気を使うと【裸の王様】には… |
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気を使うと【裸の王様】には… 普通の人は、本堂にお参りして帰る(表を触ってる)。 しかし本当は楽ではなく大変ですが(山の上にあり階段等をもう少し登る)歩みを進めて知らない未知の【奥の院】を明らめる。 それは知ろう、見ようとする意志がないと【楽を求める人】には、華やかな陰にある奥の院はずっと解らない。 まるで奥様の奥を知るように、ゆっくり洞察し、静かに深める。 お寺や神社において手すり、特に山道では年配者には有り難い。 手すりが鉄では、社寺を写真に写す人にとっても、見た人にも好ましいといえない? 木なら見た目にいいけど高い? 鉄筋は錆びる 修行するところだから、昔はなかった? 金属のてすりや電信柱は、和風の木で出来た建物、境内には似合わず【景観が崩れる】といいますが、気(意識)にしない人もいる… あればいいのに… ないものを求める。 他人にないもの(不便)を与えよう(考える)とする人と、 自分に満ちてないものを求める(欲する)人。 不平不満で望みを風船のように膨らませ、厳しく針で刺すと破裂するし、手を離すとどこかへ飛んでいき、最後は墜ちる…。 まるで独楽【コマ】(木や金属で出来ていて、厚みのある円盤の中心に心棒を通し,手やひもで回して遊ぶおもちゃ))。 誰かに回してもらわないと、動かない(陰)。人に回して(陽)もらってもいつかは止まる。 独りで出来る楽な遊びは…? 空気は話さないけど、人は不満を話し合えるという。 人の天気にも、霊気と地気があるのかな? 案内板がないと解り難い。 それは確かに 案内板(自分で見る必要有り)より、本当は人が案内に付くと1番高級なおもてなし… その【楽】に慣れると、自分で開拓したり、案内を見る(発見)のが苦しみに変わる。(ましてや表面でも苦しいのに、内面まで深めるのは苦しい) 自分で道を探し歩む【苦】のものは、後は楽…(元は大切にする)。 楽は悪魔の投げた甘い餌…慣れてしまうと簡単なことでも苦しみに変わる 享楽(思うままに快楽を味わうこと。)は失うものが多く、安逸(気楽にふらふらと暮らすこと。のんびりと楽しむこと)で人は堕落(品行が悪くなり,生活が乱れること。身をもちくずす)する。 楽は軽い浮いた事…(浅い表面、気を使わない) 苦は重く沈む事…(内面を深める、気を使う) 師に導かれないと、自分では楽を求める(楽しいのは気を使わない楽)という。 気を使っても、行為を楽しみ喜ぶことが好ましい。 しかし人を沢山使うには、甲斐性が必要。 あって助かります… あるに感謝する トイレなんて1番有り難いペーパーもついている(有料だと…)。 いつもあるものがないと損した気分で堕ちる人と、いつもあるのに気遣いて感謝し昇る人がいるという。 慣れると普通(興奮と冷静。楽と苦の間)になり流れている。好きも嫌いも少々のことでは動じない。 苦しいような事も普通になれれば良いので仏は苦を勧め、悪魔は楽を勧めるという。 家が楽なら外は苦しみ。家が厳しく苦しみなら外は楽… 掃除が好きでたまらないより普通 車椅子の人でも行き易いように、砂利ではなく板を敷いた平がいい…確かに ありがとうと感謝するのも意識して疲れる行い。 相手のために靴を揃える。服装を整える。自分の好きなように整えるのは楽 道を極めるにも、昇る楽を極める道(陽)と、堕ちる楽を極める道(陰)があるという 昇にも下を見て、落ちるにも上を見て堕ちると比較、認識(発見)出来て楽しい。 気を使わないで良いのは神様と王様(気を引き締めて縄張りを貼る)といわれる。 ◎テレビを独り楽に見ている時は王様(気楽)。外に出ると王様でなくて苦しい。 楽な薄い番組(人、顔、話)や、表面だけ見て聞く方が楽。 愛宕山は比叡山より三メートル高いという(京都検定に出るかも?)。 昔、愛宕山は比叡山と喧嘩をした…。 山だから静かに色を変えて恵と育みを人に授けていれば良い(山は誰のものでしょう?) 比叡山は怒って石を愛宕山に投げつけた……… 頭から血が出たでしょう そしてたんこぶ出来てしまったという… それで愛宕山はその分損して得をした。 徳の山は静かに黙って積んでいくという。 自分が興奮したり楽より、静かに周りの苦を洞察し見つめるそう お客様は様々な自分の利便を伝えますが、景観を大切にしながら【全ての皆さんのご要望にお答えはできないし、悩んでいる】 という社寺も多いのでしょうね。 参道で砂利をけると、くり石の中に砂が入る(それは誰かが黙って基に戻す。ホテルのベッドメイキングのよう?)。ける人には罪の意識や周りの苦は見えないけれど、それを察する能力を寺で身につけることが主だそう。 気楽に外面的に見ていては解らないといいますね。 大きな山は何もいわず静かですが、怒ると大きな犬のように人に噛み付く。 まるで天変地異が教えるように? 神は罪人を滅ぼすなんて聖書みたいな話し。 人は過ちを繰り返すといいますが、家族も自分もそうですが、【関係ない人の幸せを迫害しない】こそ大切ですね。 相手の事まで気を使って見るのは大変で相手を背負い重いですが…、 自由の中に様々あるようだ。 原因あり、応じた結果が実る。 成功するには、科学者みたいに静かに物事を見つめるそうだ。 仏様(如来)も半目を開いて静かにものもいわず他を見つめる(まず自らを良い状態に整えている)。 簡単には愚か者の自覚をして、静かな場所に好んで行くようにすればいいのでしょうか? 景観を整える。神様からみれば神が楽(神楽)。 山は雪化粧などたまにして、変わらず塵を集めて山山山を築くという 裸の王様にならないよう、気を沈めゆっくり見つめる(重い空間で落ち着く)のもいいのかも知れない。 高級な人には重厚感(服装、話し方、身振り、行動など)がありますね。 毎日お祭り騒ぎでは、何も残らず、軽く流れてあっという間という…。 見つめゆっくり静かに意識して認識した行い |
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(お線香お香/淡路梅薫堂最初の画面へ) | ||||||||||
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