人は結果を喜ぶ人と、行為を喜ぶ人がいる.
宝くじで三億円当たりたい!
美味しい肉を食べたい!
幸せな結婚したい!
それは目に映る物質的な赤々燃え上がる欲望で餓鬼の道
暗闇、月の目で今にない光の当たる楽しく思う物質的な光を見て求めている
行為を喜ぶ人は精神的にその結果までの道を青々とした冷静に洞察する仏の道。明光、太陽の目で今目前の行為の物質に光が当たった背後に出来る影の暗闇部分からも精神的に楽しみの光を見つける
幸せも美味しいも疲れも自らの心が決める
他の光を受けるお陰で明るむ者と自らが発して光る者
恩の借金、恩の利息。
死を見つめると生が有り難く活きる
健康な人は健康で喜ばない。人は無いものを求め苦しむ
ボロは着てても心は錦は精神的に楽しみを見ると言っている…
営業も結婚も失敗の思いを背負うと重く大変なので何も考えないか、断られるのも、離婚も良く、その行為の過程を様々な角度、目から内から楽しめば自分は極楽
自らの写真を撮る人と、景色を撮る人
外見を楽しむ人と内面を楽しむ人
疲れると疲れてる、あーこうすれば疲れるんだ、疲れるなんて歳をとったなぁと自分の状態から楽しみを見れば良い
絵画を見ても知識や周りの影から深めなければ平面、絵に描いた美味しいといわれる肉みたいに物質的に綺麗、汚い。好き、嫌いで終わる
美味しいといわれる肉をもっと楽しむ、好ましくない肉からも楽しく思えるようにするには肉や肉の周りで発している餓鬼には見えない影になっているものを自らが発見して認識する洞察力と知識が必要
いついかなる時も共に耐え忍び仲睦ましく共に暮らすと不自由の十字架に永遠の愛を誓い結婚しても離婚してしまうのはお金などの表面上の物質的な原因が多い
離婚後に神の前で誓った形式的であり精神的でもある誓いを破った罪を詫び、神の前で懺悔する人は少ないのは囚われを離れ自由になる為に形式的にも精神的も捨てるから
離婚をする前に、精神的に苦しみも喜びもお互いに幸せと思って手に入れた結婚後を楽しまなければいけない
離婚しても苦しみから他の苦しみへの引っ越しといわれ、また結婚しても違う苦しみが必ず有り、自分や相手が精神的にその瞬間を、今を楽しむように変わらなければまた離婚する
苦しみがあるとそれから離れた時は一瞬の喜び
嫌いがあるから好きがある
陰陽や光と闇などに好き・嫌いに分ける計らいは悩み、苦しみが必ず生まれる
裁判官みたいに全て客観的に見れれば映画のように楽しみに出来る
嫌という先入観の苦しみの心を楽しみに変える
今より楽しい場所は無く、今より若い時はない
昔お寺の坊さんが形式より精神を重んじると言った。
お金のある裕福な貴族などが形だけで心が入ってないのを遺憾に思った
物質はお金があると手に入る。精神的にはお金がなくても楽しめる
結婚も、節分に豆を投げるような何も解らず皆さんがしていると自分も安心してする同一性の法則のような形式で物質的安心より、精神性を重んじ行為を深めないと楽を求める心は軽く、今の苦しみから離れ安い
優しい、お金がある、美人だから、楽しいから。
化粧して無理をして良くみせようと翼を広げた状態や好ましい温かい状態の…だからは結婚後もいつもある訳ではなく、ない状態にも楽しみを見つけないと疲れたり、辛くなり、それがなくなれば心は冷える
目がある内は唯我独尊、皆自分が1番尊いといわれる
目的があり先入観で明るい、楽しいを求め遊園地に入ると気が浮いて楽しい光しか見えない。
陰を深めない。何か決まったものを探す目的で森に入る人は、本当の森の姿は見えない
美味しいを求めて店に入った人は、美味しい料理にしか興味がないので、その店全体がみえなくなる?
そして味が好みでなければ無駄だった、残念という。
何の先入観もなく店で心を楽しませる人は、トイレ、お皿、まずい料理、無愛想な店員などからも様々な発するものから好き嫌いでなく様々な分野から精神的に心を遊ばせ楽しみを発見してこれは何だろうと?
どんな意味があるのだろう?
なぜ美味しくないのだろうと心は探検し楽しみ、そして店を知る
美味しくない店は普段の食事を明るくする有り難い店。
幸せを求め結婚した者は幸せしかみようとしない
自分の楽しいを求めて結婚すると楽しみの背後にある相手の暗闇の部分や苦しみの部分が発する影は見え難い
こうあって欲しいと自分の幸せの形、先入観があるから…
この人はこんな人だと先入観で決めている人は相手の事は見え難い。視野を広げ、相手の苦労の暗闇まで深めて発見は出来難い。
互いに相手の苦難の闇や有り難さが発するものを見ることが出来れば、自分を見つめたなら光の家庭が生まれる機縁
幸せな楽しい結婚生活にも周りにある暗闇部分を見る余裕の般若、客観的が良い。
夢中ではスポットが当たったところしか見えない
楽しみの陽気だけを遊園地で見るのでなく、第三者的にスポットの当たらない陰の部分、縁の下でゴミ掃除している人にご苦労様と思ったり、ぬいぐるみ着て暑いだろうな、周りが楽しんでいるときにゴミ掃除する気分を自分に置き換えたり、大変でしんどいだろうな、と相手の陰を察したり、鳥や虫の気持ちになったりする相手を想うときには自分がいない空で世界を深め広げる。
陽と陰、表と裏、光と闇の両方を見て知って目の前で起こっている事を、目の前の行為を楽しむ。
愛にここが好きなど、ところはないといいますが結婚も相手との辛い苦しみの行為も共に楽しまなければ自分の好ましい結果がなくなれば心は離れる
美味しい肉も美味しくない肉も食べるのに関係する様々な繋がりの今の行為に楽しみを探さなければいけない。楽な思いは普段を辛く、苦い思いは普段を安らぎにするので美味しくない料理はこれがあるから明日からの料理は美味しいのだなぁと楽しむ
疲れる行い、苦しい行為、良くない出来事は普段を楽にする。
心は厳しく管理しないと隙がでたら楽に走る
慣れている、クセになっている、簡単に行えるもの、いつもしている同じ事を先に選ぶ。(お線香もお香も)
心は汚れやすく、自由があったら、心は悪を行おうとし、人生はほうっておけば極悪人で終わる
結婚して料理を作る人は大変の苦しみも第三者的に喜ばれるかな?と思ってる自分を楽しみ、作る過程も様々に楽しまなければいけない
料理の接待を受ける側もスポットが当たった料理を美味い、マズイの物質的でなく、精神的に相手や料理等が発する陰の部分、お蔭様と言える物質をお互いに見なければ上手く回らない。好みの味でなくても最初にありがとうと褒めた後に良くなる提案をすれば良いといわれる
料理を見た、食べた後等の相手の反応の期待と先入観は違った場合に悩み苦しみを生むので未来を観ないで良くも悪くもその場を楽しむ。
人は簡単に行える事を選びがちですが、毎日同じお花、同じお香や同じお線香は周りや自分の体調が変わるのにしているという習慣、自由の翼を奪う恒例の物質的な形式の楽でなく、本当は思いやりのお接待で精神的に日々楽しむ事が必要。
香りや花で潤いや利益は違う。天に供えた物は必ず降りる。1番は神様・仏様へ、そしてそのお下がりを頂く。
生前好まれた物も良いですし、そればかりでは習慣になり見えなくなり餓鬼になるので思いやりでその時に適した香りやお花が良い
葬儀は落ち着き腰を据えて供養する和の香り
毎日は?その香りやその行為の雫は毎日の生活に波紋となって家族全体に広がる
その行為で親の楽しみを奪わない我慢の出来る子供になる場合もある。
たまに変えるのでなく、その行為に心を入れて毎日心の病に応じた薬を与えひらめきで行為を楽しみ環境を整えるのに使う。
毎日変えるのが良い訳でなく、その今目の前にあう最善の香りが好い。毎日落ち着く香りでも良いのですが、鼻が慣れ解らなくなるのでたまに陰陽の反対側を入れると慣れず良くわかる
赤と青。動と静。生と死。甘と苦。
一般的に普段は仏壇の前は精神を、気を整える場所なので静かな落ち着くような香りが好ましいといわれる。御先祖様と向き合うのに陽気では心は浮いて動いて軽くなる
全ての楽は普段を辛く苦しくする悪魔の投げた甘い餌。
厳しい香り、苦い香りは離れると楽。
仏壇が汚れたなら拭けば良い。時間がない、危ないから。…からという言い訳が上手くなると自ら向上の芽を摘んでいる
…からは自分の利便の場合が多い。
疲れても苦しくても御先祖様が喜ばれて心を軽くする
仏様の好物は自分の時間と精神と財力と体力と知力を使って相手に楽しみの潤いを与える事。自分の事はいわず行為を楽しむ
夫婦でも自分が欲しいなら相手に先に楽しみを、潤いを与えると良いという。
お金がないなら無財の七施といわれる表情や言葉や態度で奉仕してその行為を楽しめば良い
相手も環境が整えば豊かになり余裕が出来て精神的になるかも知れない?
発見で充実感と達成感を得て行為をよく光らせ心を明るく楽しませるのが良い。
松は天に向かい周りの景色が春夏秋冬などで変化しても自分は変わらず緑を保つ。緑は他の色を邪魔しない
景気が良かろうと悪かろうと、若かろうと年配だろうと忙しいと暇だろうと精一杯もてなす事が大切で、自分の心に潤いの青を、先入観を持たず自由に毎日初心者になり発見すると心に若葉が日々生まれる。そして緑を保ち大きな松になる
しているだけはご飯はよく噛んで食べなさいというのと似ている。動物が決められた時間に餌を与えられて食べるような事
習慣の食べるという物質的で精神がない。
結果でなく行為を、箸を動かし米を掴む動作に楽しみを覚えたり、舌に意識を集中したり、相手のもてなしの温かい表情や言葉一つ一つを楽しみ深める
陽気な浮く空間や金の茶室より、物事を深めるのは静かに気を沈める陰気で質素が好ましい
和室や不動明王は青く静か。炎は赤で動き。対極でその中へ入る
金の室で静かな行いは、心がその外へ出る
愚者の自覚を家庭に光をといいますが、愚かにして愚かを知る事は愚かにして賢いと思っているより優れているのは学ぼうとするから…
縁なき衆生は度し難い。人のことばを聞こうとしない者は救いようがない。自分は偉い、間違いないと思っている、信じている事は他から学ぼうとしない。探求心や向上して増す気がない。
そんな人は物質的な形式で気だけしか救いようがない
お香もお茶もお花も仏壇も仏像も餓鬼には見えない闇の部分、雰囲気を作り精神性の自分の心を高め創造する。
自由を奪われさせられていると感じる習慣の獄中、物質的に同じ事の繰り返しの囚われの牢獄から心を解放するのは精神的に楽しむ事
人は地に繋ながれる行為を嫌がり地獄と感じる。普段が沈んでいると特に晴れとして祭のような気が天に浮く軽い行為を求める。大物は地に足がつくような静かで重く沈む行為で深める。行為の楽しみは天でなく地にある
墓も仏壇もダイエット用品も買って置いておくだけなら表面しか見えず物質的
墓参りも習慣、墓に参るのが目的で結果を見る人は陰のお線香や花は見えない。行為にこだわりを持つと雰囲気も変わり精神的に人格も高まる
お線香とお香の匂いを嗅いだ時、この匂い好き、嫌いという人は物質的人間?好きな香りばかり使って餓鬼道に堕ちている場合がある。季節、体調、雰囲気に合わせて環境を整え精神性を高めるにはせめて三種類は持つと良い
目に囚われてはいけないが人は心に楽しみを想像出来ないので物質がある。
「ありがとうございます」?言葉は習慣だと軽い
有るが難しい事が目の前に御座りになって感謝する
人生は有難う御座いますと言うよりいわれるような行いの多い人の方が恩の借金を背負うのが少なく元気になるといわれる。御先祖様にも有難うと感謝されると良い
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