『己を忘れて他の為に行うのが悩みもなくなり幸せになる方法』
森の中でいつも仲良く遊んでいた狐と猿と兎の前に餓死寸前の老人があらわれる。
可哀そうに思った狐と猿は森の中をかけ廻って食べ物を集め、老人に食べさせて元気づける。
不器用で食物を見つけられない兎は、自分の身を炎の中へ投げ込んで、それを老人に食べさせようとした。
老人は実は天の神だったので、兎の犠牲奉仕のやさしさと愛をほめ、うさぎの好きな月の世界へ住ませてあげるという話。
他の為にすれば、体も軽くなり自然に好きな月へと昇れる・・・
しあわせ探し『自分の欲を何度求めていくら満たそうと、円を完全に満たすことはない』
のどの渇きに、塩水を何度求めて飲んでも潤うことはない・・・
貧しいみなし子の少年チンフーは、母の遺言を守って旅へ出る。
西の方へ歩き続ければ仏に出遭う。仏に幸せになる方法を教えてもらえといって母は死んだ。
チンフーは旅の途中でさまざまな人や動物から、仏に逢ったら、自分の悩みもなくなり、
幸せになる方法を聞いてほしいと頼まれる。
ついに西のはてで仏に出遭ったチンフーは、頼まれた皆の悩みを訴え、
幸福になる方法を教えてもらったが時間切れがきて、仏は天に消えてしまい、
自分の幸福への方法は尋ねることができなかった。
皆が幸せになれたなら、それでいいやと、チンフーはあきらめる。・・・
様々な人や動物は、悩みから逃れどうすれば幸せになれるとチンフーは聞いたのでしょう?
自分の番がきた時には時間がきて明らめるとは明らかになった・・・
皆が幸せになれたなら、それでいいやと不平不満のない幸福になる方法が解かり、
時間がきたので消えたのではなく聞く必要がなくなった。
相手中心の考えなら悩みがなくなり幸福になれる・・・
自分で半分、相手で半分。自分を満たす願いではいつまでも円満になれないと知ったのです。
皆が幸せになれたなら、それでいいや・・・ここまで来られたのも運が良かったから、皆のお陰だから・・・
考え方で幸せにも不幸にもなれるのだそうです。
お寺や神社では自分の願いを満たそうと、悩みからも逃れる為に様々な祈祷が行われますが、
自分の欲が完全に満たされる事はなく、他人の幸せを願えば悩みは消えるそうです。
悩みの元には不平不満があり、その状態では人を助け救う幸福になる事は中々出来ませんのでまず様々な色に染まった自分の悩みを除くため沢山の宗派があるそうです。
死ぬまでに自分の悩みが少しでもなくなるように人、自分の為でない社会に喜ばれる活動をするのが本当はいいそうです。
日常でも困っている人を助ける。他人に迷惑をかけない。相手の身の上や心情を察する・・・
中々できませんがそうしようと思うことが善いのだそうです。迷惑をかけたなら別の人を助けてあげれば良いのだそうです。
そして死ぬまでに自分の方が損をしているのが良い、その分誰かが余分に助けられているので・・・。
夫婦の愛は互いに満たしあう、相手が余分に満たされて幸せでいるのならそれならそれでいいや・・・
人は老いの悩みを止めるには100年後は・・・、地球と生命が喜ばれているならそれでいいや・・・
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