お線香マナー常識、お線香の意味、 線香臭いと,方法お線香の上げ方あげ方あげかた。線香仕方と本数、作法と種類について

お線香お香/淡路梅薫堂/香線香 淡路梅薫堂 株式会社
-Awajibaikundo-


お線香=仏様の喜ぶ好物仏様のご馳走甘茶香。

仏壇にお線香はなぜ立てるの?
お線香は宗教的な仏教儀式の方法の一つの仏具なの?」
「燃えるお線香に意味?仏壇に線香花火?
気になるのはお線香の香りと値段と内容料?
お線香のマナー常識作法?お線香に仕方やあげ方は?」


お線香は仏様の食事といわれますが・・・?供養とはなにでしょう?
供養とは供え養う。ご自身、ご家族の日常の疲れた心と身体を供え養う。
供養とは仏さまがどうすれば喜ばれるのか?相手の身の上や心情を察する思いやりの心、誠心誠意他をもてなす真心を供え養う・・・
鯛は正月が嫌いで七面鳥はクリスマスが嫌いだそうです・・・相手の心情や身の上を察する。
喜ぶものがいれば必ずどこかに悲しむものもいるそうです・・・。

仏様の好物は華・香・灯だそうです。
その三つは自らを犠牲に他をもてなすものばかりです・・・
仏様への思いやり、仏様への真心。

香りは餓鬼、徳人、阿修羅、仏で求める物が違うそうです・・・
陰に落ちている人は上に昇れる祭りや明るい香り、色を求め、
陽に昇っている人は落ち着いた場所、心を沈める香りや落ち着いた色を求める・・・
自分の環境、心で自分の色の物を求める。
水は動きがないと腐ってしまう、世の中も動きがないと・・・。
破壊は寺が燃えた跡に復興するように、江戸の町が幾度と燃え再興、再開発を繰り返したように発展も生む。炎は繁栄の象徴。江戸は火事の再開で貯えた。建築土木の復興需要が経済を活性化、江戸の職人を中心とした庶民の生活が潤った。日本も戦後の焼け野原から様々な需要があり高度経済成長した。ITという新しい分野に動きがあって潤った人もいますが、継続的に動きを作るのは難しい」。
破壊と再生の動き、世の中は世界規模でそれを繰り返しているのだそうです。

丁稚奉公と亭主で心の豊かさ、時間のゆとりも違い、心の平和に成れた陽の鳩は、書道や香道、華道を習い静かに心を沈める。昔はお寺に鳩が居ました、お堂に・・・。平和の象徴と言われる鳩は誰に迷惑もかけずに平和に過ごしたそうです。お寺は学校みたいな所だったそうで鳩は餌を食べ、他を迫害せずにふんをして平和に過ごしました。現在も心の平和な鳩が集まり色々な気持ちを落ち着かせる餌を食べ、変わりにお金を置いていくそうです・・・平和な鳩にはココロ豊かな先生と呼ばれる人も多いようです。
鳩から鳳凰に成るまでも陽といい、陽遁(ヨウトン)というそうです。
鳩は自分が救われた平和な人。鳳凰や龍は平和で他を救う人・・・鳩を鳳凰に変える甘茶香・・・。
落ちている人にそれ以上沈めると地獄になってしまうので、気分で香りを変えて使うのも良いのだそうです・・・。現在、日本の平和の鳩も、餌の取り合いで喧嘩しているのを見かけます。
相手を救うには自分が救われないと難しいのですが、生きていくには仕方がないのでしょうか?

今までの線香は贅沢品で、高度経済成長(国、宗教のお金が庶民に廻る)の中、ゆとりのある豊かな人が使うのが多くありました。沈香はお茶席でも香席でも浮いた心を沈めてくれる香り。今の日本は立場が変わり格差社会で沈んでいる人を救い上げる陽気な香りも出来てきました・・・。

おみやげを購入する時・・・好まれ喜ばれる物?相手を察し笑顔を思い浮かべると嬉しい(慈悲)。香道、お先に・華道・茶道、京都祇園の一見さんお断り。相手を知って応える最高のおもてなし(智慧)。
お歳暮も、お中元も、お土産も、お線香も、墓参りもしないよりはするだけでも良いのですが、本来は相手に応じたものを考える、思いやりと真心が日本の伝統文化である癒しの「おもてなし」です。相手の身上を察する「思いやり」と誠心誠意、他をもてなす「真心」。
成仏されるご先祖様へ仏様の好物といわれる甘茶の線香「甘茶香」のおもてなし。

供え養う。苦楽中道(苦と楽の間に道がある)とおなじで、陰陽道でも、豊かな人貧しい人でも人は真ん中に集まろうとするそうです・・・。
色も香りも高級にするなら少し暗いめで、一般の人を集めようと思えば明るくすれば良いそうです。
若い人と年寄り、陰の人と陽の人、同じ物を強制しているのではないそうです・・・
若い人は元気を抑えるために黒い服を着る人もいるといいます・・・

朝に線香を供えていないと罰が当たる、悪いことが起こりそうな気がして心が曇ります。
普段していることをしていないと不安になるものです・・・。
きちんと供えて来ていると、自分は救われ心配なく晴れ晴れと道の真ん中をご先祖様に守ってもらいながら歩けるそうです・・・。人生にも起承転結、春夏秋冬があるといいますが、冬が近づいて来ると先の事が不安になってきて巡礼や、観音霊場を回り、寺の参拝を始める事がありますが、なにかしているとなにもしていないという恐怖、不安から「こうしているから大丈夫」と自分で納得できて、自分は救われるそうです。

悪い行いや暗い心、黒や陰は光を吸収してしんどいそうです・・・
京都のある橋の下では黒いカラスが水辺の上の鉄工にたっていて太陽光を防いでいました。
ずっとたっているのはとても大変そうでした・・・。
太陽を防いで橋の下で生活をしている人も、テントで暮らす人も大変そうです・・・
晴れ舞台の一線で活躍する人も陽が強すぎてずっとそこにいるのは大変です・・・
川原の木陰では平和そうに鳩が腰を下ろして涼んでいました。

蛇はずっと地について生活しますので黒い陰によく例えられます。
自分のために餌は取れるが手もなく足もなく他の為に何かすることは一生難しい・・・。
龍は普段は水中にいると想像され天へ昇って陽となり雨を降らせて他を利するのだそうです。
龍には手も足もあります・・・手と足は他を利するためにあるのだそうです。
人間は人と人の間柄と書きますが網の目のようにそれぞれ他の網が成り立つために役立っているそうで、本当は人々が網から落ちないように縦横無尽に網を巡らせ支えあうのだそうです。

訪問着と普段着。各宗派の仏像、宗派の仏壇。様々なお線香。それはなぜ良いのか?
なぜこの仏壇なのか・・・なぜこの形が仏様にとって善いのか?なんの為にするのでしょう?
解からないけどこれが一般的に良いと薦め、話も進むので購入する場合も多いでしょう・・・
自分の好き嫌いでなく相手に対する礼儀だそうです・・・。

表向きに悪いから・・・物事は皆がしているのでする場合が多くあったり(同一性の法則)、なにも考えないでもどうすれば良いとだけ形式が書いてありますが、形式や習慣ではなくこの行為にどんな意味があるのか理解をして今後に活かす事、智恵が本当は大切だそうです・・・(般若派羅蜜)
(智慧=背後にある真理を見抜く。智恵=物事を損得で考える)

父母がご先祖様にお線香を供えご先祖様を敬う姿は、知らない間に子供達が先人や目上の人を大切に敬う心が生まれ、家族の秩序、親の威厳も自然と保たれ一家の繁栄、家内の平和を保つ意味もあるそうです。
命日は仏様の誕生日、自分の誕生日だけ祝うのでなく、仏様の好物『甘茶香』の線香でもてなす事は、見ている子供が、親が自分のためでなくご先祖様の為に供える姿を見て、自分中心ではなく己を忘れ他を利する慈悲の心、相手が喜ぶならやってあげようと相手を思いやる真心、謙虚な心も生まれるようです。
ご先祖様があって今があるという事を理解すれば生まれてこられた事、全てに感謝の心が生まれます。
お線香は、何かしてあげたい焚く人の心を満たしてくれると同時に、明日への希望、お線香をご先祖様に持て成す心と香りは心に潤いを与えてくれます。
香りを上手く使えば妙薬に、好き嫌い、自分だけ、ご先祖さまだけに貪るのも地獄への『餓鬼の道』 。
お線香を焚いて仏様が喜ばれるように仏様を精一杯に持て成すのは極楽への『人の道』。
諸仏諸菩薩を供養しひいてはご先祖様の所まで届きますように・・・。
相手の身の上や心情を考えた思いやりと真心の他をもてなす『おもてなし』は日本の世界に誇ることの出来る立派な生活の作法、日本の伝統文化です。

「真心」は。誠心誠意、他をもてなす心。
「思いやり」とは人の身の上や心情について察する気持ち。


仏様に我はなく、好きも嫌いも自分の事は一切何も言いません。
様々な相手を思い、相手の喜びを共に喜び、悲しみを共に悲しみ、相手中心の見返りを期待しない慈悲の心なので、頑張っても悩み苦しまないそうです。
伝教大師は、『己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり』と言い残されました。
自分の好き嫌いでなく仏様の好物を持て成すのは我欲を抑えなければできません。
そして我欲を抑えて、自分の好き嫌いでなく仏さまや沢山の人々に喜んでもらう相手の事を考えた思いやりのもてなしこそこれが慈悲の極みで、「心を清らかにする最高の行為とされ、これこそが清らかな「極楽」に往生できる心を育てる」そうです。

最好級品線香。初盆お供え、仏様のご馳走【甘茶香】仏様のご馳走® 清浄甘茶香(特大箱180g約540本入)

現在の人々は心の極楽を得る行為ではなく、自分にとって都合のいいように自分が凄く楽なように物事を簡略化するそうです・・・。
その行為は知らぬ間に様々なことから救われていたのを放棄してしまうので、人生の歯車が違う方向に回りだすのだそうです。
親の行為で救われていた自分が今は救う番になったのです・・・。子供が嫌がるので・・・それは救う行為なのでしょうか?子供は凄く楽になりますが心の極楽になるのでしょうか?
様々な行事や二世帯住宅・・・。
自分にとってはこんな利便があるが相手にとってはどんな利便があるのでしょう?

昔神風特攻隊(飛行機には行きの燃料しか入ってなく相手に衝突することが目的)に乗った乗組員は最後の夜に家族に手紙を書いたそうです!お元気ですか?私は感無量で喜びが絶えないと!お国の役にたてて幸せだと・・・。今の人が聞くと書かされたのかな?と思うかも知れませんが、思いやりが備わっていれば違うようです。
辛い悲しい死にたくない。帰りたいと手紙にありのままの心を写すとどうでしょう?家族は一生それを背負って生きていかなければいけません。
親は親ばかといわれるように子供が望むなら子供がお嫁さんの為に二世帯住宅で良いか?と聞くと親は思っていなくてもいいよと言います。それを親が良いと言ったので構わないと思うのは如何でしょうか?お嫁さんが中心なのか自分なのか親なのかでまた違いますが・・・。

親が子に苦労を見せて教育していないと、孫や子供も相手の事を考えられず自分中心の子はその報いで自分も年老いた日には老人ホームや寂しい毎日です。それで幸せならよいのですが、人は生まれ老いて病になり死にます。早く行く人、遅く行く人。一日24時間あるのが平等で、自分が救われて人生を有意義に使うのが仏教の目的だそうです。だんだんと老いていき人はいつか死ぬというのを見せてあげるのが親の役目だそうです。それを見ていないで歳をとってからいきなり知らされても困ります・・・。世の中にはこれからどのように生きていこうとする者と、これから今後どのように過ごそうとする者がいるそうです。
(死ぬまでに三人の天使に会うのだそうです。一人は腰を曲げて歩く天使、病の天使、死ぬ天使)
テレビでは沢山の人が自らの身をもって悪いことをするとこうなると教えてくれる天使もいます・・・。
働き蟻、怠け者蟻。皆それぞれに役目があるそうで、怠け者蟻を全て排除しても必ず一割は新しく現われるのだそうです。怠け者蟻は今ある餌が無くなる前に新しい餌を見つける役目があるそうで、蜂も人間も全て同じなのでしょうか?女王蜂は誰なのか?生物の存続??子孫繁栄の為には???

極楽それは極みの楽な所。悪人でも行くことの出来る極楽。善人は善いことをしているから善い方向に向かって心も潤っているので駄目になる、地獄に落ちる恐怖からも「自分で救われています」。悪人は悪いことをして後ろめたい、心が病んでいるので自分では救われませんが、悪人はあなたでも救われると言えば「相手に救われます」。 (悪いことをしてもしたと思っていない人は救われています)亡くなるとこの世の悩み苦しみから誰でも救われ極みの楽だが、そんな人は極楽では阿弥陀様に今度は人を救うお勉強をさせてもらうそうです。極楽や天国、神様は地球を生み出した自然の力の象徴。亡くなった方に肉体はないので魂が千の風になって修行するのだそうです。それを解かりやすく生身の人の姿で例えているのだそうです・・・。仏教では肉体はなく、キリスト教では最後の晩餐のあと全ての人が若い肉体で甦り、善人と悪人を分け永遠の命を授かるか、永遠の死を与えられるそうです。

花祭りに注ぐ甘茶は、仏になられたお釈迦様・ご先祖様の好物です。
お線香の『甘茶香』は仏様の好物です。

仏様の国の人々は仏の世界の中心須弥山から取れる苦悩の去る不老長寿(万病の霊薬)の甘露を飲みます。
その甘露の代わりに花祭り(お釈迦様の誕生日)に注いで誕生を祝うのが『甘茶』です。
生きている間、人間はあらゆる煩悩に悩まされます。花祭りに注ぐ甘茶はその煩悩と厄災難を洗い流すと共に、心身を癒し長寿を保ち、ココロを洗い流す意味があるそうです。
亡くなられ、六道輪廻の輪から抜け出す事が出来て仏の世界)の住人となられたご先祖様はこの世の好き嫌い良し悪しの執着・煩悩から解き放たれ空のような心で悟りを楽しまれ過ごされているそうです。
やっと仏さまに成れたのに未練が残る供え物もその気持ちは召し上がるそうです。
人はあれこれどれが好きというと必ず嫌い苦手があり二つで比べているそうです(比較検討)
太陽が好きならば月や別の星にあんまり好きではないのがあります。
(関心の無い物にも比較はしませんが・・・それら全体を指す空には比較するものがなく超越しているそうです)

お父さんお母さんお婆さんお寺お坊さんお線香、お月様、お昼。御とは尊敬、敬意を表します。お朝お晩とは言わないように、ピラミッドの中心に太陽がくるように、太陽が空の中心に来る昼には様々なことで苦労した昔の人は敬意を込めて感謝したのでしょう?
仏様の世界に住むご先祖様に『甘茶』はご馳走です。仏様のご馳走【甘茶香】
普段はご自身の好きな香りでも毎日同じおかずでは飽きますし、生きている人も誕生日にはご馳走を頂くように命日は仏様の誕生日です。主役の仏様の好物で祝いもてなしてあげましょう。
お仏壇は仏様の住まいと言い、仏具のお線香は食事だといいます。
新盆初盆には特に心を込めてもてなしてあげましょう。
お線香の上げる作法は自分の好みや自分中心ではなく、仏様の身の上や心情を考えてどうすれば喜んでもらえるのか?
思いやりの心で持て成すのが【ご先祖様へのマナー】です。

お線香の香りや種類が沢山あるのはなぜでしょう?仏様は好きも嫌いもなにもいわないのに・・・
「お線香も自分の事は何もいいません。自分を犠牲に隅々まで行渡り、人々を平等に香りで持て成し人の喜びを共に喜び、お線香は仏のように与えきりで慈悲の極みです。」
お線香は一度火をつけると最後まで燃え、我が身を燃やして人々に癒しと香りを持て成しますが、
仏様も釈迦力に自分のエネルギーを燃やして、様々に現れ人々を癒し、利益と幸せを与えてくれますのでお線香を焚いて祈りと感謝の心を供えます。
仏様だけでなく 『ご先祖様も助けてくれているのかもしれません。』

『この文章中に出てくる 六波羅蜜 とは?』

世界には昔から宗教によって様々に神様、仏様へ祈り・感謝を伝える方法があります。
香り、生贄、儀式など沢山ございますがそれはなぜでしょう?
ピラミッド・七福神・ナスカの地上絵?モアイ像?祭壇?ミイラ?
現在の世界の光景も、未来の人が見れば不思議に思うでしょう?
困っている、悩んでいる人に、周りの指導者がこうすれば良いと指導しています!

人の心の法則(振子式)
@安心(気がかりなことがなく
心が安らぐこと)
A普通 B不安(悪いことがおこりそうで
気がかりなこと)
幸福(不平や不満がなく
心が満ち足りていること)
普通 不平(満足できなくて不愉快に思うこと)
幸せ(幸運に恵まれて、心が満ち足りていること) 普通 悩み(精神的な苦しみ)
楽しみ(楽しいと感じる物事、先のことに期待をかけて心待ちにすること) 普通 苦しみ(苦しむことまたそのときに
感じる苦しい感じや思い)
喜び
(喜ぶこと、またその気持ち)
普通 悲しみ(悲しく思う気持ち)
救いたい 普通 救われたい
求められる 普通 求める

☆満たされている(満足)

☆どちらでもない(普通) ☆満たされていない(不満)

 幸福=不平や不満がなく心が満ち足りていること。
 幸せ=幸運に恵まれて、心が満ち足りていること。
 幸運=運のよいこと
 運=人の力ではどうにもならない、めぐりあわせ。
 めぐりあわせ=人の意思とはかかわりなくめぐってくる運命。
 縁=運命として定まっている、めぐりあわせ。
 運命=人の力ではどうにもならないめぐりあわせや人の身の上

@にいる人はそれが普通なので解かりませんが、Bの谷に落ちている曇りの人が@を見ると羨ましく思ったり、@の山に上がると@の快晴になります。それはなぜでしょう?
良い悪いでなくて「素晴らしい」と思うからだそうです。素の晴れで素晴らしい!
素晴らしい=感銘を受けるほどすぐれているさま。見事、素敵、理想的。
感銘=忘れられないほど深く心に感じること。そこにねたみ心は生まれません。
素晴らしいと感動(物事に特別な意味や価値を感じて強く心を動かされる)を沢山するといいそうです。
「甘茶のお線香で感動を覚えることが出来るのだそうです。」
普通に毎日供えていたお線香にもこんなに深い、深い意味があるそうです・・・

@の人もBの谷に下りると@の有難いのが解かるので時々下りると好いそうです。

@山 A平地 B谷
@明るい陽色 A普通 B暗い陰
@見える A普通 B見えない
鳳凰 鮫鯱
極楽 普通 地獄
菩薩 畜生
陽気 普通 陰気
暖かい 普通 寒い
普通
元気 普通 病気
快晴 普通 雨、曇り
勇気 普通 挫折
足りる 普通 足らない
十分 普通 不足
教える 普通 教えてもらう
出来る 普通 出来ない
栄える 普通 衰える
お金持ち 普通 借金持ち
余裕 普通 困る
裕福 普通 貧しい
成功 普通 失敗
幸せ 普通 不幸
黒字 真中 赤字
勝利 引き分け 敗北
極楽 人間 地獄
綺麗 普通 汚い
美味い 普通 不味い
恵み(ご利益) 普通 天災(たたり)
当たり年 普通 厄年
普通
向上 普通 衰退
普通
潤う 普通 汚れる
似合う 普通 似合わない
便利 普通 不便
忙しい 普通
簡単 普通 難しい
良い 普通 駄目
好き 普通 嫌い
新しい 普通 古い

さて人間はどちらにいると色々な新しいものを求めるでしょうか?救われたい助かりたいお金持ち幸福になりたい。人間は自分に無い物を求めるようです。今あるものが無くなれば、出来る事が出来なくなれば、当たり前の事が当たり前で無くなった時には沈んで有り難いのに気づく場合もあり、ある内は中々気付かない。ある内にそれが天使だと感謝できる人は素晴らしい人だそうです。

求めるのはBになったときに@を強く求めるそうです。
夫婦でも心を新鮮に保てば長持ちするそうです。緊張感が鮮度みたいで初々しい入学生のように春のような関係でいる事が出来ると冬が来るのを遠ざけるそうです。
一緒にいるのが当たり前になると鮮度は落ちます。相手を満たしたいと思うココロを忘れてはいけないそうです。恋は願望、自分を満たしたい。愛は相手を満たしたい!!映画や物語も自分の今の環境で、悲しいのが善かったり幸せなのが好かったり・・・。

人は環境に左右されるそうです。自由の女神は右手を掲げ、ニューヨークの証券取引所の銅像は両手の手の平を下に向けて下ろす。世の中には下から昇ろうとする立場、上にいる立場があるようです。
暑ければ(厚い)黒く、寒ければ(薄い)白や青に。暖かい所では朗らかに、寒い地方では機敏になるようです。

今のココロはどこにいるでしょう。
物の販売で考えれば不便を感じていない、今で便利と思い満足している人@には、これだともっと便利になりますよと提案出来なければ求めていないので売れません・・・。
逆に不便を感じている人Bは求めているので購入しやすいのだそうです。

人間は普段なにかしらのB悩み、苦しみ不安を抱え逃れて@幸福、楽、安心を求めているそうです。
もともと人間はだれしも死に向かって老いていく苦しみがあり、他に日常では悩みがあり曇っています。それを逃れるため人は賢い人は晴れを作ります。お寺が作った祭りや祝い事などもそうですが人は日常の生活から離れ悩み苦しみを忘れたいのだそうです・・・。
祭りでハレを作る人もあればショッピングの雰囲気で晴れ、晴れ舞台のために用意して満たされる人もいます。

服でも今で満足していれば求めませんが、満たされないのでもっと良いのを求めます。
欲する心を抑えなければいつまでも満たされる事はないそうです。愛着を覚えれば、それが壊れた時、亡くした時には悲しみを生む・・・。
普通にいれば冷静ですが、谷が深ければ深いほどそれに反比例して山を大きく求めるそうです。
子供が駄目なことをした時は父の厳しさが苦を抜き去り、母の優しさ楽を与えるといいますが、浮いた心を父が叱ってBへ落とし母が大丈夫よと慰め楽を与える・・・。
赤と黒の関係のような、二人で行う振子式。(抜苦与楽)
沈香で沈めて白檀で浮かせても善いでしょう!

安心を得たり、満足を得られている人@は心がもう救われているのであまり行動を起こしませんが、不安、悩み苦しんでいる人Bにこうすれば救われるもっと良くなると提案すればそれによってその人は救われます。「お金持ちになりたい」と黄色のものを購入する人もいますが、本来の志とは違い黄色のものを手に入れて満足しお金持ちになっていなくても、その時は病は気からというように、気は救われている場合もあります。
(これは病のある人に3ヵ月後にはもう駄目ですよ、というとその人はその間に悩み苦しみますが、こうすれば良い、「大丈夫ですよ」といいますと、駄目でも、三ヵ月後に亡くなってもその人はその間は救われているのと似ています。)
沈んでいる人に黄色の物は希望の光に見えるのでしょう!
「お金を儲けるのは簡単だ。自分が貧乏である事に気付き、もっと注意深く物事を考えるようにすれば良い」とエジソンは言ったそうです・・・。大乗仏教は自分だけ救われるのでなく、皆で救われようとするそうです。貴方も大丈夫と言われれば駄目でも救われた気がして心は救われます・・・。

三ヵ月後に死ぬ人は、死ぬということを知らされて残された三ヶ月を有意義に過ごしたい人と、三ヵ月後に死ぬということを知らされずに知らぬが仏で過ごしたい人。その人はどちらなのか知りたければ、健康診断に自分から進んで行く方は知らしてほしい人が多く、金銭面に関係なく健康診断を自分から断る人は、知りたくない場合が多いようです。
満足とは足が満ちると書くように足りているので新しくは求めません。不足は足が足りないので求めます。飽きられないようにするには満足の一歩手前で辞めておきましょう。全てを知ってしまうと飽きてくるように、未知の世界、ミステリアスな部分をおいておくと満足はされず求められます。心から全ては起こるそうです。

こうすれば救われる。一つだけ願いを叶えてくれるなら・・・願いが叶わない恐怖から救われそれにチャレンジすることができる。それがお守りか祈祷か占いか世にも珍しいお地蔵様なのかなんなのか、願いは三つは自分で解からなくなるので一つだけ・・・。心に暗示をかけるだけ!仏教聖典にも心から全てが起こると最後にあります。

お線香も毎日ただ供えているだけ、お参りするだけでも良いと思えている人はそれで様々なことから救われています。
悩める人を救う側にいるお医者様。助けられる病人。年老いた人や、上から入れる洗濯機が不便と感じていた人も多いはず、斜め式がその問題を解決してそれを救い大ヒットしました。人の心を満たす電化製品。電化製品によって満たされる人。
救う側(満たす側)にはお金が入るが救われる側(満たされる側)はお金が減ります。@に成りたいならば救う側(満たす側)にならないとならないそうです。相手を満たす・・・人を助けたり教えたり楽しみを与えたりする行為は忙しいですが自分も心が満たされ潤い幸せです。
救われたい、満たされたい人は暇で、自分がどこまでいっても満足できません。満たす側、救う側にならないと・・・

@の言葉は心に潤いを、Bの言葉は心が汚れ潤いを無くします。
『もどれもどれ生まれた頃の純粋なココロ、あらゆる困難に立ち向かう勇気に満ちたあの頃のココロ』

Bの状態にある人を救うには相手を否定すると話をうけつけなくなるので違うと思った話でもそうですねと話をあわせてそのあとで提案するのが良いそうです。こうすれば救われるより良くなると・・・。
占いや高額の商品を販売するときや心を射止めるときなどにはBの状態にあるのはさぐり、どれなのか聞き出し、このままではいけないと相手の身になっているように不安をあおり(揺さぶり)、こうすれば良い(幸運)と提案すれば谷が深いので喜びも大きく信頼を得るらしい。
(例えば奥様が料理を作ってくれた際に塩が多いなと感じた時でも、鬼のように最初に塩多いねと言うと心が普通AにあってもBになる、聞く耳も持たないかもしれません。
せっかく作っているのですから最初から駄目だしはしないで最初は美味しい、いつもありがとうと褒めたあとにもう少し塩を減らすともっと美味しくなると話すといいそうです。(言うのは次の日が善いのかもしれません)不味いなどBの言葉は使わない方が善いらしいです。料理を作った奥様の心も言われる前からAではなくBにあるかもしれませんし・・・)こうすればもっと良くなる/これはあらゆる所で応用されているそうです。Bの人には効果的です。

駄目だろうなと思えば駄目になりますし、自分で自分をコントロール(自分は幸運なのだとツキがある、ご先祖様に守られている気がする、出来ると@を心に言い聞かせたり)自己暗示して救われる人もいれば、お守りを持ったり呪文を唱えたり、こうすれば救われると他人や仏様に救われる人もいます。
救われたいと思うのがBで、救う側に多くいるのが@です。仏はその人をBから@に向け救うのだそうです。
@にいる人は人脈もあり、満たされていて上手くいっているのであまり考えませんが、売れないときこそ智恵がでるといいますが、なにかしないこのままではいけないと思っているBにある人こそ一生懸命になれる、ハングリーなので考えて智恵がでる場合もあるそうです。ココロが汚れてくるのでBの言葉は発しないで@の言葉を何度も発すると回りも自分もやる気が失せず明るい未来が待っているそうです。
Bに落ちるのが善いのでなく考えることが善いのだそうです。逆境にあれば考える。周りが助けてくれなければ愚かな者は地のそこまで落ちる火の車にゆったり座りますが、脳ある人はどうしてそこから降りようか考えるそうです。伝説も映画も漫画も普段から離れて晴れをつくる為の例え話で現実ではないようです。  
千の風になってという歌詞が流行っていますが、神様の国、極楽でお話聞いているとは一言も言ってはいません。肉体や魂のあるあの世ではなく、風にのって塵から自然となって創めますから貴方の傍にいますと歌っています。本当に大切な人を亡くした方への思いやりの勇気を与えてくれる歌詞です。
 田舎の散髪屋は今まで来ていたお客が来なくなるとその人と会っても話もしなくなる人もいるといいますが、都会の人付き合いの出来る散髪屋は「久しぶり!元気にしてましたか?最近来ないけどなにかあった?と自分からを問いかけるそうです。客や相手が去るのは訳がある。そして自分に非があればそれをありがとうと悔い改める。善人も同じで、悪人は悪いところを指摘されると改める所かその事に怒りを覚える。客や相手には選ぶ権利があり、相手を満たせない店が繁盛しないのは訳があるのに自分は・・・、時代が・・・、早く降りないと大変です。値段だけのサービスも大変です。相手の満足度を上げる特別なおもてなしが必要のようです。皆ライバル、おもてなし合戦。

仏像は普通Bのように見上げている者はいなくて髪の毛も皆上がっています。人間でも自信のある人、ある時は髪の毛を上げたり全て後ろに流したり、仏像は@なので皆下を見下ろしていますが、こちらはもっと上を見てそこから仏像を見るとこちらが上になり仏像は沈んでいる横に寝ているように見えます。
とても慈悲深い仏像が助けを求めているように見えます。京都に沢山仏像が並んでいる場所がありますが、正面からみると圧倒されますがもっと上を見てそこから見たり、横に回って裏を見てみるとほこりが溜まって金箔がはがれて仏像が助けと救いを求めているようにさえ思えます・・・

昔、戦国武将の武田信玄やその他の武将が神社や寺院で必勝祈願をしました。現在は受験や就職活動の人が祈願しています。このようにすれば大丈夫!戦で負ける恐怖、死ぬ恐怖からそうする事で人は救われたようです。武士道とは死ぬ事と見つけた、死ぬのが普通だと思えば恐怖から救われる・・・。
・・・なったらどうしよう???と考えるより、武士とは死ぬ生き物だ・・・それが教育で普通だと思え、男とは断られる生き物だと思えば断られる恐怖はなくなります。
自分より身長の高い人と戦うのは見上げないといけませんのでプレッシャーがかかります。兜の先端を大きく伸ばしてこうしているから大丈夫と自分に言い聞かせた人もいるでしょう?。生物は雄が何か発してアプローチする場合がほとんどみたいですから失敗して当たり前なのだと思うと良いみたいです。しかし本当は迷惑をかけないように相手に喜んで頂く様に気遣いがあれば犯罪はへります、気遣い、思いやりと真心が必要のようです。ですが世の中には闇がありそんなのは関係ない!先を考えるのを捨てて行動する人もいます。自分は救われた気がします。

花は咲いては散るが、咲く前に散る花もある。美しく咲くためにはまず善い器と善い肥やしと善い水と光を授かる環境が必要。人も同じで美しい花を咲かせるため、食べてゆくために、好い器と土壌と水を手に入れるために勉強したりダイエットしたり好い服を着たり、高層ビルの好い光を求める。花によっては自分のために動物まで食べ栄養とする。それは太陽系の仕組み?出来れば大切な花に要らない花粉が飛んで来ないように、網なしネットをかけて悪魔の投げた餌、罠から遠ざけ隔離するのが好ましい。そこで勉強することもあるでしょうが知らぬが仏、獣は身を引き裂くだけだが悪友、悪花粉は心を引き裂くので近づくなと仏教聖典にも同じような言葉があります。

花、それは美しい。花のあるところには生物が寄ってきます。赤い花には豊かな人が、黄色い花には希望を求める人が集まり、青い花には冷静な人が集まってきます。美しい類は美しい類を呼び、波長が合うのでしょうか?紫の外の線はあまり好くないそうです・・・?
美しく咲いた花にも人が集まる。美しく咲いた花は、相手に強く発して強く惹きつける。光を発してなお引力のある太陽と同じだそうです。希望のひかり!造花と同じで、形あっても匂わない花には、希望や夢が中々持てず人は集まらないそうです。

蓮は汚れた水にしか咲かない?咲けない?汚れた水の周りでは蓮が輝くのはなぜでしょう?周りに汚いのがあればこそ、悪いのを知ればこそ、苦労をして手に入れてこそ、美しく尊く感じる。
皆が良い人ならそれは当たり前で一目をおく善い人ではなくなる?
光の中の光る花畑にいるよりも、闇に咲く一輪の光。幸せは無くなってこそ尊く感じるのは比較対照があるからでしょうか?
グループに一人の華。花は綺麗な花だけで、綺麗な花ばかりで見るよりも、綺麗でない花を知ると、一緒に見ると綺麗が一段と綺麗に見えたり、解かるそうです。苦労をして手に入れたならその価値は何倍にもあがる。その花の咲くまでの過程を知れば特別な感情を覚えるようです。高嶺の花は手が届かない、届いてしまうと普通の花になってしまう・・・。

釣るもの釣られるもの。救うもの救われるもの。受けるもの発するもの。満たすもの、満たされるもの。起承転結。春夏秋冬。緑赤茶黄青。木火土金水。栄盛衰枯。生まれ老いて病に成って死ぬ。花のようにうまく潤滑に流れ最初に戻ると好いのですが、トイレと同じで溢れたり詰まったり、メンテナンスが必要。薄いのから濃いのへ、黒いのから赤いのへ。朝が来て夜が来る。夜が来るから朝が来る。しかし冬に芽生えがもう一度あるといいですが、夏の繁栄の火で秋に枯れて咲かない冬のままでいて春にならない寺もある。炎は繁栄の火。昇れば降る。
本能寺の変後、窮地の徳川家康を助けた寺のそれからと、幕府最後の際、菩提寺の結果。寺も誰をいつ救うかで変わるそうです。製造元、小売店、問屋、徴兵、国。昔から繰り返される現象、どちらに付くかで貴方の運命が変わる。
栄枯盛衰を、木火土金水を理解して味方になると好いそうです(自分に善いのか、社会に良いのか、相手に良いのか??)。今が誰にに付くかの時だ!時代には節目があるが、後に考えれば成功したひとはそのときに考えた人、運の良い人が多いようです。今歴史が動く・・・。
太陽は律儀になにもいわずに毎朝同じ場所から昇り下って下さる有難いもの。毎日違う所から出てくれば世の中変わるでしょう。有り難い存在です。(実際は太陽の場所は同じだそうで、地球が回転しているのだそうです、皆に太陽が当たるように地球の思いやりかも知れません???)

O型の方はおおらかといわれ理由がなくても大丈夫ですよといえる人が多いようです。駄目、駄目というよりは大丈夫、「なんとかなる」と言われればその場は救われる場合もあるようです。(銀行や日本も駄目といえばお客様が取引停止したり、景気も悪くなりもっと駄目になりますが、言わなければその場は救われます。マンションでも、サプライムローンでも、世界の市場情勢でも。
最後はどの道を行っても結果は駄目なので、いつかは誰かが大変な思いをします。
小出しをして負担を増加したり、少しずつ苦労をしていないと地震のように溜まりに貯まった力が爆発して一気に負担する事になります。国が潰れた場合、紙幣価値がなくなり製造業の仕事は増えるのでしょうか?もっと大きく様々な事を考えないといけないようです。
大体担当者が変わるのが30年周期が多いようですが、後に受けた担当者、その時の子供たち、全国の市町村他、世界で苦労する人がいるようです。今大変なのでお金を借りるとその場は救われる、そして大変なので別の所で借りる、自転車操業とよく似ています。こちらを救うと、あちらが潰れたり・・・。日本は戦後に比べると現在大変といっても豊かですが、もっと食べるのにも苦労している国もあるので有り難いです。
新しい店を出さないとお金が回らず潰れてしまう。借りたその人も大変ですが、貸している人も債権割れの危険があるので大変です。担保、保障、売上。第一次世界大戦の敗戦国。借金が沢山出来てしまい、相手の景気が悪くなり債権の回収を要求されて国が大変になり、後に戦争という波に進んでしまう。水に動きがないと腐るように、市場に動きがないと潰れてしまう。
小さな波の1個人が、1家族になり、1町になり、1県になり、1国の大きな波になる。大きな会社が潰れるとそれによって苦労する人が沢山でるので、大きな会社を存続させることで小さな会社が潰れてしまう。
現在1家庭を補助するのも、障害者を補助するのも、老人を補助するのも大変な時代がやってきました。今小さな段階の時にやらなければ、小さな地震を連発していないと、国が潰れるような大きな歪みができてしまうのでしょうか?
地震の原理と同じで、世界は繰り返しているのだそうです・・・??)

現在も様々に落ちる恐怖、交際を断られる恐怖、駄目になる恐怖、断られる恐怖からも救われているのだそうです。士気をあげる方法に使われていたようですが、無くなると悩み苦しみを生むので無くならない物を心の糧にした方が良いそうです。
戦場は上の人が下の人を救うのが楽なように、上から下に攻める方が気分的にも体力的にも楽です。人生の戦場も自分を@に昇らせないとしんどいのだそうです・・・

野球選手でもピンチになった際には100%の力が出ません。精神的なもので打たれたらどうしよう?悪いイメージが過るもの。ランナーが気になる未来が気になる・・・。そんなときにはご自身でおまじない。先の事は考えても仕方がないので、プラス思考でこうすれば大丈夫良い結果で終わるイメージを持ち、呪文でもお守りでも自分の手に人の字を書いて飲んでみても、家族でもなんでも自己暗示。こうすればこうなると良いイメージすれば勇気が得られます。そして打たれた際にはこれだけで済んで良かったと自己暗示。人生も大丈夫、良い、良い良いとプラスの思考で今を楽しみながらいくと良いそうです。(交通事故もそうです。車の交通安全の祈祷も新車の不安をこうすれば大丈夫!。受けても事故は起きる場合もありますが、大破した車をみてこれだけで済んだと事故暗示)

お線香の焚く意味は?線香とは?

お線香は古くから「信心の使い」と言われ香をたくことによりその香りが心身を清め、自らの内にある仏性(仏の種)を目覚めさせるとされています。
また線香は「仏の使い」と言われ、浄らか信仰の真心が香の煙にのって仏さまに伝えられる方法といわれています。
参考資料 鎌倉 住職 
仏様の喜ぶ 「甘茶香」 は、自分中心の貪りの心から仏様が衆生を救うために仏の使いとして姿を変え現れた 「仏の化身」 です。

礼拝場のお寺に行った際、本堂へあがる前にお線香の煙を全身に浴びる意味は何でしょう?

仏様は清らかな物 『清浄』 を好むといいますが、それは植物 『花』 であり 『香』 であり、 『灯』 であり 『水』 であり 『米』 であるのは自分を犠牲に他を利するものだからだそうです。仏さまを大切に想い、自分に出来る精一杯の持て成し、こうすれば喜んでもらえるのかなと他を利する御供えしようとする清らかな心『思いやり』 と 『真心』 が仏様の 『好物』 です。しかし生臭い、「生の物」、動物 『肉や魚』 、『怠け心』 は好まないそうです・・・
生物や動物には生みの親があり家族があり自分の為に沢山の生命を頂く、仏性を煩悩の垢で覆う人間は「不浄」な生き物で、その汚れた息が直接 「清浄」 を好む仏さまにかからないように、お線香の煙で「心身の汚れの煩悩と生臭い息を清め」ご本尊様の所へ行きます。昔は人間に近い四本足の生物を食べてはいけない時期もありました。
「美味しい」ので食べれば良いのですが生物を頂く際には 『感謝』 して頂きましょう。心が潤います。
お釈迦様は全ての生物は仏に成れるといったそうです。植物も動物もそうですからそれを頂戴して生かして頂いている訳です。
「生命」を頂いているのを考えれば 『頂きます』 『ご馳走様でした』 という言葉が自然と生まれます。
人は現在支配されていないので自由がききますが、宇宙人などに支配されて養殖したり何県産が美味しいなどといって、自分や親類が紐で吊るして品評会されるのをイメージすれば食されるなど人で考えれば集団生活をする動く物、動物の親子も食べられたくはないでしょう・・・
鳥又は、足の無い魚は「絞める」といいます。

極楽にいる極楽鳥は 「六道輪廻から抜け出せた鳥ではなく阿弥陀様が姿を変え」 皆に人を?救う教えを説いているといいます。
「この世にいる鳥、豚、牛、生物も阿弥陀様?お釈迦様が姿を変え現れている」 のかもしれません。
そして仏に救われる側でなく、「救う側に早くお成りなさい」と教えているそうです。
様々な人に様々な悩みが沢山あるので宗派が色々あります。
生きていくだけで精一杯の人には、金色の物や黄色の物は希望の光に見えます。
光があるので陰が出来ます。太陽の光が物質に当たりその下の影では紫外線を防いで涼しい場合もあるそうです。光を除けば闇になる。太陽を除けば全てが闇になります。温暖化を防ぐにはオゾン層の幕を作るのか?それとも温度を下げるよう努力するのか?太陽が無くなると人工の太陽を作るのか?
太陽の届かない所に地上では希望の陽光を差し伸べる人もいます。発するのが陽で、受けるのが陰。光を皆が発すれば闇は無くなる。寺院では相手に応じた事を発する対気説法なので、闇が救いを求めてこなければ救えない。相手が求めることを発してこないと応じられません。知らぬが仏というように知らなくて良いことは知らなくて良い。知ると悩みを生む恐れがあるからだそうです。キリスト教ではこんな光の世界がありますよと提案するようです。
光は求める人より与える人は強い。与えるものは強い、貯え(蓄え)のある者はより強い。
黄色い物を見て大丈夫、大丈夫、大丈夫と三度秘密の呪文を唱えれば救われる、救われた気がします。(病は気から)ブランド物を持ったり化粧をしたりすると、豊かになった、若返った気がします。(本当は服装も化粧も相手への礼儀でするのが良いそうです)
「永遠の光と平和」「永遠の希望の光と、心の平和」は信仰(気)と努力(力)の車輪でまわり、同じ大きさであれば幸せという人生の目的へ進むそうです。

「法華経ではこの世のあらゆる所に仏様を見ることができる」 といいますが、この世でもあの世でも現れて教えてくれているのかもしれません。
淡路梅薫堂に毎年来る 「燕」 は悪人と違って、嘘をついたり他の燕をだましたり、様々な煩悩があるように思えません。
本能、習慣だけで毎年やって来て「生きていく事だけに必死な姿」や、(恵まれない、治安の悪い所に住んでいる人は、自分が生きていくことだけに必死です)自分のためにではなく我が子の為に餌をとってくる姿は、己を忘れて他を利する与えきりの 「慈悲」 の極みの心に見えます。とても幸せそうです。
動物を自分たちの為に頂き、救世観音のお告げをうけて、前世の因縁によって観音菩薩が妻となり一生の間、その傍らにおり浄土へ導いてあげようとの事から、法然上人にも念仏を唱える上で妨げにならない限り許された親鸞聖人の妻帯に続いたお住職様も聖域である本堂へ上がる前には、お香(漢方薬)を粉末にした塗香で仏様に近づけるように心身を清めます。
戦争は敵か見方か解からなければ自分が殺される可能性があるのなら、家で待つ家族の為にも相手を撃つそうです。宗教が違うのと派閥が違うのと同じで、自分は救われるが相手は救われない。
動物もペットも同じで、心が入らなければ自分の家族を優先するようです。
貧しい人も助ける為にお寺には税金が掛からないといいますが、家族を持つと人間なので平等に接する事が難しいので、昔は妻帯を禁止したのでしょうか?


葬儀は亡くなられた方、ご家族の為にするそうですが、葬儀のお金が沢山必要で救われなかったり、葬式ばかりで気疲れする人もいます。暗い行事なのに暗い服装で一層沈みます。暗い行事を明るい希望の行事にすれば亡くなるのは辛い事で無くなり軽視してしまう。一長一短、皆に合うものはないのだそうです。

伽羅や沈香、白檀のお線香などは仏様に香りを供養・献上する意味、汚れを除く意味、浄土を再現する意味などがあるそうです。仏の使いと言われその場を 「厳粛な空間」 に変え人々の仏性、仏の種を開花させ仏ゴコロを導こうと現れたものだそうです。
仏壇の花、お寺の庭園、美しい景色なども、人々の仏の心を目覚めさせ、安らぎを与えてくれる縁起になるそうです。
目に映るものに囚われてはいけないと仏教聖典にありますが、イメージを思い浮かべて安穏へのきっかけにする為に、仏像や極楽、形式があるのだそうです。

お線香の主成分「漢方薬」には鎮静作用(気を静める)の効能がありますので、
心を落ち着かせ悩み・苦しみのない悟りの境地(極楽浄土)へご自身を導くのを補助します。
お釈迦様の言われた 「香は部屋の中でたきなさい。そしてその中に入り気を静めて、無の境地になりなさい」も実践出来るのです。
一日の終わりに香を焚き、何も考えない時間を三分持って見て下さい。(禅定波羅密

大切な方を亡くされたご家族の場合、 「心の悲しみ」 が少しでも平安になって頂くように漢方薬の沈香や白檀のお線香で 「心穏やかに、気を沈静」 させて下さい。
 

高価な値段の線香、伽羅のお線香が一番の供養
線香はご自身の好きな線香?ご先祖様の好きな線香?

「そんなことありません。」
奈良薬師寺の 「高田好胤」 和尚は 「お線香は良い物を使いなさい」とお話されたそうです。
良い物とはどんなものでしょう?値段?自分に?仏様に??相手に???線香????原料?????誰に善いのか??????誰が決めるのか???????
お金があれば値段の良い線香を供えてあげれば結構ですが、仏様の好物は相手の事を考えてどうすれば喜んで頂けるのかを考えた、相手を大切に思い身の上や心情を察する思いやりでもてなす清らかな真心です。
お寺様の身の上を考えればオイルのお線香は経を読む際にのどにかかるそうで、好まれる天然の沈香のお線香ならば経を読む際にのどにかからないのでお寺様には喜ばれますし、ご先祖様にはその人の生涯と生き方によっても喜ぶ物は違います。自分でなく相手の事を考えられるご先祖様の喜ぶ事は残された方が人々を助ける悩み苦しみのない『幸せの船』に乗って明るく過ごしてくれることだそうです。相手の身の上を考えるだけで人は幸せになれるそうです。
無理はせずとも、自ら進んでなにかしてあげたい!頂き物のまんじゅうを供えてあげ、朝一番のご飯を先に供えてあげる。
人間も古い水は飲まないように仏様も新しい水や茶に変えてあげると喜んでもらえるかな?と人それぞれに価値観やものさしが違いますので自分で考えられるもてなしをしてあげると良いそうです。
仏様が来られて夕方になれば水や茶が無くなっていてその水を飲まれるわけではございませんが、仏様は相手を大切に思う気持ちの 『真心』 を美味しく召し上がられます。『仏様の食事は、思いやりの心でもてなす真心です』。
お茶の湯気がご先祖様のご馳走と聞きますが湯気が出るのは出来立てだから・・・
自分も一時間も経ったお茶を出されるとどうでしょう?心なくして習慣でご先祖様の給仕をするのではなく、自分がご飯と香辛料だけの生活で考えても、毎日同じおかずでは飽きるように仏さまに自分の好きな香りばっかり供えるより時々は相手の身の上を考えて様々なお線香のお供えも喜ばれるそうです。仏に成ることが出来たご先祖様にはお茶の代わりに甘茶でも喜ばれるでしょう!
仏様の好物 「甘茶香」 でお誕生を祝ってあげると喜ばれることでしょう。
頂き物のまんじゅうを供えてあげると夜には一つ減っていたなんてことはありませんし、皇族御用達のまんじゅうを供えてあげると晩には召し上がって「とてもお上品なお味でした・・・」と置手紙があるわけでもございませんが、仏さまに先に供えて頂く、お線香やご飯も先に仏さまに供えて頂く、香りやご飯やまんじゅうを頂いているのはご自身ご家族 「生き仏」 です。この行為をする事によって謙虚な心、思いやり真心が養われます。
お墓をたわしでこするのをやめて布にしてあげるなどそんな優しい心、心から仏様を大切に思ってあげる 『清浄』 な心が、相手を思う思いやりと真心が一番の供養、「仏様のご馳走」になるそうです。

『仏様は何も言いません』 何も言えないのかもしれませんので特に考えて大切にしてあげて下さい。
神通力を使いご先祖様を探して見ると、目連の母のように人間界で自分の好きな物(我が子・家族・自分の仏様・自分)だけを貪って、餓鬼道にいるかもしれません。
それを救うのは布施行やお持て成し、ご自身が餓鬼道に落ちないのも布施行やお持て成し。貪らず他人の喜びを共に喜ぶのは 『人の道』。
自分の仏様だけを大切にしないで、お線香もお釈迦様、諸仏、諸菩薩に供養し、ひいてはご先祖様の世界にも届きますようにともてなしするのが普通なのだそうです。
仏様の好物、仏様のお誕生をお祝いするお線香 「甘茶香」 を亡くなられた方が仏さまと成って誕生できるように初盆や法事に伺う際にはお供えし、ご家族は亡くなられた方の分まで 「沢山の人々、ご縁のあった方々を盛大にもてなしてあげると善いそうです。」
仏様の喜ぶ甘茶香。送るときには相手の喜ぶ顔を思い浮かべれば楽しくなります。

自分が良い香り、良い香りと求めても何処までも満足は出来ません。だんだん香りの強いのを貪り求めて、鼻も悪くなりもう弱いのには戻れませんが、自分は救われた気がします。人は強いのを求める人と弱いのを求める人。山の人と谷の人で、陽の人と陰の人で違いますが、相手中心のお客様へのもてなしも、空間にあったほのかな香りが喜ばれるのでしょう。香りの苦手な人もいます。好きな人もいます。焚いていてくれたのだと察するだけで人は幸せに感じる事が出来ます。空間を読める人、洞察力のある人、嫌いの少ない人、寛容な人、背の高い人で見えるおもてなしも違いますが・・・。もてなす側は焚いているという方が自己満足はあるかもしれませんが、体調にあった香りや、
旅館へ入る前の序章の香り、メインディシュまでの前菜程度の香りが好い?善いのでしょうか?どんな圧力にも熱にも耐える黄金の物差しで、魔法か正法の柔軟な物差しで考えないと解かりません。来られる人の現状と気持ちの持ち方次第です。

線香を供えてあげようとも仏様は「ありがとう」とも「美味しい」ともいいません。

伽羅のお線香をあげるときなんて「一万円 」もしたのに・・・仏様はなにも言いません。
お中元やお歳暮をお世話になった方へ送ると『ありがとう』というお礼の言葉が届きます。

お釈迦様は「布施行」を皆に勧めました。
良いものには見返りを期待しない慈悲の心を持って、皆様に勧めたくなるものです。
『己を忘れて他を利するのは最高の慈悲の極みなり』 
『一途を照らす』伝教大師 最澄
お釈迦様は施しがたい物(大切なもの)ほど施す方が良いと申されました。
大切にしている物程無くなった際に悩みを生み、そして苦しむからです。

お線香を供えるのは施し、布施の精神。仏様は何も言ってはくれませんが勿体ないなど思わず物惜しみの心を捨て仏様が喜ばれるならと進んで仏様や世間の為に骨を折るそんな柔和な心の人には仏様があらゆる所に見えるそうです。
相手が喜ぶならと大切に思い持て成す与えきりの慈悲の心を頂く修行でもあります。(布施波羅密) 
「お中元お歳暮」などにもいえます。
お釈迦様は全ての物には形が無くありとあらゆる物が互いに関係しあい成り立っていて、人にも我は無く全ては 「空」 であると説かれました。
自分中心でなく、他人も大切に出来る 「もっと大きな空のような心」 で全てに接しなさいといいました。
人は執着によって良し悪し などを決め悩み、そして苦しみます。 学歴・収入・線香・香りなど・・!(無明・貪愛)
心に好悪を起こして執着してはならない。好むこと、嫌うことから悲しみが起こり、恐れが起こり、束縛が起こる。
自分の好きなお線香の香りに執着し、餓鬼、餓鬼と貪れば大切なことも見えず 「餓鬼道」 へ、
お線香の香りは上手く使えば妙薬になります。(妙とは仏教で最高の状態を指します)

川は人にとっては川と見えるけれども、貪りの世界に住む水を火と見る餓鬼にとっては川とは見えない。

五官(目・耳・鼻・舌・身)の戸口を守らなくてはならない。
あの人にとっては大切な物。この人にとっては要らない物。私には「良い香り」でも、あの人には「嫌な香り」のお線香。
「良いお線香と言っても六道の住む世界と、人の好みによって違います。」
ご先祖様はこの世の好き嫌いの執着を一切経たれ、極楽で教えを楽しんで聞いておられるといいます
仏さまに成られた 「ご先祖様の好物」 は清浄なものです。どうすれば喜ばれるでしょうか?
人間の智慧で「相手の状況を考えた思いやりと真心」で盛大に持て成してあげて下さい。
人は環境が適うと親切で謙虚で静かに入ることが出来る・・・。環境が心に逆らっても、なおそのようにしていられるかが問題だそうです。

値段の高いお線香が本当に良いお線香でしょうか?
自分の好きな香りが良いお線香でしょうか?

人間は「好き嫌い」で物事を判断します。仏様はこのような香りもあると「特徴」としてみるそうです。
大きい家、小さい家。良い悪い。大きいのはうらやましいなと良いと考えがちですが、大きい家には大きい家の小さい家には小さい家の良し悪しがあるそうです。
隣の家や家庭を見て良い悪いはねたみや嫉妬の心を起こします。素晴らしいと感動するのには向上心が湧くそうです・・・
同じ場所で生活する場合どうすれば良いのでしょうか?夫婦でお線香を使う場合どちらの好みのお線香を毎日使えば良いのでしょうか?旦那が留守だから・・・自分の好みで・・・若い人がお線香の香りを嫌がるので・・・私も幼いころは好きでなかった?主人の先祖だから主人が供養すれば良いのに私ばっかり・・・(そう思うと上手く回らないのだそうです。主人は自分に忍耐と寛容さを実行する機縁を与えてくれていると考えると善いそうです)寛容さは相手がいないと授かれないのだそうです。
演じる優しさ。偽善も心からしていなくても相手には光が射すそうです。
顧客満足度、相手の満足度を上げるには、思いやりと真心と気遣いのおもてなし、演出と演技が必要です。痒い所に手を届けてくれる有り難いと思う瞬間のサービス。

夫婦でも好みは違うように、もっと大きな心で、相手のことを考え耐え忍ぶ(忍辱波羅密)ことも大切らしいです。敬愛と忍耐、寛容さを育てていくと安穏な日が訪れるのだそうです。
敬愛=尊敬すると同時に親愛の心をもつこと
忍耐=苦しみ・怒りなどをがまんすること
寛容=度量が大きく、あまり人を責めないようす
安穏=変わりがなく、おだやかなこと。ぶじなこと。


お爺さんお婆さんは昔を振り返り話します。「物のない昔は、花祭りに水筒を持っていき仏様に甘茶を注いでお誕生をお祝いしてそれを貰って帰り、家のご先祖様にも供えてお下がりを美味しく感謝して頂いたものだ。最近の若い奴は自分中心で好きや嫌いやいいよる・・・。
飲み物や沢山の物が揃う現在の人々が飲むとあまり美味しい飲み物ではないが、仏様に供える好き嫌いを超越したものだ」
自分の好きなもの手に入れ、自分の好きなことが出来る現在は犯罪も多発しています。

亡き祖母は言っていました。「近くのお寺で毎年していた花祭りは次第にしなくなり、仏教を初めに説いて下さった根本、先人の有り難いお釈迦様の誕生を祝わせて頂ける楽しみが一つ減りとても悲しかった・・。辛い日々が続いたそんなある日の夜、夢に出てきたお釈迦様にお告げを受けたそうです。「感謝の心は形を求め、形は心を勧める・・・。もしあなたが因縁によって形を求めるのなら、甘茶を線香にしてご先祖様の命日と花祭り、ご本尊様の縁日に仏壇で甘茶の線香を捧げなさい。好い事が有った日に感謝して捧げ、悪いことがあった時にも反省して捧げるのならば、花祭りを祝う事が出来ない人も、家族だけを大切にする人も貪りの餓鬼道からその功徳で皆を浄土へ導いてあげよう」それから祖母は潤いを手に入れ極楽へ往生しました・・・。(姿や形だけに囚われてはいけませんが姿勢を正すことは大切だそうで、気力は目に現れ、生活は顔に現われ、年齢は後ろ姿に、人柄は笑顔に現われるそうです)

恋は自分を満たそうとする下心、(あの人と食事がしたい。・・・〜がしたい)相手はOKしていない願望である。愛は相手を満たそうと考えるので犯罪などはおこらないそうです。思いやりが足りないと・・・。
自分中心でなく仏様が喜ぶなら、相手が喜ぶならと相手の身の上や心情を考えることが出来る思いやりの心があれば犯罪も起こらないそうです。
最近は様々なお線香がありますが、仏壇で仏様を大切にもてなす行為は知らぬ間に息子や孫などの子供達もそれを見ていて謙虚・感謝・思いやりの心が養われていくのだそうです。
仏様のお誕生を祝う甘茶のお線香には、ご先祖様やご縁のあった方、それとご自身が仏と成ってお誕生を迎える事が出来るように人々が互いに「思いやり」と「真心」を養い幸せになっていくのだそうです。

そのお線香にはどんな意味があるのか?焼肉好きだったから焼肉の香りが良い?仏様の食事?相手は?自分は?
お釈迦様は見に見える色欲に流されてはいけないと言ったそうです。色は良い香りを発するが、それは幻で散っていく。悪魔の投げた餌であると・・・禁断の果実に手を出してはいけないと!
後ろを振り返ってはいけないと言われれば振り返りたくなる・・・それで道は決まってしまう・・・
(親のいう事はある程度聞く方がよいそうです。悪魔の投げる餌を知っている・・・なぜなぜなぜ???なぜなのかと聞いてみましょう?)

詳細は国産み、神産みをそれぞれ参照

天地開闢において神世七代の最後にイザナミとともに生まれた。国産み・神産みにおいてイザナミとの間に日本国土を形づくる多数の子を儲ける。その中には淡路島を筆頭に本州・四国・九州等の島々、石・木・海(大綿津見神)・水・風・山(大山津見神)・野・火など森羅万象の神が含まれる。

イザナミが、火の神であるカグツチを産んだために陰部に火傷を負って亡くなると、そのカグツチを殺し(その血や死体からも神が生まれる)、出雲と伯伎(伯耆)の国境の比婆山に埋葬した。

しかし、イザナミに逢いたい気持ちを捨てきれず、黄泉国まで逢いに行くが、そこで決して覗いてはいけないというイザナミとの約束を破って見てしまったのは、腐敗してウジにたかられ、雷(いかづち)に囲まれたイザナミの姿であった。その姿を恐れてイザナギは逃げ出してしまう。追いかけるイザナミ、雷(いかづち)、黄泉醜女(よもつしこめ)らをやっとの思いで振り切り、黄泉国と地上との境である黄泉比良坂(よもつひらさか)の地上側出口を大岩で塞ぎ、イザナミと離縁した。

その後、イザナギが黄泉国のケガレを落とすために日向国で禊を行うと様々な神が生まれ、最後にアマテラス・ツクヨミ・スサノオの三貴子が生まれた。イザナギは三貴子にそれぞれ高天原・夜・海原の統治を委任した。しかし、スサノオが「妣国根之堅州国」へ行きたいと言って泣き止まないためスサノオを追放し、淡道(淡路島、淡路市)の多賀に篭った。古事記の写本の一部には淡海(近江、滋賀県犬上郡)の多賀との記載があるが古事記では近江を近淡海と書いており淡道の誤写ではないかと考えられる。日本書紀では淡道で統一されている。

又、現在の日本の事を浦安と名付けたと日本書紀に記されている。


仏様はどうすれば喜ばれるのか?見返りを期待せずに心から仏様を大切に思い相手の身の上を考え、物事を利益で判断しない利益でなくあらゆる現象の背後に存在する (この行為にはどんな意味があるのか?)仏壇も沢山ありますがなぜこの仏壇が私の宗派に良いのか?経にはどんな意味があるのか?
自分に起こった目の前にある事をなぜと考え真実の姿を見ぬく正しい判断、正しい智慧(般若波羅密)を身につけましょう。
「お線香を焚くのや仏様をもてなすのは相手のことを考えるなど様々な練習になるそうです。」

『現在、仏様やご先祖様はなにも言いませんが、色を五感で見る生き仏様には好みがあるので様々な線香があります。』
生き仏様を満足させるのにお線香屋さんも苦労しているようです・・・


お釈迦様の教えに苦と楽の間に道がある苦楽中道という教えがございます。苦と楽の間に道があるという教えで、
苦悩を除く仏様のご馳走甘茶香を焚き、気を静め無の境地に近づけたなら香りは良くも悪くも無く平らになり、一つの特徴と感じ、好き嫌いを超え仏様を思い描ければ慈悲の心を頂けるのだそうです。
感謝とご先祖様に供える気持ちだけが残ります。
最高の功徳とはどのような善行も自ら進み喜んですることが出来る。善いことをしても善いことしたと思わずその行為が知らない内に普通にできていることだそうです。
香りや善行にも見返りを期待せずに相手が喜んでくれるなら、自然と相手の喜びを喜ぶ 慈悲の心 はきっと生まれます。
ご自身が無の境地になるのを 「沈香」 などは補助しますが、座禅を組んで無の境地に成ったお寺様が 「あーいい香りの線香だな」なんて雑念はないそうです」
香りに本質があるのではなく、その奥にあるものを得るのだそうです。
心・精神を保たれると良い香り悪い香りなどあるわけはないのだそうです。
まして頂いた財施のお線香には空気を読み相手へのもてなし言葉の布施で気持ちよく法施してくれます。お寺と檀家の関係はそれで成り立ちます。お金が無くてもおもてなし。

1 眼 施 がんせ      慈しみに満ちた優しいまなざしで、すべてに接することをいいます。温かい心は、自らの目を通して相手に伝わるのです。
2 和顔施 わげんせ     和顔悦色施ともいいます.いつもなごやかで穏やかな顔つきで人や物に接する行為です。喜びを素直に顔の表情にあらわしましょう。
3 愛語施 あいごせ     言辞施(ごんじせ)の別称もあります。文字通り優しい言葉、思いやりのある態度で言葉を交わす行ないを いいます。
4 身 施 しんせ      捨身施ともいいます。自分の身体で奉仕をすること。身体で示すことをさし自ら進んで他のために尽くす気持ちが大切です。
5 心 施 しんせ      心慮施。他のために心をくばり、心底から共に喜び共に悲しむことができ,他の痛みや苦しみを自らのものとして感じ取れる心持ち。
6 牀座施 しょうざせ    たとえば自分が疲れていても電車の中で喜んで席を譲る行為。また競争相手にさえも自分の地位を譲って悔いなく過ごせることをいいます。
7 房舎施 ぼうしゃせ    風や雨露をしのぐ所を与えること。自分が半身濡れながらも、相手に雨がかからないように傘を差し掛ける思いやりの行為など。

お線香のように働く!

線香は一度火をつけると最後まで燃えるように、一度やり始めると最後まできちんとする。
お線香は我が身を燃やして人によって受ける恵みは違うが、人に癒しや安らぎを与えきりで自分の事は何も言わず香りを平等に持て成すように、自分のエネルギーを燃やして、周りの人々を笑顔と元気でヤル気を持て成し、損得でなく、会社(城主)のお役にたてれば、皆様のお陰で仕事ができているという感謝の志で働き、働けることに感謝して会社(お城)に皆様に利益という癒しをもたらすこと。お線香はこれだけ私はしたとはいいませんが、人は利益がでて還元されると喜びますが、負債が出て減額されるとヤル気をなくします。会社はそれで100lです。上がる下がるでなく日本も負担してもらうのを増やせば借金は減ります・・・。しかし増える人が出てきます。
(今の会社は昔で言うお城の制度と似ています。いつの時代も本質は変わらないのでしょう)

毎日のお勤めにお線香をあげる本数一本1本三本3本
線香立て方あげ方は?

葬式の時に線香を焚いている本数が一本なので、亡くなった時だけ一本?と思われるかたも多いようですが・・・
宗派により線香の上げ方や方法・本数が異なるようですが、基本的に浄土宗、臨済宗、曹洞宗、日蓮宗は、線香は1本で、天台宗と真言宗は、線香は3本というのが多いようです。
最近の自分は30分も拝まない。お茶も飲まずに 「お寺様は10分ぐらいで帰る」 という方や危ない(お線香は危なくはないです)と思う方は、半分に折り時間と香りの強さを調節してお使いください。
浄土真宗の方(本山での香炉の灰に供えたお香(粉末)を再現して家庭では横にして使うそうです。)や創価学会の方は短いお線香を横に寝かせて使う事が多いようです。(香炉に納まらない、長いお線香の場合は半分や三本、四本に折る。)
一本の線香に心を込めて仏さまにお供えしても喜ばれると思いますし、
三本の線香の場合、(お釈迦様)(その教え)(その教えを正しく伝えるもの住職他)三宝に感謝して使う場合、
過去・現在・未来へ供養する場合、「仏様の数だけ」供養する場合もございます。
有縁仏・無縁仏・ご本尊様にお供えする、人間の貪り・怒り・愚かさの三悪を懺悔するために線香は三本ともいわれます。
「仏様は相手を思いやる真心を食される」そうです。元々はお焼香、香を焼いて祈りを供えていましたので線香の本数に関係なく感謝の気持ちでこの心がわけ隔てなく 「ご先祖様の世界にも届きますように」 と 「心を込めて」 焚かれると良いでしょう!お焼香の回数も同じです。
人間と同じように仏様の大切な日には仏様をお祝いする線香『仏様の好物甘茶香』で祝ってあげると喜ばれるでしょう。
お寺さまも線香の本数は一本でも三本でも良いと言います。線香の本数や香りを仏様は頂いている訳ではありませんので
『線香の本数や仕方に関係なくこの『心』がご先祖様の世界や諸菩薩にも届き、皆が幸せになれますようにと真心込めて使ってあげると善いそうです。』

お線香のはどうすれば
善い?(道徳的によい、善い人、善い行い)
良い?(一般的によい、良い習慣、品質が良い)?

最近では「灰の少ないお線香」など出てきましたが、お線香の灰はどうすれば善いのでしょうか?完全に消滅させれば良いでしょうか?
人で考えると善いそうです。使うだけ使って 「成功すれば」 「灰になれば」 「溢れてくれば」 ゴミ箱に捨てる。それは良いことですが善いことでしょうか?
ご先祖様もお墓の中で灰になった時、お墓の骨が溢れてくればゴミ箱に捨てなくてはいけません。
お墓にお水をかけるのは、本当はご先祖様の骨を早く溶かして自然へ戻してあげる意味があるそうです。
線香の灰も同じように 五大要素(火土水風空) 自然の流れに還元してあげると善いそうです。 「燃(火)やしてあげる」 「自然(土)に戻してあげる」 
「自然の川(水)に流してあげる」 「大気中(風)の仕組みに流してあげる」 「大空(空)の一部にしてあげる」
線香の灰がたまってくれば「近くのお寺に行って香炉に入れさせて頂く、近くに自然の河があれば流してあげる」のが道徳的に善い作法だそうです。
清めの塩を灰の変わりに使っても善いでしょう!

お線香とお香の違いは?線香花火でも大丈夫?

例えば白檀木を飾っていると『置物』です。分割(チップ)にして香席やお茶席でお客様を持て成しに使うと 『お香』 です。
粉末にして袋に入れると『匂い袋』です。炭の上でお葬式や仏壇で焚くと 『お焼香』。
もっと細かい粉にして体に塗れば 『塗香』、粉の香を線にすると線状の香 『線香』。ものは同じでも、用途場所によって呼び名が違います。
昔は仏様に香の粉末を燃やして 『祈り』 を伝えるお焼香として供えていました。
香を線状に固めて燃やすようになったので線状の香り「線香」 です。火種が要らずご自身に便利なので主流になりました。お香も線状になっているのがありますので、ご先祖様をもてなす際が線香。ご自身が楽しむ行為、お客様をもてなす際がお香と考えて下さい。白檀の線状のでも、線香臭いといったり、和のお香だといったりします。
最近ではお線香にも 『仏様の喜ぶ甘茶香』 『香水香』 など様々な種類のお線香が出てきましたが、仏さまご先祖様に 『祈りと感謝』 の 「心を込めて真心が届きますように」 と 「仏様をもてなす」 一つの方法が 『お線香』。
ご自身が 『楽しむ時やお客様を持て成す』ときは 『お香』 です。

竹に火薬を付けて先端に火を点して皆様で楽しむのは花火です。供えると身の上を考えると仏様はどう思うでしょう?
自分が喜ぶのでなく仏様がどうすれば喜ぶのか考えないといけません。

お線香を半分に折る、それをご自身が楽しむ時やお客を持て成す際に使用するとそれは『お香』です。
お線香の長さで香りの強さを調節してお持て成しください。


☆供養というのはなにでしょう?供え養うと書きますが・・・

頂き物のまんじゅうを供えてあげると晩になると一つ減っていたなんて事ないと思いますが・・・
ご先祖様は肉体がないので召し上がれません。
最後にまんじゅうや香りを頂きお腹やココロを養うのはご自身とご家族です。宮内庁ご用達のまんじゅうを供えてあげると『大層な立派なお味でした』と置手紙が一筆あることもないと思いますが・・・仏様は先にどうぞ、これは珍しい高級品をさきにどうぞというもてなしの気持ちを召し上がるそうです。(謙虚なココロ)
知らぬ間に養われご自身が救われていた習慣です。
花をこちら側に向けるのは、仏の慈悲を感じ供え、心を養われるのは自分だからでもあるそうです。

人は精神的なものにはお金はかけないといいます。賽銭でも祈祷でも仏壇でもお線香でも花や造花でも精神的になら『しているから大丈夫』だろうと、ご自身が楽になるこの行為には自分で自己暗示をかける事が出来るそうです。

仏壇で仏様をもてなすのはおもいやりと真心を養う場所です。習慣でなく気遣いが必要です。
『ご自身にとってではなく、それは仏様のためなのか・・・どこが仏様や相手にとって良いのか?』

○花はご自身のほうへ向かせている?
◎こちらを向いている方が綺麗なのでこちらに向かせた。
=皆がしているのでそれが普通だと思う。
●本来は=本当は仏様のもてなしだから花も仏様の方へ向けてあげるとよいのです。
花を仏様のほうへ向かせればよくわかるそうですが、供え養われる心の平安が中々得られません。
色に囚われてはいけないといいますが、仏像と同じく花は悲しみ悩み深い私達に現れた仏様の慈悲の現れイメージさせる象徴なので救われるこちら側を向かせても良いそうです。

○煙も香りの無いお線香を使っている?
◎煙も出ず香りもしないお線香にした。
=マンションなので煙で自分が困る・・・汚れるので・・・自分の好きな香り・・・皆もそうしているので良いのだと思う。
●本来は=環境も変わり家族にアレルギーや喘息の人がいて煙も香りもないお線香を使わせて頂いている・・・。
仏さまが喜んでくれるなら仏像や仏壇が汚れてもお金を出して新しくすればいい訳ですし、仏様はお線香の清浄な香りを頂いているそうで、香の煙に乗って信心が伝わるといいますので仏様のために本当は煙と香りがあるのを使ってあげると善いでしょう。それは自分にとって楽になるけれど、天使の投げた蜜、それとも悪魔の投げた餌?環境も家族も性格も預金も今ある状況も皆違う。なので宗派が沢山あるのですが。

○ご飯が美味しくなくなるのでご飯の写真や造飯を飾り仏様にご飯は供えていない?
◎先に仏様にご飯を供えると線香の香りがつくので供えるのはやめた。
=楽だし仏様にも周りもなにも言われないしいいだろう。
●本来は=ご自身は楽ですが、仏様は清浄な気持ちを召し上がるそうです。

○仏壇を購入しない?
◎マンションは狭いしお金もないので仏壇を購入するのを止めた。
仏様はなにもいわないし、生き仏様の方が大事。
●本来は=仏壇はご先祖様のお家だそうです。子供に教える教育の場所だそうです。

◎なぜ =原因 ●本当は

○墓石も仏壇も電化製品も肉もお線香も・・・など外国製品?
◎日本は人件費も高いので日本の生産を止めた。従業員を賃金の安い国の人にした。外国で作った製品の方が仕入れが安いので利幅も大きい。自分が生き残るために他より安く売っている
=価格競争が激しいので費用の安い外国で生産販売。仕入れ。
●価格破壊、消費者の様々な負担増。消費者には安く提供できて喜ばれますがどうなるのでしょう?100円で販売するのを400円で売れれば、機械があれば・・・別に生産者は同じのを作れるなら良い。それを使う人は必ずどこかで求めるが、賃金や小売上代の金額だけが下がっていきます。その商品と同じ分野の物を製造する会社は太刀打ちできません。日本もアジアもそうだったようにもっと安いところで作って・・・最後には人はいらず機械だけ・・・。販売する人はとりあえず良いそうが作る雇用が無くなります。そして現地の人が出展した場合?それもいつまでも続かないそうです・・・。片方が伸びれば片方は下がります。 最近は観光客に外国人が多いようですがブランドでないものや海外に輸出できない、ブランドでない全国の観光施設、商店街、スーパー、国と同じように、日本人の全体を潤うためには高くても売れるブランドにするのか、国自体が潤わないと止まりません・・・。

○お墓のお線香は燃焼するならばどんな物でも良い?
◎風が強いので燃えやすいのが良いと思う。
=お線香はみんな墓用といって安くて燃えやすいのを使っている。燃えやすく安いのが良いのは自分の理由です。
●燃えればよいのなら雑草でも、火薬を付けても、油を付けても良いと思います。お線香に火を点ければおしまいではなく、この心と相手に伝えたい祈り、善い香りが届きますようにと本来は思いやりと真心でもてなすそうです。父は普段家族と接する機会が少ないと思いますが、火が付き難いという困難を、家族の先頭に立ち一家の大黒柱としての威厳を見せる機会でもあるのです。台風や大雨でも皆で苦労して付けたお線香には家族一緒に深い感動を覚えるものです・・・。容易い。有り難い。有るのが難しいので「ありがとう!」
ある夜、お釈迦が祇園精舎へ入られる時、皆それぞれに百、あるいは万のあかりを供養しました。着のみ着のままの老婆も東奔西走して、ようやく一燈をともすことができました。やがて大風が吹くと、あかりは消えていきましたが、信心が強く、志が深い老婆のあかりは消えなかったそうです。私たちの幸せは、このように信心と志によって生まれてくるものなのです。

○電池式のロウソクをお供えしている?
◎お婆さんが一人で暮らしていて、ロウソクは危ないから電気にした。
=自分は若いが、普通のロウソクでなくても習慣で電気式は良いのだと思いずっと電池式。
●本来は=本来は=ロウソクは仏様の道を照らす、炎は仏様の好む清浄な空間にするといい好まれるものです。風水では離婚が増えているのは電気式で火を使わない家に多いといいます。炎には人のココロに情熱的に訴えるものがあるそうです。不動明王の炎!お年よりは危ないので電気式=安全で緊張感がなくなりボケが早まる可能性も・・・。親が子供に安心すると旅立つ、子供も親に適度な心配を与えると良いといいますが長寿の秘訣、揺らめく炎を見る行為には智慧が宿るそうです・・・。

○電池式のお線香にしている?
◎老人ホーム、病院で使いたいので電池式にした。
=電池式のロウソクがあるので電池式の線香も良い。
●本来は=香りと煙が線状の香、線香であり、先端だけ光る灯りはロウソクなので模擬品でしかありません。

○花は枯れるので造花にしている?
◎お墓等で花や樒などは枯れ虫が来るので造花にした。
=皆もしているし売っているので造花でも供養になるのだと思った。
●本来は=仏様は植物性の物を好まれます。造花は自分の心を満たし、生花は周りの人の心にも潤いを与えてくれます。

○現状 ◎なぜ =原因 ●本当は
その行為にどんな意味があるのか?ご自身のことを考える。忙しいから・・・汚れるから・・・しんどいから・・・
自分の・・・表向きに悪いので・・・。そこには申し訳ないのですがという心がないといけないそうです。
自分が楽になる様に、自分の都合のいいように解釈すると全て簡略化しますが普通ではないそうです。
仏さまに、ご先祖様にどう良いのか?
例えば全て模型ならば、しているというご自身の心を満たす以外に本当に意味がないのです。それが普通ではなく、そうさせて頂かせているのです。あたりまえになってはいけないそうです。

『救われる、救うその関係がある限り全ての人が全てにおいて救われることはないそうです。病は気からというように、現在、自分が救われた気がする気の救済を目的としています。今日まで仏様の船に助けられましたが、今日からは幸せの明るい大船に沢山の人を乗せてあげると本当は善いのだそうです・・・美しい花が沢山咲いている世界・・・』

最後までお読みいただきありがとうございます。
お線香は心を満たしてくれるのですが、値段で満たされる人。
香りで満たされる人。
与える事で満たされる人。有り難いのでありがとう。そこに価値を見出す事が出来る人。
柳生家の家訓は袖すりあうも多少のご縁。その縁に気付く人、気付かない人。
活かせる人、活かせない人。活かした気になる人。
縁の神様は前髪しかないそうで、通り過ぎるとつかめないそうです。
人生を沢山観光出来るように、もう一度最初から読むと人生が変わるかも知れません・・・。
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 幸せになる方法
・ 線香=清浄甘茶香のこと
・ お墓参りのこと
・ 法事法要仏事マナー
・ お盆の始まり
・ 「喪中ハガキが届いたら」

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