伝教大師は、『己を忘れて他を利するのは慈悲の極みなり』と言い残されました。



自分の好き嫌いでなく仏様の好物を持て成すのは我欲を抑えなければできません。



そして我欲を抑えて、自分の好き嫌いでなく仏さまや沢山の人々に喜んでもらう相手の事を考えた思いやりのもてなしが慈悲の極みで、「心を清らかにする最高の行為とされ、清らかな「極楽」に往生できる心を育てる」そうです。



お線香、仏様のご馳走R 清浄甘茶香(特大箱180g約540本入)





現在の人々は心の極楽を得る行為ではなく、自分にとって都合のいいように自分が凄く楽なように物事を簡略化します・・・。



行うには時間とお金と労力が必要なので環境が整っていなければ難しいのですが、その行為は知らぬ間に様々なことから救われていたのを放棄してしまうので、人生の歯車が違う方向に回りだします。



親の行為で救われていた自分が今は救う番になったのです・・・。


観音様の立場になったのに何も解からず飼い主に従う羊の様にいてはいつまでも神様や仏様や皆様のもてなしで救われる立場で他を観音様の様に手の平の上では救えない。


もちろん何もしない人は天上界にも菩薩界にもいないで人間界以下にいる(孫悟空が指に文字を書いた話もそういう事を言っている?孫悟空は自分の幸を求めた)



教育する場所なのに子供が嫌がるので・・・それは救う行為なのでしょうか?子供は凄く楽になりますが心の極楽になるのでしょうか?子供が衣服に線香の薫りが付くのを嫌がる。煙で家が汚れる。



様々な行事や二世帯住宅・・・地球が汚れるのは?



自分にとってはこんな利便があるが相手にとってはどんな利便があるのでしょう?失うものと得るもの?
利便に慣れてしまえば簡単な事も苦に感じてしまう。


昔神風特攻隊(飛行機には行きの燃料しか入ってなく相手に衝突することが目的)に乗った乗組員は最後の夜に家族に手紙を書いたそうです!お元気ですか?私は感無量で喜びが絶えないと!お国の役にたてて幸せだと・・・。



今の人が聞くと書かされたのかな?と思うかも知れませんが、思いやりが備わっていれば違うようです。



辛い悲しい死にたくない。帰りたい。手紙にありのままの心を写すとどうでしょう?家族は一生それを背負って生きていかなければいけません。



嘘も方便といいますが、親は親ばかといわれるように子供が望むなら子供がお嫁さんの為に二世帯住宅で良いか聞くと?


親は思っていなくてもいいよと言います。それを親が良いと言ったので構わないと思うのは如何でしょうか?お嫁さんが中心なのか自分なのか親なのかでまた違いますが、昔は好き嫌い関係なしに家系を守る為に嫁いだ人もいるそうです・・・。


小さな家族の枠があり親類や友があり最低限は大切にしていないと安心できる場所が無くなる。



まだ新婚だから別居してまた時間が経てば一緒に暮らすと誓う。片親が死んだなら一緒に暮らすという人もいるでしょうが、子供の面倒を見るのがやっと済み離れて、これからは自分の時間だとおもっている人は果たして一緒に暮らせるだろうか?


昔は共働きの場合、お婆さんが子供の面倒を見ていたりしたそうですが。


子供のいない家庭ではその利便に慣れてはたして一緒に暮らして我慢出来るだろうか?


今の人は自分の利便を求めるが、それは環境が平和だから。お金がない環境なら親と暮らす人もいるでしょう。



愛する人といるのは喜び。愛するものと別れる、恨み憎むものとあわなければいけない、周りから形ある求めるものが手に入らないのは苦しみ。

親が子に苦労を見せて教育していないと、孫や子供も相手の事を考えられず自分中心の子はその報いで自分も年老いた日には老人ホームや寂しい毎日です。


それで幸せならよいのですが、人は生まれ老いて病になり死にます。早く行く人、遅く行く人。


一日24時間あるのが平等で、自分が救われて人生を有意義に使うのが仏教の目的ともいわれます。だんだんと老いていき人はいつか死ぬというのを見せてあげるのが親の役目です。それを見ていないで歳をとってからいきなり知らされても困ります・・・。



世の中にはこれからどのように生きていこうとする者と、これから今後どのように過ごそうとする者がいるそうです。
(死ぬまでに三人の天使に会います。一人は腰を曲げて歩く天使、病の天使、死ぬ天使)



あなたもそうなると教えてくれる天使です。



テレビでは沢山の人が自らの身をもって悪いことをするとこうなると教えてくれる天使もいます・・・。



亡くなった時、閻魔様がお前は三人の天使に会わなかったか?と尋ねるそうです。



いつか死ぬという事を教え早く善行を積みなさいと教える天使に逢ってからの貴方の行いはこうでしたと人間の大好きな自分の映像を見せて頂きそして貴方の行き先を告げるといわれます。



働き蟻、怠け者蟻。皆それぞれに役目があるそうで、怠け者蟻を全て排除しても必ず一割は新しく現われるそうです。



怠け者蟻は今ある餌が無くなる前に新しい餌を見つける役目があるそうで、地球上の生物は蟻も蜂も人間も全て同じなのでしょうか?


接客業は皆が休みの時に働く。働き蟻のように真面目で一本道を企業にお客様に利益運んで仕事が終わっても寄り道せず教科書のように働き、独身の人もいる。



思い悩むなら行ってみると、行動の中から道が開ける場合もあります。
道を外れる者は道無き道を行く開拓者?新しい発見も生みます。


女王蜂は誰なのか?生物の存続??子孫繁栄の為には???地球の為には????

極楽それは極みの楽な所。悪人でも行くことの出来る極楽。


善人は善いことをしているから善い方向に向かって心も潤っているので駄目になる、地獄に落ちる恐怖からも「自分で救われています」。


悪人は悪いことをして後ろめたい、心が病んでいるので自分では救われませんが、罪深い悪人はあなたでも大丈夫と言えば「相手に救われます」。(悪いことをしてもしたと思っていない人は救われています)



亡くなるとこの世の悩み苦しみから誰でも救われ極みの楽だが、そんな人は極楽では阿弥陀様に今度は人を救うお勉強をさせてもらうそうです。極楽や天国、神様は地球を生み出した自然の力の象徴。



亡くなった方に肉体はないので魂が千の風になって修行するそうです。それを解かりやすく生身の人の姿で例えている?


輪廻で必ず次も人間になれるなら今はそんなに尊く感じませんが、魂でなく燃えて塵となり千の風に戻った後、天地の摩擦から始まり次はいつ人間に生まれて来られるか、そしてまたこのように考えている時間が有るのかを考えたなら、今この瞬間があり自らの身体を動かせているのがとても有り難くなります。仏教では肉体はなく、キリスト教では最後の晩餐のあと全ての人が若い肉体で甦り、善人と悪人を分け永遠の命を授かるか、永遠の死を与えられるといわれます。



キリスト教は土葬で自然の循環へ戻します。その方が燃やして大気から始まるより肉体を持つのが早いからでしょうか?


虫に食べられたり。鳥に食べさせる時代もあったようです。





骨はハクといい、魂はコンといいます。お墓に神聖なお酒を注いだり、煙の出る善いお線香を供える事は、地を清めて煙を上げて魂を呼ぶ。


煙は天上に昇り雲に届いて魂を呼び、墓の骨と空の魂をくっ付けるといわれます。



魂は上空へ昇り、云の上に雨が付き、ご先祖様は雨を降らし他に恵みを与える雲になったと考えていた時代もあったようです。


ご先祖様の魂の抜け殻ともいわれる骨が眠る墓をご家族で一緒に思いやりと真心で供養すれば肉親の霊魂、魂が喜ばれるといわれます。骨以外に残すにはミイラ化、凍結か、鞄になるしかない。
(昔は頭の骨だけ祀り、頭に被って踊ったそうでそれが異になったといわれます。

ナスカ地方でも地上絵で鳥やシャチになる儀式をして戦利品である敵の骸骨をネックレスに吊るし火で煙を上げて踊ったといわれます)。





天人地。天の雲から雨が降りそして大地に流れ地が潤いそして地から人は恵みを頂く。



雲と水は行雲流水といわれ何にも囚われなく流れる。そして最後に天からの恵みの雨は海へ流れ雲に戻る。


水も人も容器に入ると腐る。囚われなく流れていけば最後は赤子として生まれた頃のように綺麗に無邪気になって天に帰る。


この世の何かに囚われた人がそこで囲まれ流れず天に帰れなくさ迷うのか?


様々な道を流れていく・・・・



人の進化も食べられない人が進化した?どうにかしないといけない。



巫女や預言者は神と通じる聖(高徳の僧、その道で知識や・技量が特に優れている人みたいな人)。


人間でいえば側近。聖といわれる人は、仏の使いといわれる菩薩と同じように文字の如く主導者の王に聖は口と耳で会話できる。一般の人には出来ない。


花祭りに注ぐ甘茶は、仏になられたお釈迦様・ご先祖様の好物です。
お線香の『甘茶香』は仏様の好物です。

仏様の国の人々は仏の世界の中心須弥山から取れる苦悩の去る不老長寿(万病の霊薬)の甘露を飲みます。


その甘露の代わりに花祭り(お釈迦様の誕生日)に注いで誕生を祝うのが『甘茶』です。


生きている間、人間はあらゆる煩悩に悩まされます。花祭りに注ぐ甘茶は、自分の煩悩欲と厄災難を洗い流すと共に、心身を癒し長寿を保ち心を洗い流す意味があるそうです。


甘茶を飲ませて頂くのは体内も清めるといわれます。神社では水でお清めをして参拝します。


亡くなられ、六道輪廻の輪から抜け出す事が出来て仏の世界の住人となられたご先祖様はこの世の好き嫌い良し悪しの執着・煩悩から解き放たれ空のような心で悟りを楽しまれ過ごされているそうです。



やっと仏さまに成れたのに未練が残る供え物もその人のものさしでのおもてなしのその気持ちは召し上がるそうです。


人は好きというと必ず嫌い苦手があり二つで比べているそうです(比較検討)


太陽が好きならば月や別の星にあんまり好きではないのがあります。
飢えは上の無い病、計らいは最上の苦しみ。

(関心の無い物にも比較はしませんが・・・それら全体を指す空には比較するものがなく超越しているそうです)



子供の写真を集めるのは慈悲。自分の行った所で自分の写真を求めるのはエゴ。我に囚われると自分を集めはじめます。



お父さんお母さんお婆さんお寺お坊さんお線香、お月様、お昼。御とは尊敬、敬意を表します。


お朝お晩とは言わないように、ピラミッドの中心に太陽がくるように、太陽が空の中心に来る昼には様々なことで苦労した昔の人は敬意を込めて感謝したのでしょう?



現在太陽がなければ生物は生きていけません。
仏様の世界に住むご先祖様に『甘茶』はご馳走です。仏様のご馳走【甘茶香】



普段はご自身の好きな香りでも毎日同じおかずでは飽きますし、生きている人も誕生日にはご馳走を頂くように亡くなってからは命日が仏様の誕生日です。主役の仏様の好物で祝いもてなしてあげましょう。



お仏壇は仏様の住まいと言い、お線香は食事だといいます。



人間も家だけ有っても食卓が寂しければ家族は上手く流れません。ペットもご先祖様も1人で外食出来ませんので困った相手に利を与える花と線香と蝋燭をもてなす行為は最も喜ばれます。



新盆初盆には特に心を込めて相手を察してもてなしてあげましょう。



お線香の上げる作法は自分の好みや自分中心ではなく、仏様の身の上や心情を考えてどうすれば喜んでもらえるのか?


失礼のないように思いやりの心でもてなすのが【ご先祖様へのマナー】です。


ご先祖様だけ大切にするのは餓鬼の道ですからお釈迦様にも、餓鬼にも接待してあげましょう。


家でもてなしが出来ないのなら、沢山の人々と関係する社会でももてなしは難しい。





お線香の香りや種類が沢山あるのはなぜでしょう?仏様は好きも嫌いもなにもいわないのに・・・


「お線香も自分の事は何もいいません。自分を犠牲に隅々まで行渡り、人々を平等に香りで持て成し潤いを与え、お線香は仏のように相手に与えきりで様々な苦を抜き楽を与える慈悲の極みです。」



お線香は一度火をつけると最後まで燃え、我が身を燃やして人々に癒しと香りを持て成しますが、仏様も釈迦力に自分のエネルギーを燃やして様々に人々を癒し、利益と幸せを与えてくれますのでお線香を焚いて祈りと感謝の心を供えます。



仏様だけでなく 『ご先祖様も助けてくれているのかもしれません。』



ご自信も仏様の好きな花、線香、蝋燭のように仏壇が汚れる、煙が困る、香りが嫌いなど自分の事は言わず1番はご先祖様に供えておもてなししてあげましょう。

『この文章中に出てくる 六波羅蜜 とは?』



世界には昔から宗教によって様々に神様、仏様へ祈り・感謝を伝える方法があります。



香り、生贄、儀式など沢山ございますがそれはなぜでしょう?



悩める人は演出と集団儀式で喜びと価値を見出せるからである。


ピラミッド・七福神・ナスカの地上絵?モアイ像?祭壇?古墳?ミイラ?


人それぞれの環境で相手を察するものさしが違いますが、仏様を察して地方ではお盆にお墓まで迎えに行ったりお盆明けには舟で送り出す地域があります。清の始皇帝のお墓には皇帝を守る沢山の兵隊。ピラミッドにはあの世とこの世を行き来する船。





墓?平和?皆が自分では救われないので寺と教会は必要だそうです。


現在の世界の光景も、未来の人が見れば不思議に思うでしょうか?



困っている、悩んでいる人に、周りの指導者がこうすれば良いと指導しているそうです!



時の権力者は永遠の命と繁栄を求めましたが必ず亡くなり、あの世での繁栄を祈ったり、復活への儀式をしたりしたようです。普通の人なら豆を投げる行いが時の権力者なら話が大きくなりますがその肉体が復活して今も生きている人はまだいないようです・・・。



その儀式は自分の為であったり親族の為であったり民の為のまつりごとだったりしますが研究の為に掘り出される場合も多々あります。


仏壇は家族円満のまつりごとです。



あの世はない、これはない、それは出来ないと否定する言葉を言えば相手は機嫌を損ねてしまう・・・



これならどうですかと違うのを提案、あちらのお店にはありますよと別の所をお勧めするといいそうです・・・!あの世が無いといえば相手は機嫌を損ねてしまう。



才能があると誉めたりするのも相手を伸ばす言葉のおもてなし。復活を待つミイラは鼻から腐る脳みそを引っ張りだして捨て、頭脳とされた心臓を大切に保管しているそうです。



失敗して否定の言葉を受けるより、人は小さな成功を何度もして肯定的な言葉を受けることにより自分の存在を動機付け心を保つ。



私達は、年齢や上下関係を問わず、自分の立場や働きを人から認められ、大切にされると、それを自分にしてくれた礼儀とも受け取り、喜びも倍増します。そして自分も、理解してくれた相手を大切にし、相手の為にますます力を発揮しようとするものです。


誉める事は相手にとっても自分にとっても大切です。


潤いを手に入れます。


こういったところに、私達の家庭や社会を幸福にし、繁栄に導く秩序の基が築かれる。人との出会いが貴方を豊かにする。



世界では自分達が生き残りたい楽しみたいという利を奪いあう競争の結果に現在があります。


クリスマスを祝うのも良いです。しかし花祭りやご先祖様の命日をお祝いして相手に与える事も大切です。


@安心(気がかりなことがなく心が安らぐこと)A普通
B不安(悪いことがおこりそうで
気がかりなこと)



 幸福=不平や不満がなく心が満ち足りていること。


 幸せ=幸運に恵まれて、心が満ち足りていること。


 幸運=運のよいこと


 運=人の力ではどうにもならない、めぐりあわせ。


 めぐりあわせ=人の意思とはかかわりなくめぐってくる運命。
 

縁=運命として定まっている、めぐりあわせ。


 運命=人の力ではどうにもならないめぐりあわせや人の身の上

@にいる人はそれが普通なので解かりませんが、Bの谷に落ちている曇りの人が@を見ると羨ましく思ったり、@の山に上がると@の快晴になります。


それはなぜでしょう?


無いものを求めて得られないのは苦しみ、今あるものに有る事が幸運だと感謝するのは潤い。

良い悪いでなくて「素晴らしい」と思うからだそうです。素の晴れで素晴らしい!



素晴らしい=感銘を受けるほどすぐれているさま。見事、素敵、理想的。


感銘=忘れられないほど深く心に感じること。そこにねたみ心は生まれません。

素晴らしいと感動(物事に特別な意味や価値を感じて強く心を動かされる)を沢山するといいそうです。





「甘茶のお線香で感動を覚えることが出来るのだそうです。」


毎日の同じ景色に感動は中々覚えませんが、山に登ると視野が広くなり感銘を受けます。


普段の生活は自分の事だけでも大変ですが、視野を広げると今まで気付かなかった未知の世界が発見が、ときめきを与えてくれます。


普通に毎日供えていたお線香にもこんなに深い、深い意味があるそうです・・・

@の人もBの谷に下りると@の有難いのが解かるので時々下りてもと好いそうです。
@の人には様々な余裕があり、人気があるので時間が無い人が多いようです。





さて人間はどちらにいると色々な新しいものを求めるでしょうか?


救われたい助かりたいお金持ち幸福になりたい。


人間は自分に無い物を求めるようです。今あるものが無くなれば、出来る事が出来なくなれば、当たり前の事が当たり前で無くなった時には心は沈んで有り難いのに気づく場合もあり、ある内は中々気付かない。



誰にも言われずにある内にそれが天使だと感謝できる人は素晴らしい人です。幸せで有り難い、不幸は考える時間を与えて頂き有り難い。



不幸である事に気付かせて頂き昇る可能性もあるので有り難い。



受賞時レッドカーペット上は赤色を見るたびに目に刺激があり時間を長く感じる最高の場所であり、それを降りると興奮のアドレナリンは頂点では無くなる。


赤いカーペットを見ながら赤い時が終ってしまう今後を考えていたなら、もっと長く感じます。幸せな冷静な深く入る青い時間は竜宮城のようにあっという間に過ぎてしまいます。


辛い苦痛な不幸な赤い時は、靴の底に剣山をいれて歩くような事で嫌だと思う度に鮮血を見るような刺激的な時間が短い間隔であり非常に長く感じます。



不幸な人生は幸せな人生より残された貴重な人生は長く険しい血を見るような考える上り道で、体感時間は非常に長くゆっくりと不幸を感じることが出来るので、長い人生はとても有り難いのです。



青春は竜宮城のように早く過ぎるのは、何も知らない未知の楽しい世界で笑顔と希望に溢れ、今まで経験したことの無い新鮮な青い瞬間で興味があるからです。


人生を若く元気に生きるには何も知らない未知の新しい事を始めて今日を始まりと思えば好い。




好奇心は気分も体も快適にするようです。



自ら進んで行く知らない昇天の行き道は発見や驚きもあり体感時間が短く、何事でも知った嫌々の堕落の帰り道は赤く長いのでいつも始まりの青い人生☆


年齢と見た目が違う人がいるのは心に期待感があり細胞が活発に働き老化しないのでしょうか。



同じ時間と空間を過ごしてもスムーズで坂を下るような好奇心ある楽しい笑顔の生活をした浦島太朗は若く、普通の難関な坂を昇るような厳しい生活をした人は老いたのは心が老化の時空を決め、同じ時間でも体の囚われない集中した青い人生は冷静で、期間は短く感じて人生の経過時間も短い。



様々な事に囚われ十字架に縛られた人生は鮮血の人生で期間は長く感じて人生の経過時間も長い。前向きに笑うことも大切です。


若くても年齢を重ねているように見える人は凝縮した血をみるような苦労をしている人が多い。



求めるのはBになったときに@を強く求めるそうです。


夫婦でも心を新鮮に保てば長持ちするそうです。


緊張感が鮮度みたいで一緒に日々新しい事を始めるような初々しい入学生のように春のような関係でいる事が出来ると冬が来るのを遠ざけるそうです。


一緒にいるのが当たり前になると鮮度は落ちます。


相手を満たしたいと思うココロを忘れてはいけないそうです。


恋は願望、自分を満たしたい。愛は相手を満たしたい!!映画や物語も自分の今の環境で、悲しいのが善かったり幸せなのが好かったり・・・。


人は環境に左右されるそうです。自由の女神は右手を掲げ、ニューヨークの証券取引所の銅像は両手の手の平を下に向けて下ろす。


世の中には下から昇ろうとする立場、上にいる立場があるようです。


暑ければ(厚い)黒く、寒ければ(薄い)白や青に。太陽が沢山当たる暖かい所では朗らかに、寒い地方では機敏になるようです。


財布の中身が暖かければ心に余裕がでるのと同じで心に影響するのでしょう。



今のココロはどこにいるでしょう。
物の販売で考えれば不便を感じていない、今で便利と思い満足している人@には、これだともっと便利になりますよと提案出来なければ求めていないので売れません・・・。


逆に不便を感じている人Bは求めているので購入し易い。。


人間は普段なにかしらのB悩み、苦しみ不安を抱え逃れて@幸福、楽、安心を求めています。


もともと人間はだれしも死に向かって老いていく苦しみがあり、他に日常では悩みがあり曇っています。


それを逃れるため賢い人は晴れを作ります。社寺が作った祭りや祝い事などもそうですが人は日常の生活から離れ悩み苦しみを陰気を忘れたいのだそうです・・・。


祭りで晴れを作る人もあればショッピングの雰囲気で晴れたり、お笑い番組を見て日常の陰気を忘れ陽気に晴れ、晴れ舞台のために用意して充実する人もいます。


日常が晴れている人は日陰を求めることもあります。人は無いものを求める・・・



服でも今で満足していれば求めませんが、満たされないのでもっと良いのを求めます。


欲する心を抑えなければいつまでも満たされる事はない。愛着を覚えれば、それが壊れた時、亡くした時には悲しみを生む・・・。


普通にいれば冷静ですが、谷が深ければ深いほどそれに反比例して山を大きく求めるそうです。



陽気な子供が駄目なことをした時は父の厳しさが苦を抜き去り、母の優しさ楽を与えるといいますが、浮いた心を父が叱ってBへ落とし母が大丈夫よと慰め楽を与える・・・。



父の厳しさが母の優しさをより解かり易くする。お互いを高め合い優しさも厳しさも増したように感じる。
(どちらも甘い家庭は、甘やかしているだけで効果は薄い)



赤と黒の関係のような、二人で行う振子式。苦を抜き去り楽を与える。(抜苦与楽)


沈香で沈めて白檀で浮かせても善いでしょう!




安心を得ている人、満足を得られている人@は心がもう救われているのであまり行動を起こしませんが、不安、悩み苦しんでいる人Bにこうすれば救われるもっと良くなると提案すればそれによってその人は救われます。



「お金持ちになりたい」と黄色のものを購入する人もいますが、本来の志とは違い黄色のものを手に入れて満足しお金持ちになっていなくても、その時は病は気からというように、気は救われている場合もあります。

(これは病のある人に3ヵ月後にはもう駄目ですよ、というとその人はその間に悩み苦しみますが、こうすれば良い、「大丈夫ですよ」といいますと、駄目でも、三ヵ月後に亡くなってもその人はその間は救われているのと似ています。)



スピリチュアルもよく似ています。
曇っていません!全てが光っている!オールライト!悩み苦しみ沈んでいる人に黄色の物は闇に光る星のように希望の光に見えるのでしょう!



「お金を儲けるのは簡単だ。自分が貧乏である事に気付き、もっと注意深く物事を考えるようにすれば良い」とエジソンは言ったそうです・・・。



大乗仏教は自分だけ救われるのでなく、皆で救われようと大きな一つの船に乗せるそうですが貴方も大丈夫と言われれば駄目でも救われた気がして気は救われます・・・。



家族の船、会社の船、国の船、地球の船、貴方が舵取りをしているのは?



三ヵ月後に死ぬ人は、死ぬということを知らされて残された三ヶ月を有意義に過ごしたい人と、三ヵ月後に死ぬということを知らされずに知らぬが仏で過ごしたい人。



その人はどちらなのか知りたければ、健康診断に自分から進んで行く方は知らしてほしい人が多く、金銭面に関係なく健康診断を自分から断る人は、知りたくない場合が多い。



不幸や悩みの血をみるような一瞬停止する赤い時間は長く、楽しみの海や空を見るような円滑に流れる青い時間は短く深い。上手く流れない凝縮した人の人生は短い。





満足とは足が満ちると書くように足りているので新しくは求めません。


不足は足が足りないので求めます。飽きられないようにするには満足の一歩手前で辞めておきましょう。


全てを知ってしまうと飽きてくるように、未知の世界、ミステリアスな部分をおいておくと満足されず求められます。


心から全ては起こるそうです。束縛された動物より、自由に大空を飛び舞う未知の鳥、自然の動物に魅力を感じます。



木は囲まれると困るように、人生も囲まれると囚われる。花は散るが木は茂る。雑草は逞しい。


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