋に枯れて咲かない冬のままでいて春にならない寺もある。炎は繁栄の火。昇れば降る。 本能寺の変後、窮地の徳川家康を助けた寺のそれからと、幕府最後の際、菩提寺の結果。寺も誰をいつ救うかで変わるそうです。製造元、小売店、問屋、徴兵、国。昔から繰り返される現象、どちらに付くかで貴方の運命が変わる。 栄枯盛衰を、木火土金水を理解して味方になると好いそうです(自分に善いのか、社会に良いのか、相手に良いのか??)。今が誰にに付くかの時だ!時代には節目があるが、後に考えれば成功したひとはそのときに考えた人、運の良い人が多いようです。今歴史が動く・・・。 太陽は律儀になにもいわずに毎朝同じ場所から昇り下って下さる有難いもの。毎日違う所から出てくれば世の中変わるでしょう。有り難い存在です。(実際は太陽の場所は同じだそうで、地球が回転しているのだそうです、皆に太陽が当たるように地球の思いやりかも知れません???) O型の方はおおらかといわれ理由がなくても大丈夫ですよといえる人が多いようです。駄目、駄目というよりは大丈夫、「なんとかなる」と言われればその場は救われる場合もあるようです。(銀行や日本も駄目といえばお客様が取引停止したり、景気も悪くなりもっと駄目になりますが、言わなければその場は救われます。マンションでも、サプライムローンでも、世界の市場情勢でも。 最後はどの道を行っても結果は駄目なので、いつかは誰かが大変な思いをします。 小出しをして負担を増加したり、少しずつ苦労をしていないと地震のように溜まりに貯まった力が爆発して一気に負担する事になります。国が潰れた場合、紙幣価値がなくなり製造業の仕事は増えるのでしょうか?もっと大きく様々な事を考えないといけないようです。 大体担当者が変わるのが30年周期が多いようですが、後に受けた担当者、その時の子供たち、全国の市町村他、世界で苦労する人がいるようです。今大変なのでお金を借りるとその場は救われる、そして大変なので別の所で借りる、自転車操業とよく似ています。こちらを救うと、あちらが潰れたり・・・。日本は戦後に比べると現在大変といっても豊かですが、もっと食べるのにも苦労している国もあるので有り難いです。 新しい店を出さないとお金が回らず潰れてしまう。借りたその人も大変ですが、貸している人も債権割れの危険があるので大変です。担保、保障、売上。第一次世界大戦の敗戦国。借金が沢山出来てしまい、相手の景気が悪くなり債権の回収を要求されて国が大変になり、後に戦争という波に進んでしまう。水に動きがないと腐るように、市場に動きがないと潰れてしまう。 小さな波の1個人が、1家族になり、1町になり、1県になり、1国の大きな波になる。大きな会社が潰れるとそれによって苦労する人が沢山でるので、大きな会社を存続させることで小さな会社が潰れてしまう。 現在1家庭を補助するのも、障害者を補助するのも、老人を補助するのも大変な時代がやってきました。今小さな段階の時にやらなければ、小さな地震を連発していないと、国が潰れるような大きな歪みができてしまうのでしょうか? 地震の原理と同じで、世界は繰り返しているのだそうです・・・??) 現在も様々に落ちる恐怖、交際を断られる恐怖、駄目になる恐怖、断られる恐怖からも救われているのだそうです。士気をあげる方法に使われていたようですが、無くなると悩み苦しみを生むので無くならない物を心の糧にした方が良いそうです。 戦場は上の人が下の人を救うのが楽なように、上から下に攻める方が気分的にも体力的にも楽です。人生の戦場も自分を@に昇らせないとしんどいのだそうです・・・ 野球選手でもピンチになった際には100%の力が出ません。精神的なもので打たれたらどうしよう?悪いイメージが過るもの。ランナーが気になる未来が気になる・・・。そんなときにはご自身でおまじない。先の事は考えても仕方がないので、プラス思考でこうすれば大丈夫良い結果で終わるイメージを持ち、呪文でもお守りでも自分の手に人の字を書いて飲んでみても、家族でもなんでも自己暗示。こうすればこうなると良いイメージすれば勇気が得られます。そして打たれた際にはこれだけで済んで良かったと自己暗示。人生も大丈夫、良い、良い良いとプラスの思考で今を楽しみながらいくと良いそうです。(交通事故もそうです。車の交通安全の祈祷も新車の不安をこうすれば大丈夫!。受けても事故は起きる場合もありますが、大破した車をみてこれだけで済んだと事故暗示)
お線香は古くから「信心の使い」と言われ香をたくことによりその香りが心身を清め、自らの内にある仏性(仏の種)を目覚めさせるとされています。
「そんなことありません。」
伽羅のお線香をあげるときなんて「一万円 」もしたのに・・・仏様はなにも言いません。
人間は「好き嫌い」で物事を判断します。仏様はこのような香りもあると「特徴」としてみるそうです。 お爺さんお婆さんは昔を振り返り話します。「物のない昔は、花祭りに水筒を持っていき仏様に甘茶を注いでお誕生をお祝いしてそれを貰って帰り、家のご先祖様にも供えてお下がりを美味しく感謝して頂いたものだ。最近の若い奴は自分中心で好きや嫌いやいいよる・・・。 詳細は国産み、神産みをそれぞれ参照 天地開闢において神世七代の最後にイザナミとともに生まれた。国産み・神産みにおいてイザナミとの間に日本国土を形づくる多数の子を儲ける。その中には淡路島を筆頭に本州・四国・九州等の島々、石・木・海(大綿津見神)・水・風・山(大山津見神)・野・火など森羅万象の神が含まれる。 イザナミが、火の神であるカグツチを産んだために陰部に火傷を負って亡くなると、そのカグツチを殺し(その血や死体からも神が生まれる)、出雲と伯伎(伯耆)の国境の比婆山に埋葬した。 しかし、イザナミに逢いたい気持ちを捨てきれず、黄泉国まで逢いに行くが、そこで決して覗いてはいけないというイザナミとの約束を破って見てしまったのは、腐敗してウジにたかられ、雷(いかづち)に囲まれたイザナミの姿であった。その姿を恐れてイザナギは逃げ出してしまう。追いかけるイザナミ、雷(いかづち)、黄泉醜女(よもつしこめ)らをやっとの思いで振り切り、黄泉国と地上との境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の地上側出口を大岩で塞ぎ、イザナミと離縁した。 その後、イザナギが黄泉国のケガレを落とすために日向国で禊を行うと様々な神が生まれ、最後にアマテラス・ツクヨミ・スサノオの三貴子が生まれた。イザナギは三貴子にそれぞれ高天原・夜・海原の統治を委任した。しかし、スサノオが「妣国根之堅州国」へ行きたいと言って泣き止まないためスサノオを追放し、淡道(淡路島、淡路市)の多賀に篭った。古事記の写本の一部には淡海(近江、滋賀県犬上郡)の多賀との記載があるが古事記では近江を近淡海と書いており淡道の誤写ではないかと考えられる。日本書紀では淡道で統一されている。 又、現在の日本の事を浦安と名付けたと日本書紀に記されている。
1 眼 施 がんせ 慈しみに満ちた優しいまなざしで、すべてに接することをいいます。温かい心は、自らの目を通して相手に伝わるのです。
線香は一度火をつけると最後まで燃えるように、一度やり始めると最後まできちんとする。
葬式の時に線香を焚いている本数が一本なので、亡くなった時だけ一本?と思われるかたも多いようですが・・・
最近では「灰の少ないお線香」など出てきましたが、お線香の灰はどうすれば善いのでしょうか?完全に消滅させれば良いでしょうか?
例えば白檀木を飾っていると『置物』です。分割(チップ)にして香席やお茶席でお客様を持て成しに使うと 『お香』 です。 |
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☆供養というのはなにでしょう?供え養うと書きますが・・・ 頂き物のまんじゅうを供えてあげると晩になると一つ減っていたなんて事ないと思いますが・・・ ご先祖様は肉体がないので召し上がれません。 最後にまんじゅうや香りを頂きお腹やココロを養うのはご自身とご家族です。宮内庁ご用達のまんじゅうを供えてあげると『大層な立派なお味でした』と置手紙が一筆あることもないと思いますが・・・仏様は先にどうぞ、これは珍しい高級品をさきにどうぞというもてなしの気持ちを召し上がるそうです。(謙虚なココロ) 知らぬ間に養われご自身が救われていた習慣です。 花をこちら側に向けるのは、仏の慈悲を感じ供え、心を養われるのは自分だからでもあるそうです。 人は精神的なものにはお金はかけないといいます。賽銭でも祈祷でも仏壇でもお線香でも花や造花でも精神的になら『しているから大丈夫』だろうと、ご自身が楽になるこの行為には自分で自己暗示をかける事が出来るそうです。 仏壇で仏様をもてなすのはおもいやりと真心を養う場所です。習慣でなく気遣いが必要です。 『ご自身にとってではなく、それは仏様のためなのか・・・どこが仏様や相手にとって良いのか?』 ○花はご自身のほうへ向かせている? ◎こちらを向いている方が綺麗なのでこちらに向かせた。 =皆がしているのでそれが普通だと思う。 ●本来は=本当は仏様のもてなしだから花も仏様の方へ向けてあげるとよいのです。 花を仏様のほうへ向かせればよくわかるそうですが、供え養われる心の平安が中々得られません。 色に囚われてはいけないといいますが、仏像と同じく花は悲しみ悩み深い私達に現れた仏様の慈悲の現れイメージさせる象徴なので救われるこちら側を向かせても良いそうです。 ○煙も香りの無いお線香を使っている? ◎煙も出ず香りもしないお線香にした。 =マンションなので煙で自分が困る・・・汚れるので・・・自分の好きな香り・・・皆もそうしているので良いのだと思う。 ●本来は=環境も変わり家族にアレルギーや喘息の人がいて煙も香りもないお線香を使わせて頂いている・・・。 仏さまが喜んでくれるなら仏像や仏壇が汚れてもお金を出して新しくすればいい訳ですし、仏様はお線香の清浄な香りを頂いているそうで、香の煙に乗って信心が伝わるといいますので仏様のために本当は煙と香りがあるのを使ってあげると善いでしょう。それは自分にとって楽になるけれど、天使の投げた蜜、それとも悪魔の投げた餌?環境も家族も性格も預金も今ある状況も皆違う。なので宗派が沢山あるのですが。 ○ご飯が美味しくなくなるのでご飯の写真や造飯を飾り仏様にご飯は供えていない? ◎先に仏様にご飯を供えると線香の香りがつくので供えるのはやめた。 =楽だし仏様にも周りもなにも言われないしいいだろう。 ●本来は=ご自身は楽ですが、仏様は清浄な気持ちを召し上がるそうです。 ○仏壇を購入しない? ◎マンションは狭いしお金もないので仏壇を購入するのを止めた。 =仏様はなにもいわないし、生き仏様の方が大事。 ●本来は=仏壇はご先祖様のお家だそうです。子供に教える教育の場所だそうです。 ◎なぜ =原因 ●本当は ○墓石も仏壇も電化製品も肉もお線香も・・・など外国製品? ◎日本は人件費も高いので日本の生産を止めた。従業員を賃金の安い国の人にした。外国で作った製品の方が仕入れが安いので利幅も大きい。自分が生き残るために他より安く売っている =価格競争が激しいので費用の安い外国で生産販売。仕入れ。 ●価格破壊、消費者の様々な負担増。消費者には安く提供できて喜ばれますがどうなるのでしょう?100円で販売するのを400円で売れれば、機械があれば・・・別に生産者は同じのを作れるなら良い。それを使う人は必ずどこかで求めるが、賃金や小売上代の金額だけが下がっていきます。その商品と同じ分野の物を製造する会社は太刀打ちできません。日本もアジアもそうだったようにもっと安いところで作って・・・最後には人はいらず機械だけ・・・。販売する人はとりあえず良いそうが作る雇用が無くなります。そして現地の人が出展した場合?それもいつまでも続かないそうです・・・。片方が伸びれば片方は下がります。 最近は観光客に外国人が多いようですがブランドでないものや海外に輸出できない、ブランドでない全国の観光施設、商店街、スーパー、国と同じように、日本人の全体を潤うためには高くても売れるブランドにするのか、国自体が潤わないと止まりません・・・。 ○お墓のお線香は燃焼するならばどんな物でも良い? ◎風が強いので燃えやすいのが良いと思う。 =お線香はみんな墓用といって安くて燃えやすいのを使っている。燃えやすく安いのが良いのは自分の理由です。 ●燃えればよいのなら雑草でも、火薬を付けても、油を付けても良いと思います。お線香に火を点ければおしまいではなく、この心と相手に伝えたい祈り、善い香りが届きますようにと本来は思いやりと真心でもてなすそうです。父は普段家族と接する機会が少ないと思いますが、火が付き難いという困難を、家族の先頭に立ち一家の大黒柱としての威厳を見せる機会でもあるのです。台風や大雨でも皆で苦労して付けたお線香には家族一緒に深い感動を覚えるものです・・・。容易い。有り難い。有るのが難しいので「ありがとう!」 ある夜、お釈迦が祇園精舎へ入られる時、皆それぞれに百、あるいは万のあかりを供養しました。着のみ着のままの老婆も東奔西走して、ようやく一燈をともすことができました。やがて大風が吹くと、あかりは消えていきましたが、信心が強く、志が深い老婆のあかりは消えなかったそうです。私たちの幸せは、このように信心と志によって生まれてくるものなのです。 ○電池式のロウソクをお供えしている? ◎お婆さんが一人で暮らしていて、ロウソクは危ないから電気にした。 =自分は若いが、普通のロウソクでなくても習慣で電気式は良いのだと思いずっと電池式。 ●本来は=本来は=ロウソクは仏様の道を照らす、炎は仏様の好む清浄な空間にするといい好まれるものです。風水では離婚が増えているのは電気式で火を使わない家に多いといいます。炎には人のココロに情熱的に訴えるものがあるそうです。不動明王の炎!お年よりは危ないので電気式=安全で緊張感がなくなりボケが早まる可能性も・・・。親が子供に安心すると旅立つ、子供も親に適度な心配を与えると良いといいますが長寿の秘訣、揺らめく炎を見る行為には智慧が宿るそうです・・・。 ○電池式のお線香にしている? ◎老人ホーム、病院で使いたいので電池式にした。 =電池式のロウソクがあるので電池式の線香も良い。 ●本来は=香りと煙が線状の香、線香であり、先端だけ光る灯りはロウソクなので模擬品でしかありません。 ○花は枯れるので造花にしている? ◎お墓等で花や樒などは枯れ虫が来るので造花にした。 =皆もしているし売っているので造花でも供養になるのだと思った。 ●本来は=仏様は植物性の物を好まれます。造花は自分の心を満たし、生花は周りの人の心にも潤いを与えてくれます。 ○現状 ◎なぜ =原因 ●本当は その行為にどんな意味があるのか?ご自身のことを考える。忙しいから・・・汚れるから・・・しんどいから・・・ 自分の・・・表向きに悪いので・・・。そこには申し訳ないのですがという心がないといけないそうです。 自分が楽になる様に、自分の都合のいいように解釈すると全て簡略化しますが普通ではないそうです。 仏さまに、ご先祖様にどう良いのか? 例えば全て模型ならば、しているというご自身の心を満たす以外に本当に意味がないのです。それが普通ではなく、そうさせて頂かせているのです。あたりまえになってはいけないそうです。 『救われる、救うその関係がある限り全ての人が全てにおいて救われることはないそうです。病は気からというように、現在、自分が救われた気がする気の救済を目的としています。今日まで仏様の船に助けられましたが、今日からは幸せの明るい大船に沢山の人を乗せてあげると本当は善いのだそうです・・・美しい花が沢山咲いている世界・・・』 |
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最後までお読みいただきありがとうございます。 お線香は心を満たしてくれるのですが、値段で満たされる人。 香りで満たされる人。 与える事で満たされる人。有り難いのでありがとう。そこに価値を見出す事が出来る人。 柳生家の家訓は袖すりあうも多少のご縁。その縁に気付く人、気付かない人。 活かせる人、活かせない人。活かした気になる人。 縁の神様は前髪しかないそうで、通り過ぎるとつかめないそうです。 人生を沢山観光出来るように、もう一度最初から読むと人生が変わるかも知れません・・・。 |
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| (お線香お香・甘茶香/ 淡路梅薫堂 最初のページへ) |
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