お線香の意味、お線香のマナー。

お線香は仏様へのもてなし、
お香はご自身の嗜好品。



お線香のもてなしで家族の人生が変わる
☆★☆



仏教ではほしいなら先に相手に与えなさいという。


ここだけの話ですが仏壇も墓も線香も購入するだけでは仏様が元気を無くしてしまう。



仏様の食事といわれるお線香、好物の甘茶香をもてなせばご先祖様は元気になりご家族に愛と幸の後に利益を授ける。



年齢を重ねてからだと自分の我が固まり柔和でないと教えてもらっても実行は難しい。





全ての人が善人になればもう善人はなく普通の人になってしまうので誰も教えてはくれない+☆+



全ての人の置かれた環境が違うので様々な束縛から逃れようと争いになる。



陰の人、空腹の人々は満腹と陽を求めて動く。満腹の人々はお腹がいっぱいで動けない。



霊気と地気の交わりで新しい動きが始まるように、世界も満腹の世界へ空腹の人々が移民しそこに新しい風を生む。今も昔も変わらない・・・



食べていくのに必死な人と、食べるのには不自由しない人。ご先祖様の徳(相手に有り難いと感謝される)の積み重ねの結果に今がある。



子孫が繁栄するには貴方が今沢山の人を満たして基盤を作っていないと生まれた時に社会で満たす立場の環境になっていない子孫は環境が悪く楽だけれど繁栄は難しい。


物を販売するにも相手を何かで満たすと売れる・・・





習慣で同じ毎日線香を供えるのが良いと思っている人は勉強不足?



家庭の仏壇で子供を上手く教育する(理論がついてなく行うだけになっていて、仏壇は教育の場所と解からず家族では行えず、仏の使いとして菩薩行である指導が出来ずいつまでも救われる立場)、人生の荒波を豊かに進むのは難しい・・・。



子供も手を合わせ供えるだけでは習慣になるだけで智慧も心も入らない。一緒に行い子供に例え話やなぜ仏様が喜ばれるというお話が必要です。



同じ薫りに囚われ自由が利かなくなって、毎日同じ線香だとご先祖様も飽きるかなと相手を察することすら怠慢になり出来なくなっている。



参ることや焚く事だけに価値を見出している人が多いようですが習慣の病になり本来大切な気遣いも出来ない。


仏様の好きな思いやりが抜けている+++



お線香を供える時にはお線香のように真っ直ぐにご自身を整え、相手から見て好ましい状態で美しいおもてなしをする。お線香が燃えた後に灰になって次のお線香の土台になるように、途中で消えたりしないように最後まで失礼のないよう礼を尽くして次へつなぐ美しい伝統の土台になるよう振る舞うことが好ましい。



仏壇もお墓も置いておくだけでなく家族一緒にご先祖様を思いやりで察し接待して日々与える事が大切です。



家族を大切にする、ご先祖様を大切にするのは一番大切な事で人生の基盤になりますが、ご先祖様だけ大切にするのは我が子可愛さのあまり他に施しをしないで餓鬼道に落ちた母を救うお盆の始まりと同じなので、ご先祖様もお世話になるご先祖様以外にあたる仏国の君主の誕生日にはお接待してあげてもいいですし、施餓鬼で恵まれない餓鬼に接待しても、社会で恵まれない人に接待(お金だけでなく無財のもてなし)しても良いでしょう。



環境の良い人も悪い人も、毎日の社会生活で周りの人々を察して、
皆が無財のもてなしをしようと心の片隅において意識していればもっと皆の環境が整い好くなる相手に光を与える方法を、それを皆知らない・・・

親が知らない・・・

教えられない・・・

環境が悪い・・・

今までそんな話を聞けない環境も。


安逸で大切なものを失い堕落した人をすくうのは貴方のもてなし・・・。



何人が意識しているのでしょうか?お経は読めなくても、お経が読めても、お経の意味の無財お布施などを知って行っているのは?



心の余裕が無く、ご先祖様や仏様、周りの人々を察し出来ずに世の中では相手に闇を与え、周りの人々の環境を落とす人もいる・・・



最近は皆が極楽へ行くので、仏の使いとして降りて来ると言っても極楽もいっぱいになって来る・・・



石川五右衛門の時代から閻魔大王が極楽へ行ける人の数を規制しているようです。



赤鬼、青鬼などにも仕事を与えないとリストラしないといけません。



好い事しか皆さんは言いませんが仏様の我々を救う使いも来ますが、阻止する沢山の使いも降りて来ているのでは?



世の中では生まれた時から仏の使いとして救済・満たし与える立場で生まれる者と、仏に成れず輪廻してまた欲望を求め満たされ救済される人に生まれる者がいる。

後に変わる者もいる。



皆が同じところへ行くのではなく仏に仕えるお寺でも階級があるように九品仏といい、極楽浄土には九つの階級がある。



虫も一匹も殺生しなかった人は一番上にいけるそうです。



極楽までは悪人も一生懸命極楽へ導くが、極楽へ着いてからは如何でしょうか?

お盆にはお墓までご先祖様を迎えにいく、お盆の送りには暗闇で迷わないよう送り火で送り出す、舟で旅路へ送り出す。



全て相手を察する思いやりと他を誠心誠意もてなす真心を頂く行事。



自身の利便から、販売者も購入者も心なく習慣で行っていた義務であるお盆に供えるご先祖様が行き来するといわれるキュウリとナスは模型になり、三途の河の橋渡し賃は紙になり無くなった。



滅法が近づき形式だけでなく一般の人が?住職が?宗教心が無くなったといわれますが、お盆の行事・法事・葬儀など手間がかかり知っていることを行うのは面倒なのですが、一般の人の曇りを祓う光の行事。


自らの時間と知力と財力と体力と精神力を犠牲に自らが相手の橋になれなければ自分の利便で餓鬼道へ。


いつも同じでは心に青い動きが出来ない?





お盆には地獄の釜が開くといわれ地獄からやっと抜け出るチャンスを頂いたご先祖様、又は極楽行きが決定した仏に成られるご先祖様が長い旅の途中でわざわざ戻られるそうです。



仏様を労い、馳走して探しだし後生の大好物甘茶でお接待してあげると喜ばれます・・・



仏様へ好物のもてなしでご先祖様に功徳を回し向け旅路の安全と仏のご加護を祈念しましょう。



自分の命と引換えに他をもてなす仏様の好物、花と線香と蝋燭のように自分の時間と体力と精神力と財力などを犠牲に他を察して誠心誠意もてなすのが喜ばれます。



花は心に潤いを、線香は香りの安らぎを。蝋燭は希望のお光を与えてくれます。



ご自身はご先祖様へどんな潤いを与える事が出来るのでしょう?


またご先祖様だけでは餓鬼道に落ちるといわれますので沢山の人の有り難い橋になりその自分の上を通って頂いて光輝く向こう岸に渡って頂ければ好いといわれます。





動き無く自分の好きな薫りだけに貪り、ご先祖様だけに囚われるのは餓鬼の道で水のように腐ってしまう。



死ぬまでに、この世もあの世も一度はお供え甘茶香。



あの世の君主へ大好物のお接待、手土産はあの世でも気に入られる縁起です・・・




相手の事を察すれば毎日同じお線香なら、仏様は飽きてしまいます。



自分の利便で安逸な接待は相手に届かず全て火炎になり消える+++



寒い雪の降る夜にお地蔵様を察して好物の笠をもてなすとお地蔵様から自分のほしいものが届いた。




餓死寸前の老人に兎は自分の身を炎の中へ投げ込んで、自らが相手の好物になりそれを老人に食べさせようとしたら、老人は天の神だったので兎の犠牲奉仕のやさしさと愛をほめ、うさぎの好きな月の世界へ住ませてあげた。




仏様の大切な日に仏様の好物を先にもてなすと自分の好物が届いた。


生前ご先祖様に好まれた物が喜ばれるのは相手を察したもてなしから・・・(好物は食べるものだけではない)





仏様の生まれた後のお盆には、仏様は旅の途中で戻られる。


ご先祖様・仏様に願いを叶えて貰うには、自分の好物でなく仏様の後生、相手の好物が好ましい・・・
★★★


自分の利便で毎日同じお茶や水では無く、仏様の生まれた命日には仏様のお誕生を祝う甘茶をお接待。


特別なおもてなし。

仏様のご馳走といわれる甘茶も、人間のご馳走も、 お客様をもてなすのに昔は馬に乗り様々な所から走り回って集めてきてお接待、おもてなしをしたので馳走といわれます。



簡単に手に入るものにご馳走はあまりない・・・(有り難くない)





言い訳が上手くなると自ら向上の芽を摘んでしまうといわれますが、己を忘れて好き嫌いなどいわずにご先祖様が喜ぶならやってあげましょう




喜びたいから喜ばせたい・・・、

クリスマスから花祭り・・・、

誕生日から命日。


神仏では自分が欲しい(求める・願い)なら先に神様・仏様を楽しませよ(神楽は神様の好物の舞を神様に接待しますので人間の客席は無い)といいますが、天には与えたもので降りてくる(お布施や御餞(祈祷)初穂料の金額で戻って来る物が違う)で、地には与えたもので咲いてくる。(仏様の喜ぶ甘茶香を自分の周りの地に種としてまけば、奉仕の花が咲いてきて自分の環境が好くなる)



神様と仏様の両方に好かれる人の願いが本当は叶う・・・


生と死。陽と陰。白と黒。天と地。クリスマスと花祭り。


神様と仏様の片方にしか好かれないなら利は結べない。



仏の行いは低い彩度で沈んで目立たず、暗くて濃い色で重く、寒色で後退しているように見える行事ですが(地味色、重量色、後退色)、地に足がついて自分の人生を静かに省みたり進んだりする大切な陰気な行い。



その行いまで自分達を動物や強靭な体の英雄、様々な化粧が助けてくれるような現実を忘れる浮いた空想の陽気な世界になればこの世は夢(派手色、軽量色、進出色)。



しかし現実の日常から全ての陰を捨て離れることは万民には叶い難い。



普通、毎日地に足が付いて生活する重く暗い習慣の獄中と囚われの牢獄を嫌い、普段と違う明るく軽い浮いたものを求め空を自由に飛び人を救うといわれる天使に憧れる。



一生を地で生活する蟻がやっと天使になれた羽蟻。蟻を救う使い。飛び魚は愛せても、羽蟻を利害から愛せはしない。





仏様を察しない自己満足のもてなしは全て火炎となり消え失せ伝わらない+++


徳の種は思いやりと真心を栄養にするので幸せの花を咲かせる前に枯れてしまう。


お金を出して経を読んで貰っても仏壇を買っても年に一度だけしかお参りしない形式のようにお金しか出していないので簡単には幸せは訪れない。


体が動かずご先祖様をもてなしたいけれど出来ないので仕方なく墓参りの代行は好いけれど、新幹線の往復代が3万円掛かるので代行なら1万円で済むと自分の利を考えたもてなしは相手に届きはしない。

ご先祖様も閻魔様もみているそうで毎日の生活でお線香を思いやりで供える毎日の徳の積み重ねが将来に大切☆




朝はご家族の一日の安全を先に仏様のご馳走甘茶香を供えて仏様のご加護をお祈りする清浄甘茶香や法華経で頑張る誓いを起て、夜には静かに一日の自分を試みる沈香甘茶香や阿弥陀経で反省して一日の塵を洗い流して明日への希望の土台とする。朝は明るくご先祖様にお願いを発して昇り、夜は静かに内を清めて降る繰り返し。





人は良い師に逢って見出されるといいますがその出会いも環境を整えないとご縁が来難い。



形を整えると笑う門には福来るというように、人は服装通りの人間になるというように、看護婦、兵隊他の正装を着ればその精神が宿ります。言葉遣い、服装、動作を相手にとって好意のもてるように形を正し整え演じれば、自分が変わり周りが変わり良縁が来易くなります。



教科書を読み、見て、親に教育され最初は演じていてもそれがいつか普通になれば良い。



お線香やお香を焚く時間を持つことは様々な事から救われる・・・。



陰気が宿り病気になったり、形式だけで意味も解からず気だけ救われている心ない人もいる。



【大丈夫】それは相手からの言葉のおもてなし。



気を救う為に陰に落ちた貴方の闇に射した一筋の光。求めて得られないのは苦しみ、良いものを見て求めないのは難しく目をくり抜くのは愚かである。



世の中が平和になり好くなるにはどんな人でも欲は起こるが、環境の整わない人も欲する心を抑える訓練をしようと思う人が増えないと難しい。


環境の悪い人の方が求める物が入り難い。


求めて手に入ってもまた違うのがほしくなり満足はしない。


文章も読んで右から左に抜けていても満足する人もいるけれど、頭の片隅に残してそれを今後活かそうとする人が増えないと世の中の平和は難しい。



もっと簡潔で簡単な方が善い、文章が長いなど様々な自分に対する言い訳もでるでしょうがそんな人には手を合わせるだけで、お参りするだけ良い、お線香をあげるだけ良いと、しないよりは好いと言うしかない。


昔も今もその環境通りの宗派が当てはまる。





落ち着いて生活をしたい。腰を据えて法事などの物事に取り組みたいのに陽気に気が浮いて動きに転じてしまう明るい香水香など洋風の香りを使うのは好ましくはない(寛ぐのには好い)。



仏様の供養に、仏様と心を通わせるのには静かに向き合って精神を整え不動になる環境を整えるには静かな和風の薫りが好ましい。





明るい香りで明るい部屋ならすぐに仏壇の前から気が浮き離れてしまい易い。



いつまでも電気をつけていたり明るい番組では体が周りの明るいのに反応して沈んでいかないので眠りにも不向き(不眠症)。



写経もお経を読むのも静かに心を整える。和風の仏前は静かに気を整える場所といわれます。



お線香は仏様の食事といわれますが・・・?

供養とは何でしょう?


供養とは供え養う。


ご先祖様を扶養(助け養う。生活の世話をする)する。



ご自身、ご家族の日常の疲れた心と身体を仏様を接待したそのお下がりの潤いを頂き癒し養う(気力、体力、知力などを少しずつ作り上げる)。



供養とは仏さまがどうすれば喜ばれるのか?

相手の身の上や心情を察する思いやりの心、誠心誠意他をもてなす真心を供えて養う・・・。




鯉幟は中が空洞で後ろに抜けているので空に上がっていますが、鯉は水流が抜けない逆流を昇って行き大変です。


鯛は正月が嫌いで七面鳥はクリスマスが嫌いだそうです・・・


相手の心情や身の上を察する、喜ぶものがいれば必ずどこかに悲しむものもいるそうです・・・。


国も個人も財政難になればどこからか集めないといけない。


個人は節約かアルバイトかそれとも・・・。国は消費税か放棄かそれとも・・・。



私達は出来る。しかし、お金はない。国に求めるより国に何が出来る?
yes We can. but, we do not have money. but, we can do. because・・・?



I want.I want to.何かして頂くと義務と責任を背負います。それを感じないと本当はいけない。



恵比寿様に商売繁盛を願うなら、まずは自分が初物の鯛を頂かず、恵比寿様に先に供えるべきである。



仏様に家内安全を願うなら、まずは自分の好きな線香でなく仏様の好物の甘茶香を、仏様に先に供えるべきである。全世界で甘茶が当たり前に売っているのを見かけませんが有るのが難しいので仏様に、又皆様に有り難うと喜ばれます。



六種供養とは物事を成し遂げる為、苦悩や迷いのない澄み切った境地になる実践で、@に水(布施行)。


Aに塗香(持戒行)。


Bに花(忍辱行)。


Cに線香は手抜きしないで力を尽くした努力の性が宿るものです。

(精進行【雑念を去って一心に仏道を修行すること。一つのことに心を打ち込んで励む事】)

最近は昔と違って様々にする事もあり住宅環境も変わりました。

しかし煙たいから長いからなどで様々な手抜きを進めると横着の性が宿る(堕落行)。皆唯我独尊。

他社より自社を勧める。

利便を進める悪魔の投げた餌か、天使の投げた甘い蜜。自分で選び掴んだ道は進む



Dに飯食(禅定)。


Eに灯明を点じる(智慧)以上六種の実践行は仏道修行、先祖供養には欠くべからざる必要な行いです。

水と塗香と花と線香とご飯と蝋燭のおもてなし6種類の種を日々蒔いて善根功徳の人徳を積み重ねていくことで、御神仏、ご先祖様に対して偉大なものとして敬い礼を尽くすことが出来る。

そして自ずと真理の深奥にめざめ仏智が深まり人格が磨かれ物事を成し遂げたり、悩み迷いのない澄み切った幸せの花が咲く。

(汚れた周りに咲く一輪の蓮。天や綺麗、又は楽の内には咲かず、地や汚れ、又は苦の内に咲く一輪の尊く美しい花)





世の中が可笑しく感じるのはなぜでしょう。ほしい、ほしいと求めるのは餓鬼である。


こうしてあげたい、こうしたいと思い行うのが本当は良い。

何もしない人と神仏を大切にする人とでは眼の輝きが変わってきます。

自分の好物でなく、お客様の好物をもてなすことが大切です。





仏様の好物は華・香・灯だそうです。(花、線香、蝋燭)

その三つは自分の事は何も言わず自らを犠牲に他をもてなすものばかりです・・・。


ご先祖様の心は移り変わらず、おもてなしをすることは止まっている玉を打つゴルフより簡単です。ゴルフは息を吸ってスイングするのではなく、吐いてからスイングを始めるといいといわれます。

短いお線香、煙の少ないお線香が流行っているようですが相手には何か好い所はあるのでしょうか?、


心に余裕があれば煙にも情緒があり豊かさがあるそうで、眼を開けばどこにでも教えがある。


香をたいて香気の流れたときに、その香気の、あるのでもなく、ないのでもなく、行くのでもなく、来るのでもないさまを知って、さとりに入った人もある。


心を乱せば醜い煩悩となり、おさめれば美しいさとりになるそうです。



世の中が、普段が悪くなると明るい楽しい話や場所ばかりを求めるが、暗い話や嫌なことに聞く耳を持つ、陰気な場所や行いにも学ぶ事がある。

楽しい世界に行けば気は晴れるが普段を辛くして、苦しい世界を見れば普段を明るくしてくれる。



鼠や蛇などの動物が自分に利を授けもてなしてくれるなんて普通はありえない事が起こる夢のテーマパーク。

映画などでは救世主が皆を救ってくれるなど現実にはありえない逃避の夢を与え、三蔵法師はこのままではいけない、火の車から降りなさいと因果応報の現実を教える。現金を振り込めばそれが増えるという夢の話。

預けると倍になるという話し。フィクションなのに日常でも起こる夢を見て騙される人が増えている。

動物は狐と狸が人を騙すという話が童話でありますが、現在は人が他の生命を管理し人を騙しています。空想の世界は死や不安の恐怖を和らげるかわりに、簡単に陽気に軽くする。





仏壇に向かうのは朝もいいけれど本当は周りが暗い方が好い。

世の中の景気も体調も薫りも明るいより暗い方が自分を省みやすい。

ローソクの炎も一番智慧を授けてくれる時。

電気の付いた部屋ではなく、夜の電気を消している部屋での蝋燭の明かりこそ輝き明日を頑張る闘志を授けてくれる。





煙が仏様に伝わるといわれ、善い香りが煙に乗って相手に気持ちを供えようとするもてなしの心を仏様は召し上がると言われます。

ご先祖様と閻魔様は毎日見ていてご先祖様に功徳を回し向けできているのか、将来必ず行く場所を決定しているといわれます。



汚れには味がある。新品は無表情。片方だけ求めれば悩みを生む。


仏壇が汚れるから煙の少ないお線香が良いという人も有りますが仏壇が古くなり煙で汚れてきたならそれは家族だけの特別な仏壇。


新品の仏壇は皆同じだが、老いた年寄りの皺や表情のように衰えはしますが汚れた仏壇には貴方達家族が積み重ねた味がある。


一生汚れのない仏壇を求めるなら何も接待しないで袋を被せておけば良い。汚れてない仏壇は見る人が見れば何も接待せず飾ってあるのか、高価な金仏壇が汚れてはまた洗いに金銭がかかると自分の事を考えて接待していると思う。


汚れたなら拭けば良い。日を決めて定期的に拭けば汚れはしませんが、堕落して放っておくので汚れる。掃除を定期的にしなくても好いと思ってしまう煙が少ないお線香は楽ですが堕落してしまう。


そうした人は仲間がいないと寂しいので人数を増やして自分を正当化しようとしてもう一歩堕落を勧め何もしなくてよいとその場は楽だと仲間を増やそうとする。


長い期間で見ればその行為から広がり後に様々な事で苦労することになる。自分も汚れず今のままの若く綺麗にいたいのなら蝋人間になるのか、永久凍土の氷に閉じこもるしかない。





失礼のないように仏様への思いやり、仏様への真心のおもてなし。


毎日の事で大変ですが、ペットも家庭の食事もご先祖様のご飯も自分に出来る精一杯のおもてなし・・・。


毎日同じ食事で不満を語らないのは空腹で食べるのに困っている時の人間と、ペットとご先祖様だけ。


ペットは語らないがご近所に違う餌を貰いに行っている場合がある。主人も奥様も家庭で得られない物を外に求める場合がある。



毎日積み重なっていく直接の原因があり、それに応じた大きな報いが必ずあるので大切なようです。



自分のことばかり考えたその行為の雫は大きな波となり毎日の生活に周りの環境に大きく広がって行きます・・・。



テレビは大型化し、仏壇は小型化すると父、母の存在も大きく変化してきます。(テレビが中心になり、家庭を占める割合に享楽が大きくなる、テレビを付けたまま食事をする家庭では家族での会話が少なくなる。)





利便性のみを望み、安逸だけを望んでいると何でもないことが苦になってくる。


普通に歩いて帰っていた距離を1度タクシーに乗り楽を知ってしまえば歩くのが苦痛に成ってくる。




苦難の中では磨かれるが、安逸の中では墜落していく。


パソコンも今では昔のあの遅い機械に苦痛を感じる。怠慢になると長い線香や煙、そしてお供えする事にも苦難を覚えるようになる。



もう簡単な事も不便に感じてあの頃へは戻れない・・・。


沢山の人が機械で安逸に溺れていくと人間の働く所が、自分の存在を見出せる場所がいつしか無くなってしまう。



世の中では機械が全てしてくれるのは最初は珍しく喜ばれるが最後に残るのは優越感にも浸れる人からのエスコート、気遣いなどのおもてなし。


自動のドアと人が付いた手動のドア。豊かな人は人との出会いに喜びを感じて人と人との繋がりを楽しむが、貧しい人は係わり合いを嫌う。


安いコーヒー屋と高級なコーヒー屋では同じコーヒーでも店の色、金銭の渡し方、コーヒーの出し方、言葉使いまで違い、安価な店は人の手があまり係ず早い時間が流れ、高級な店は人が沢山係りゆっくりした時間が流れる。


人が必要なのは高級な店だけになりかねない。それを求めているのも高級な人かもしれない・・・


慌しく貧しい人が高級なその場所にいると周りの人々のゆっくりした時間を損ねてしまう。


いつしか高級な人の相手をしていない人々は、機械がライバルになる。





朝30分早く起きて顔を洗って口を濯いで生花の水を変え、日本産のご飯と日本産の御線香を落ち着いて手を合わせ供えます。



お線香の薫りが嫌いという子供は普段から一緒にお供えしていない子供が多く、たまにするといつもしていない事ので嫌に感じる。
(姪や甥も御婆さんの家の匂いと大人になった時お線香を懐かしく感じる)。



時がくればお線香の香りは良くなり心が穏やかになって香りの良さに気付く。

忍耐とは希望を持つ技術で子供にも身に付く。


次男の家庭でもご先祖様はいるのだから家族一緒に日々の生活で一緒に神様か仏様におもてなしする場所が必要です。

長男の家でも自分達の都合で二世帯住宅になり、結局親だけでもてなしている場合も多く、長男も次男の子供も結局教育を受けていないので次の世代では教えることは難しい。

ご先祖様が代々大切に築いてきた思いやりと真心を培う家伝も途絶え始める。





世の中は我慢、耐え忍ぶ、奉仕の心も途絶え始める。昔の閉じた女性、今の解放された女性。


貧しい昔、食べるには困らない現在。なんでも揃ってひとりが楽な時代・・・。



貪り、相手を察しないもてなしはご先祖様に届かず全て火炎となって燃えてしまうそうです。

(日常の社会でも相手の為と行っても相手にとって好くなければ、上手くしないと伝わらない。その行為は火炎と成って燃え尽きる。)





お経もテープを買ってきて流しているだけなら相手に伝わらず燃え尽きる。

お金を出すだけの行いも。

自分の時間と財力と体力と精神力と知力を犠牲に、花、線香、蝋燭のようにもてなすのが喜ばれます。相手を察する優しいものさしでのおもてなし。



聞いたり読んだりして理解して行う人。

読む気、聞く気、行う気の無い最後の人には目に見える色が有効。


気の無い人には何を言っても無駄である。気が起きる機縁が必要。


そんな人は今世は気だけ救われ、来世で阿弥陀様に救ってもらうしかない・・・



誰でも相手が聞く耳をもとうとしないと説明も出来ない。仏教聖典も読まない、読めない、気が無い。


縁無き衆生は度し難い。(人のことばを聞こうとしない者は救いようがない)





悪人は、罪を知らず、それをやめようともせず、罪を知らされるのを嫌がる。


善人は、善悪を知り、悪であることを知ればすぐにやめ、悪を知らせてくれる人に感謝する。

悪人の環境を整えないと全ての人に平和は来ない。



賢い人は自分の過ちを忠告されると反省して改めるが、愚かな者は自分の過ちを指摘されると改めるどころか、かえって過ちを重ねるものである。


聞く耳は持たないが不満を持ち言葉の暴力、肉体の暴力で相手を攻撃する。愚かな者の怒りは口を開いて眼を閉じる。


周りにもいると思いますが、しかしその人は心の中は好い人です。自分達の幸せを願っています。



悪いのはその人は育った環境と現在の環境が悪いのです。その人は悪くありません、貴方に心が入っていないだけです。



周りが変える事が出来ない環境も・・・。



人は良い事をしようと思っても過ちを起してしまいますが、知識として様々なことを覚えておけば、その場面がきた際選択する余裕が生まれる。


良いことをしようと思うことが自分の心に潤いを与えてくれる。


皆生まれた時は、泣く事と食べる事しかしない。それから様々な勉強をしたり、様々な失敗をやり直せないのは今までと今の環境が悪い。過ちを3度も繰り返すのは考え直そうと出来ない心と周りの環境が悪い。



求めている物が違うのを理解しないといけません。

相手は現状維持で社会の批判や愚痴をいう友を求めているのかも知れませんが、その人たちが減らないと皆の平和は訪れない・・・。

愚痴や相手へ行う嫌味な言葉や態度などは周りの人も不愉快にさせます。





ご先祖様を大切に思う心の現われが礼儀となり社会秩序の基となる。



幸運の機会は努力するものに訪れ、怠けるものから去っていく。

知ろうと思う心が大切で人の意見を聞く事は協調へ繋がる。



ご先祖様をもてなさない自分の安逸な行いは、忙しいから、危ないから、汚れるから、マンションだから、自分自身に対する言い訳です。



相手にとって善いものはありませんが自分の心の中のことですから誰にとがめられることもなく、簡単に言い訳が通りますが、この時向上の芽を自ら摘んでしまっている事に気付かねばいけません。



毎日同じ食事で喜ぶのは食べられない人。

仏様もペットも喜んでいるような気がしますが、戦場の兵士と同じでお腹が減っていてそれしかないからでしょう。

食べるのに困っていない選択肢のある人に同じ事をすれば傲慢で錯覚に見える。


同じお線香ばかり焚いてしまう、自分の安逸ばかりを求めてしまうのは魔女が体に巣を作り心を虜にしているといわれます。

巣の子が繁殖しない内にせめて月に一度は甘茶香で洗い清めた方が好いでしょう。幸運がないのは疫病神が取り付いているのかも知れない。





有罪の七悪。
1 挫折、憎悪に満ちた貧しいまなざしで、すべてに接する冷たい心は、自らの目を通して相手に伝わります。


2 いつも難しい顔をしていて人や物に接する行為。不平、不満が顔の表情にあらわれ周りが不愉快です。


3 相手にとって汚い言葉、思いやりのない態度で言葉を交わす行ないです。


4 自分の身体で奉仕をしないこと。自分のためにしか行いません。


5 自分の為の心をくばり、心底から共に恨み共に妬むことができ,他の痛みや苦しみを自らのものとして感じない。


6 たとえば自分が元気でも電車の中で喜んで席を奪う行為。また競争相手から地位を奪ってまだ足りないと悔やむ。

7 風や雨露をしのぐ所を奪うこと。限られた枠で自分の独占を拡大、相手に雨がかかるように傘を奪う強行の行為など。 (現在世の中ではネットや広告で価格は破壊し、財力ある大きな所以外は皆雨がかかっている場合も多い)



考えている人と考えてない人。

参拝中も道端にある花に参拝中に出会う人に、小さな生物に気付く余裕があるマクロの世界。


参拝することに一生懸命では周りはみえません。一行三昧で時間があっという間に過ぎて自分の気は救われているかもしれませんが向上はない。



自分を省みるには昇る形の多い山に寺に神社に行くのではなく、深く沈む行為と空間が必要。


書道、華道、茶道、瞑想、他の陰気な行い。陽気な行いや有頂天になる参拝では何も見えない・・・


環境が整っていない。青い空で気を晴らすのではなく、自らを反省、考えるには濃厚な青い深海に、行かなくてはいけない!!!



行うこと参拝だけで満足している知る気のない羊は飼い主に従い夜には小屋に戻って五感の戸口をしめなければいけない。


牛を飼う人は、秋のとり入れ時になると、放してある牛を集めて牛小屋に閉じ込める。


これは牛が穀物を荒らして抗議を受けたり、または殺されたりすることを防ぐのである。


人もそのように、よくないことから起こる災いを見て、心を閉じ込め、悪い思いを破り捨てなければならない。


貪りと瞋りと損なう心を砕いて、貪らず、瞋らず、損なわない心を育てなければならない。




良いものを見て求めないのは難しく、目をくり貫くのは愚かである。


抑制する訓練をしなければならない



犯罪者が出所してまた刑務所に戻るのは環境が悪いのか、心ない形式だけで訓練をして二度と過ちを犯さない決意をしていない場合も多い。





牛を飼う人は、春になって野原の草が芽をふき始めると牛を放す。しかし、その牛の群れの行方を見守り、その居所に注意を怠らない。



人もまた、これと同じように、自分の心がどのように動いているか、その行方を見守り、行方を見失わないようにしなければならない。



宗教の自由。自分の環境、心で世界が変わる。



親鸞聖人は富裕層の形式だけで心ないのを見て形式だけではなく心だと感じて形式より精神を重んじるといったそうです。


お金がないと形式を行うのも難しいのですが、お経ではある夜、お釈迦が祇園精舎へ入られる時、皆それぞれに百、あるいは万のあかりを供養しました。

着のみ着のままの老婆も東奔西走して、ようやく一燈をともすことができました。


やがて大風が吹くと、あかりは消えていきましたが、信心が強く、志が深い老婆のあかりは消えなかったといわれるように、現在の簡単に結婚できる人は簡単に何度も離婚してしまいます。


愚者の自覚を家庭にみほとけのひかりを。愚かにして愚かを知る事は愚かにして賢いと思うより勝っている。


形式で物質を新たな場所などに求めるより、今あるものの中で精神性を深めよと言っている。


同じ物と相手と行う結婚式でも。


天は背中に(後ろ)輝く光を置いて天から地を見つめ、地は背中に(後ろ)に)暗い闇を置いて地から天を見つめる。


周りの人に聞いてみると貴方の背後の色が解かる。





貧乏神が取り付いてとりついているとは自分の背中の色を言っている。



因縁=因とは結果を生じさせる直接的な原因(普段の環境、行い)。

縁とはそれを助ける外的な条件(周りの環境、状態)。


因縁生起=略して縁起。

縁起=あらゆる存在のもちつもたれつの関係を認めるから、お陰さまで、という報恩という奉仕も生まれてくる。


縁によって生まれ縁によって滅びる。これだけは永遠不変の真理です。


環境が整えば人は豊かでいる事が出来る。


周りが、相手が邪魔したり攻撃してこないのも有り難いのでお陰様で元気ですと相手に言います。



香りは餓鬼、徳人、阿修羅、仏で求める物が違うそうです・・・。


人は真中へ集まろうとするそうで、陰に落ちている人は上に昇れる祭りや明るい香り、色を求め、陽に昇っている人は落ち着いた場所、心を沈める香りや落ち着いた色を求める・・・。


自分の環境、心で自分の色の物を求める。


若い時にはお金を求めて、老いては健康を求める・・・。


目に見える物、耳に聞く事、鼻で嗅ぐ物、口で頂く物、肌で触れるものの最も強いものに惹かれ囚われる。



しかし人生の戦争で勝利するには最低三種類の【仏様のご馳走甘茶香】が必要である。


頑張る時の清浄甘茶香。

休む時の慈悲甘茶香。

静かに自分を省みる沈香甘茶香。

そしてご先祖様へお供えしてそのお下がりを頂く謙虚な心が必要です。





神社で道の真中を神様が通る為にあけておくように家族でも一番は神様と仏様(如来)の為に空けておきます。

二番はご本尊様。

三番はご先祖様。



神様のお札を重ねて祀る場合一番上は天照大御神様、二番は氏神様、三番は崇敬神社。



横に並べて祀る場合中央は天照大御神。

右は氏神様。

左は崇敬神社。



ご家庭でも仏様へ、神様へ神聖なお香を捧げお下がりの利益で空間と心体を浄化して清らかに静かにもてなし下さい。

神様と仏様は喧嘩しないそうです。





社会では大切なご先祖様に供えるお線香を1コインで求めることが出来る外国の線香も流行っているそうですが、仏様の食事といわれるお線香。


自分ばかり国産の米を頂くのでなく皆様の毎日の食事に出てくる日本の米と同じ国産のお線香を供えては如何ですか?。


愛国心あるご先祖様は日本人の手で作ったを供えてあげようとするその気持ちを頂かれるといわれます。お線香の香りは部屋に残り結局ご自身が頂くので天に唾を吐くような行為になりかねません。





これから大変な時代が来ますから皆様節約に心がけて下さいというと、ご先祖様の仏壇、花、線香を節約してしまった宗教があり、流通は衰退した話もあるそうです。



無い袖は振れませんが無くても大丈夫、それは堕落を誘う言葉のおもてなし。言葉は難しく、現在自分達が明日を食べる事に困ってなければ節約して好い物、悪い物の智慧を見つけましょう。





海外で生産した安価なお線香、外国産の肉や魚や魚介類ばかりでも財布の中身に重点を置いている人のその心は満たされますが餓鬼と同じでそればかりでは心が貧しくなり、心のゆとりが出来ないそうです。



ご自身の食事も毎食ファーストフード。健康も求めているのに知らない間に大切な間違いを犯してしまう!



香りは平安時代から五感を満たす、環境を整えるものとして高尚な趣味として使われ楽しまれたそうです。



相手の好きな香りを焚いて喜んで頂けるかな?と来られるのを待っていたそうです。

ご主人の帰りをお香を焚いて待っているような余裕のある生活と違い緩急もない五味も楽しめない同じ香りばかりの生活では心が窮屈になり病気になってしまいかねません。





安価な線香、自分の好きな香りばかりに貪るのも病気の元に成るのだそうです。

病気になると入院費が高くつき安物買いの銭失いという結果になります。

善い線香の原料は漢方薬やハーブを用いているのが多く心体に大きな良い影響を与えます。

好物ばかり食べると病気になります。あんまり好きでない野菜も必要です。


もう横にしか成長しないのですが食べる事を我慢できないメタボリックも欲を規制できない病気です。


強制的に食事を減らすダイエットをしても心の鍛錬をしないと無理です。

欲する物の何もない山で修行から始めても善いでしょう。

今から始めれば今の生活の有り難さに気付くが忘れないよう努めなくてはいけない。





口からも頂き、鼻からも頂く。

香りのない生活は鼻が要らないような生活だと思いませんか。

なぜ鼻は付いているのでしょう?


目と耳と鼻と口と心で最高の満足が得られるといいますが、普通の人は70%も目のみに囚われると言います。目で見える物だけに囚われた世界の狭い生活。



テレビを見ると悪いニュースや難しい話では陰気になり、面白い番組や簡単な話は陽気になります。



第一印象が記憶に残るのは人を苦しみに落とす計らいで、人間は何度も相手を好きか?

嫌いか?

判断したくない。

自然に自分の利便から最初の印象を残す。



しかしチベットのダライラマ法王がいうようにそれが後の失敗を生む事が多い。ビジネスのために相手に好く映る様に演じている俳優、又は女優。



香りは時空を超えるといわれますが、その場面に瞳に映る影響から妙香が脳裏に焼きつき時を超える。お茶席で沈香を聞けば周りの人や景色から上品な素晴らしい薫りと人は思い、お葬式の厳粛な沈んだ空間に使われた沈香の香りは陰の死のイメージが頭を占領する。



そんなイメージをもつと毎日が暗くなるから普段には嫌な香りだと決めてしまう。


本当は豊かで落ち着く優れた香りなのに目だけに囚われてはいけない。


普段が陰気だといっても明るい場所や香りばかりを求めてもいけない、陽気に浮いた生活もいけれど、気を静めて腰を降ろした生活も良い。


目がなければ自分の世界は変わるのでしょう。落ち着いた生活をするのに、落ち着いた性格になるのに目に見える色と鼻で嗅ぐ香りはご自身とご家族の環境と精神を整えるのに本当は大きく役立ちます!


因縁を整えるのには書道、香道、華道を習っても良いでしょう。
勉強、読書、習字、パーティ、陽気と陰気の香りを使い分けると効果的!


食べる事も行事ももてなしも豊かな生活は無駄を沢山出来る余裕だそうです。


靴も簡単に履け、黄色や赤、ゴムの靴は安価で存在も軽く、中々手の届かない靴、黒い皮の手入れや手間のかかる靴は高級で存在も重い。


スリッパのような利便な靴は安価で懐には安心ですが大切に扱おうとする心は中々入らない。安いと低価は違い低価格を安心と考えてはいけない。





家を3軒持ち住み分ければ大きく環境が変わりますが、同じ場所で生活する場合でも薫りを上手く使えば潤いの世界は無限に広がります。



仏様の食事といわれるお線香。毎日同じ線香なら仏様も飽きてしまうかもしれません・・・。

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