「ご先祖様お墓参り供養はどうすれば良いのか?

お墓参りお供えお線香のマナーや常識作法?

墓への仕方やあげ方はあるのでしょうか?」

お墓では好まれる「仏様のご馳走甘茶香」お接待して盛大にもてなし、仏様のご加護(優遇)をお祈りしてご先祖様にも回し向けましょう。

「真心」は偽りや飾りのないありのままの心、気持ち。誠心誠意、他に施し尽くす心。

「思いやり」とは人の身の上や心情について察する気持ち。


お墓参りへ行けばなにをすればよいのでしょう?なぜ?なんの為に行くのでしょう?習慣・・・?



神聖なご先祖様の眠るお墓に行くには、献上するような心持で、服装でお参りするのが好ましい。



スリッパのような気楽にお参りすれば、そのままの未来がまってます。



ご先祖様の身分とその服装通りになるといわれます。



家族で御先祖さまへ仏様のご馳走をお接待…


もてなしは、思いやりの物差しと懐(内と奥)でも違うといいますね。今の家庭で出来る好まれるおもてなし…



御先祖さまを敬い感謝をする。



実家の行いを見て伝統を伝承しますから、堕楽に落ちないよう主人は華を咲かせましょう。



御先祖さまへ無駄を出来る余裕の舞を披露する(自らを使い他に利益)。



御先祖さまとのご対面には心と身嗜みを整えて…(戻られた御先祖様の服装に合わせて)



楽なスリッパなどでお参りした場合、もてなす側は緊張感のある苦しい空間のはずなのですが(遊園地のピエロ)、将来その人が亡くなりお墓に来た時は、子孫も必ずではありませんが【楽なスリッパと軽装】で楽にお参りしてあっさり帰るでしょうね。



もしかすると来ないかもしれませんし、ゆとりから無縁仏になっているかもしれません・・



本当はお花とお線香とお蝋燭は普段と違う特別な晴れ舞台用を用意して、御先祖さまへ盛大なおもてなし…



良いおもてなしは来られた周りのお墓参りの人へも光のおもてなし(手本にも)になる。



それを執行猶予の御先祖さまへ回向する。



その行いは他家からみて普通だろうか?親の行いで普通に思っている事は他の家では普通ではない場合もありそう。



「生花は勿体ない」というのは…



毎回供えるお金がなければ(お経も花も自分で出来れば1番好ましい)花や植物を庭に植えて育てて、それを供養するのが1番…。庭がなければベランダ…もなければ…



言い訳はご自身の都合で、言い訳が上手くなると自ら向上の芽を摘んでしまうといいます。



おもてなしの舞が全国で見られて、神様や仏様、皆様が楽に楽しめるような美しい姿があるはず…



頂き物のお線香の香りや煙が気に入らなかったからお墓参りに持っていくと聞く事がありますが、本当は言霊のように「良くない」と発すると良くないことが起こるといいますからあまりそんな事をいってはいけませんといわれます。



人形供養と同じように頂きもののお線香は高価なものをくださっているでしょうから自分が要らないと思った良いお線香にご自身の心は中々入りませんからお寺で供養、又は役立てて頂きましょう。


普通の人はお線香臭いというような和の陰気な高級な沈む薫り、苦しい味なども好まれる場合もあります。
(要らないとか好みではないと計らい分けるのではなく、自分で毎日使うお線香と違って故人の出た家庭に供える贈答品は普通より良いお線香を頂いていると思いますから、本当は好き嫌いの計らいは悩み苦しみも生むので、ご先祖様に想いを捧げるその場の雰囲気や環境を作ってくれる有り難い物と考えもてなすと善いといわれる。



香典のようにこれから使うお線香を肩代わりしてくれているのですから人と人の繋がりに感謝すれば善い。ましてやご自身の嗜好品ではなく、ご先祖様へのおもてなし。

お線香を思いやりで変えて、奉仕の心で喜び楽しみながらお線香を供えれば心が入り自身の心も新鮮に清らかに若々しくなりときめきますが、させられているという心は老いを生み枯れてゆく。お墓も仏壇も仏像も想いを描く方法。)



仏様を察しない自己満足の習慣のもてなしは全て火炎となり消え失せ伝わらない+++日常生活でも。



徳の種は思いやりと真心を栄養にするので幸せの花を咲かせる前に枯れてしまう。


年に一度だけしかお参りしない形式の人に中々幸せは訪れない。体が動かずご先祖様をもてなしたいけれど出来ないので仕方なく墓参りの代行は好いけれど、新幹線の往復代が3万円掛かるので代行なら1万円で済むと自分の利を考えては相手に届きはしない。ご先祖様も閻魔様もみているそうで、言い訳はあの世では通らないそう。



病は気からといわれるようにお墓参りするだけ、どんなお線香を供えるだけでも自分の気は救われますが、本当はもっと深い智慧のおもてなしが必要です。(ご家族を善い方向へ導こうとお墓参りの意味を知り、先導して参る)



外なら自分の嫌な香りや煙でも自分には関係ないと考えがちですが、なんの為にお墓参りをするのでしょう?表むきはお墓参りをしていると形はありますが・・・




お仏壇はご家族を守る仏様の住まい(ご本尊様・如来様)といい、ご仏前に座った際やお盆にはご先祖様が帰って来ていると考えます。



ご先祖様の骨が眠っているのはお墓ですので、相手の身の上を考えたご自身に出来る精一杯のもてなしで大切に礼を尽くすと良いそうです。


本田善美おばあさんはいつも拝んでいますが いつもいつもおなじお線香で願いは叶いませんでした

※毎日同じお線香のおもてなしではご利益を与える仏様や神様が飽きて元気を無くしてしまう・・・


自分達の利で海外で作ったお線香、自分達の利幅が多く原価と価格の安い外国産のお線香を使う墓地、寺もありますが仏様の食事といわれるお線香、出来れば日本で出来た国産のお米といわれる国産の普段より好いお線香をお供えしてあげて下さい。



その気持ちを愛国心のあるご先祖様は召し上がるといわれます。



お墓のお線香は【何でもいい】という【知らない】人もいるそうですが、自分の供えたお線香のお下がりは、辺りに漂い家族や他のお参りに来られた人のお腹に入りますね。



漂う【毒】も【薬】も他家の大切なご家族様の口にも入りますから【自分には関係ない】と思いますと、沢山の他の家からも同じもてなしが待っていますね…



さすがに知らなかったでは閻魔大王も許してはくれはしないでしょうね。



認識しないので【愚かなもの】は過ちを指摘されると余計に罪を重ねるといわれるが、【賢いもの】は過ちを教えてくれたことに感謝してその過ちを直そうと努力する。愚者は口を開いて目を閉じるそう。



「みんなそんな人ばかりなら心配ですね。」



生花も良い線香も気を使えば周りの人へのおもてなしで功徳になったり、習慣になれば知らずに罪になったりします。



奉祀するのにお線香ならなんでも良いと思っている人や、いつも同じお線香を供える人は習慣になり自分のエゴを満たすだけでになっているといわれ、その行いの報いは良い悪いに関係なく必ず廻ってきます。



お墓参りをするということは一番近いご先祖様を思い出してあげるという事と、清らかな水をかけてあげるのは勿論、清らかな心で手をあわせて心を合わせようとするのがマナーです。仏様の好物清らなもの。



ご先祖様に生前好まれた物が喜ばれるのは相手を察したもてなしだからです。
同じ線香ばかりだと飽きられるでしょうし、相手を察しないもてなしや自分の好みの貪りのもてなしは全て火炎となって燃え尽きてご先祖様には思いは届かないといわれますが、相手の為にするという清らかな行いと想いで誰にも迷惑がかからないなら軽く楽で浮く陽気な明るい香りのお線香や、生前好きだったものでもてなしでお迎えしても好いのでしょう。



仏様の好物は、自分の時間・知力・体力・精神力・気力を犠牲に他に利をもてなすもの。生前好きだったビーフステーキや焼き鳥やお酒も良いですが、肉や魚がいけないのは自分を奉仕して犠牲にするのではなく、自分達家族の為に他の家族が犠牲になるものだから。他の家庭の為に人身御供させられるとその家族が幸せになるのは難しい。



お盆は閻魔大王すら休まれ、地獄の釜が開いて地獄などに落ちたご先祖様も極楽へ昇るチャンスを頂いているといわれます



お盆のお墓参りは善い事と、良い事が出来なかった、喧嘩ばかりして阿修羅に堕ちた、好きな物に貪り嗜好し餓鬼道に堕ちたご先祖様の変わりに残された遺族が仏様に良い事をして功徳を回し向ける行いです。



その姿を地獄や阿修羅、餓鬼道から執行猶予を与えられ仮釈放されたご先祖さまが目の前でどうか…とお願いしながら見ているといわれる



貴方には大した事ない行事でも、ご先祖様には一大事。



利他の行いは、自らも餓鬼道や地獄へ堕ちないよう向上する機縁。



生前好きだった物も思いやりからご先祖さまに喜ばれますが、生前好きな物に貪り餓鬼道に落ちたご先祖様を救うには、ご先祖様の好物で無く思いやりを伸ばした仏様への喜ばれる好物のおもてなしが必要です。たばこを供えないというのは嗜好品だから餓鬼道に堕ちたご先祖様への回向にならないといわれる・・・



閻魔大王が見てお楽しみ頂けるような(神様が楽に楽しめる)神聖な行いでないと、気楽に簡単にお参りすると、自分も堕落から気楽な世界へ行ってしまうといわれます。



今があるのはご先祖様のお陰なのですから、心から感謝しましょう。感謝とは思い浮かべて有り難いと思うこと。仏様、ご先祖様のご馳走は「思いやりと真心」です。自分の利便で無く、相手の利を考えなくてはいけません。



好きも嫌いもいいませんが、清らかな浄土に住むご先祖様の食事は清らかな心だそうです。



人それぞれのおかれた状況も相手を察する思いやりのものさしも違いますが、定規で引いた文字に価値は無いように、定規で引いたおもてなしでなく、道無く道を行く開拓者の志でお墓参りには自ら進んでご自身で考えられる最高のもてなしをしてあげて下さい。



神仏に求めるのなら先に与えよといいますが、天には与えたものが降りてくる。神楽の舞いのように
ご家族が一団となって神様、仏様を接待して楽しませおもてなししなければ対した大利益は降りては来ない。



いくらあっても不自由しないといわれるお金でおもてなしをしても善いといわれますが、お金しか出してないもてなしは後に続きにくい。お金がない場合には、神様・仏様が自分の行いを観て楽しめる行いをすれば良いといわれる。




どうすれば喜ばれるのか?ご先祖様にお線香をあげてあげるとその気持ちを召し上がられ喜ばれますし、生前好きだったものも思いやりの心から喜ばれますが、今は仏様に成られて戻って来ていますので好物も変わっている事だと思います。



中でも仏様の好物『甘茶香』を仏に成られた後生のご先祖様に思いやりの物差しを伸ばして心を込めてお供えしてあげると心から喜ばれます。
ご本尊様にも供えると仏様の好物ですから、ご先祖様もあの世で優遇される事でしょう。(お中元やお歳暮も相手の好物を知っていればそれを贈ってあげると好いですが、その人が病気になっていたり入院していて食べられないのに神戸牛が好きだからと送るのは好ましくはない)



墓石を綺麗に洗い、たわしでこするのを自分が墓石ならと布で拭いてあげても善いですし、草や雑草を掃除してあげるといいですが、雑草にも生命があります。



自分の仏様の為に掃除するといいのですが、自分達が他の生物に生かして頂いている事に感謝して掃除をします。




足下を歩いている蟻さん家族への気遣いもお忘れなく。



仏様からみれば人間の1家庭も蟻さんみたいなものかも知れません、仏様に動物を供えてはいけないのは自分達の家族の為に他の家庭を壊すのは、仏様の好物の花・線香・蝋燭のように自分の事は何も言わず自分の奉仕(犠牲)で他をもてなすものでなくなるからです。



相手の家庭の為に自分達の家庭も生贄にされかねませんので他を使うのではなく自分の労力(気力・財力・体力・知力・時間)を犠牲に己を忘れて他に利をもてなさなければいけない。



本当はご先祖様だけでなく、香りも諸仏諸菩薩を供養しひいてはご先祖様の所まで届きますようにと供えるそうです。



極楽ではご先祖様が一番偉いのではなく、最初からご先祖様へという心はご自身の謙虚な心が無くなる。自分のご先祖様だけというのはお盆の始まりと同じで餓鬼道に落ちる原因。家族を持てば人は大切な順番を付ける。
怒り、愚かさ、貪り。過去、現在、未来。お釈迦様、教え、僧侶。に感謝して三本御供えしても良いといわれます。



墓石に水をかけるのはご先祖様を早く五大要素の自然の流れに戻して上げる意味があるそうです。



そして自分の仏様だけ大切にするのではなく(貪り)、周りに沢山墓石があると思いますが他の仏様にも皆様が心地良くお参りできるようにしてあげるご自身に出来る気配り、心遣いがお墓参りのマナーとして必要です。


掃除が終わると家族揃ってご先祖様にお花と線香を供えて家族一緒に手を合わせます。
この行為で一体感が生まれます。家族で一緒にする事にこそ意味があります。



火が付き難いお線香は皆で協力して付けると喜ばれます。
燃えればよいのなら雑草でも、火薬を付けても、油を付けても良いそうです。
お線香に火を点ければおしまいではなく、この心と相手に伝えたい祈り、善い香りが届きますようにと本来は思いやりと真心でもてなすそうです。



父は普段家族と接する機会が少ないと思いますが、火が付き難いという困難を、家族の先頭に立ち一家の大黒柱としての威厳を見せる機会でもあるのだそうです。



台風や大雨でも皆で苦労して付けたお線香には家族一緒に深い感動を覚えるものです・・・。



容易い。有り難い。有るのが難しいので「ありがとう!」
ご自身の利便性のみを望む、ご家庭の安逸だけを望んでいると何でもないことが苦になってきます。


ある夜、お釈迦が祇園精舎へ入られる時、皆それぞれに百、あるいは万のあかりを供養しました。
着のみ着のままの老婆も東奔西走して、ようやく一燈をともすことができました。
やがて大風が吹くと、あかりは消えていきましたが、信心が強く、志が深い老婆のあかりは消えなかったそうです。



苦労して付けるお線香にこそ価値と喜びがあり、硬い揺るがない決意が宿るのだそうです。



そしてご先祖様とお話をして明日からも頑張ると言う誓いをたてお墓参りをすませます。
(次回墓参りに来た時に、ご先祖様の為に捧げたお線香とお花の見るも無残な姿が有りますが、世の中には活かす物、活かされるものがあるそうで新しい潤いを供えてあげましょう。仏様は気持ちを召し上がるそうで供えた花はすぐに下げても好いでしょう。)



造花は自分にとっては楽と思いがちですが、虫も余っては来ませんし、お墓参りにいって他の墓地に花があると近寄ってみれば造花だったと落胆させる場合があります。



お盆には地獄の釜が開いてこちらに帰って来たご先祖様も極楽にいけるチャンスを頂いているご先祖様もいるといわれます。



地獄に落ちる人がいないと赤鬼、青鬼にも仕事がなくなりリストラしないといけません。
自分のご先祖様に限ってそんな事はないと思うのですが、地獄に落ちたご先祖様の代わりに他に潤いをもてなしご先祖様に功徳を回向する意味もありますから、縁無き衆生は度し難いといわれ自分の気だけ救われている人も多いですが綺麗な花には様々な生物が寄って来るように生花は他の家族への目へのもてなしにもなり、代々で築き上げた一族のブランドを向上させてくれます。



満たした数と教えた数が多い家庭や一族には幸せの山が出来るといわれます。



お墓で雰囲気の良いお線香と、生花を飾る事は仏様とご先祖様と他家にお参りに来た人への華になり、ご先祖様が足らなかった利他を行いをご先祖様に功徳として回し向ける行いになる。(自らのものさしでその瞬間に合う香りと花が良い)





『お墓参りは思いやりのお線香を供えて、明日への決意と来た時よりもその場所と心を清らかにして帰るのがお墓参りのマナーとお参りの作法です。



自分が満たされるだけでなく、仏様のお家に踏み入る時は工場見学のようにこちらを見る相手に嫌味を与えないよう失礼のないように形を正して正装でお参りしても善いでしょう。



すぐには形を示しませんが、その行為の波紋は新しい方向へも広がりご家族の普段の生活にも現れてきます・・・』


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